第54回朝日新聞社杯競輪祭
小倉競輪場・GI
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周長:400m みなし直線:56.9m
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レース詳細
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開催日
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2012年11月29日 - 12月2日
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レース結果
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優勝
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武田豊樹
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(茨城)
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2位
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長塚智広
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(茨城)
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3位
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飯嶋則之
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(栃木)
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第53回朝日新聞社杯競輪祭は、2012年11月29日から12月2日まで、小倉競輪場で行われた競輪のGI競走である。
KEIRINグランプリ2012への道のり
当大会は、当年12月30日に京王閣競輪場で行われる、KEIRINグランプリ2012の出場権をかけた最後の一戦となった。当大会開幕直前までに、同レースへの優先出場権を得た選手は以下の4名。
残る5名は、当大会の優勝者ないし、当年12月2日時点における獲得賞金上位者から選出されるが、以下の3名が獲得賞金上位者として出場を確定させていた(獲得賞金額順位は当年当大会開幕直前時点による)。
以上の前提に立ち、実質的に決勝戦が行われるまでに残った椅子は2名。そして残る2名の争いは、
の2名に加え、下記に記す決勝戦のメンバーということになった。この決勝戦で、既に優先出場権を獲得している成田と武田、賞金上位で出場が確定していた長塚以外の6名の内、決勝戦当日開催前時点では、獲得賞金額第15位神山雄一郎と獲得賞金額第17位伏見俊昭以外の4名は、当大会で優勝しなければ出場権を得られず、同 15位神山と同 17位伏見は2着以内であれば出場できる可能性があった[1]。しかし決勝戦当日、岡田が5レースの選抜戦で勝利したため、伏見も他の4人の選手と同様優勝する以外、出場権を獲得できなくなった[2]。
決勝戦
競走成績
着順 |
車番 |
選手 |
登録地 |
着差 |
決まり手 |
上がり(秒) |
H/B |
特記
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1
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5
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武田豊樹
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茨城
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捲り
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11.5
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2
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2
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長塚智広
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茨城
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3/4車身
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マーク
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11.4
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3
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9
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飯嶋則之
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栃木
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1車身
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11.3
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4
|
3
|
成田和也
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福島
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1/2車輪
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11.4
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5
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8
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後閑信一
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東京
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3車身
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11.8
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6
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4
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藤木裕
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京都
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1/2車輪
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12.0
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HB
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7
|
1
|
山口幸二
|
岐阜
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3/4車身
|
|
12.0
|
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8
|
6
|
神山雄一郎
|
栃木
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1/2車輪
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11.7
|
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|
9
|
7
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伏見俊昭
|
福島
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1/2車輪
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11.6
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配当金額
枠番二連勝複式 |
2=4 |
450円
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枠番二連勝単式 |
4-2 |
960円
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車番二連勝複式 |
2=5 |
460円
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車番二連勝単式 |
5-2 |
930円
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三連勝複式 |
2=5=9 |
3500円
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三連勝単式 |
5-2-9 |
10420円
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ワイド |
2=5 |
280円
|
5=9 |
1250円
|
2=9 |
730円
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レース概略
[4]
武田-長塚が2角から捲ると3番手だった神山が離れ、武田-長塚-成田-飯嶋となる。そのまま武田が押し切ってGI今季2勝目。武田を交わせなかった長塚は、競輪祭連覇を果たせず。
このレースの結果、グランプリの残る2名の椅子の座は、8位浅井康太と9位岡田征陽に決まった。[5]このうち岡田は初のグランプリ出場となる。
山口幸二が現役引退
当大会決勝戦で7着に終わり、当年のグランプリ出場を果たすことができなかった山口幸二(獲得賞金額第18位)が、決勝戦施行2日後となる当年12月4日、JKAで引退記者会見を行い、24年間の現役生活にピリオドを打った[6]。
実況アナウンサー
今大会、ファン投票によって選ばれた実況アナウンサーは以下の通りである。
特記事項
- 四日間の総売上は99億1698万3000円で、目標額の110億円には届かなかった。
脚注
注釈
出典
外部リンク
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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