第3期順位戦(だい3き じゅんいせん)は、1949年度(1948年5月 - 1949年1月)に実施された順位戦である。順位戦は、将棋のタイトル戦の一つ「名人戦」の予選にあたる棋戦である。
第8期名人戦(だい8き めいじんせん)は、1949年度(1949年3月29日 - 1949年5月24日)に実施されたタイトル棋戦「名人戦」である。第8期名人のタイトルをかけ、「第7期名人」および第3期順位戦で選出された「挑戦者」により五番勝負で争われた。
ここでは「第3期順位戦」および「第8期名人戦」について、あわせて記述する。
第8期名人戦五番勝負
名人戦五番勝負は、木村義雄前名人が塚田正夫名人を3勝2敗で下し、名人位を奪取した[1]。
対局者 |
第1局 |
第2局 |
第3局 |
第4局 |
第5局 |
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1949年 3月29日 |
1949年 4月8日 |
1949年 4月20日 |
1949年 5月11日 |
1949年 5月24日
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塚田正夫名人 |
○ |
● |
○ |
● |
● |
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木村義雄前名人 |
● |
○ |
● |
○ |
○ |
名人位奪取
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ルールの改定
- A級上位3名とB級1位が挑戦者決定戦に進出する。
- A級を10名に増員し総当たり戦。各9局。下位3名が次期B級降級。
- B級を全員を4組に分け1組5~6名の総当たり予選を行い各組から上位2名を選抜。選抜者で決勝リーグ戦を行いその上位3名がA級昇級。
- C級もB級と同様の予選を行い、決勝リーグ戦上位4名がB級昇級。1組は予選上位各2名(計8名)、2組は予選1位3名のうち2名が決勝リーグに進出。
- 個人の順位制度はA級のみに限り、B級以下は順位なし。
- B級以下は降級なし。
順位戦結果
- :名人挑戦者決定戦進出・次期昇級・決勝リーグ進出
- :次期降級
- 千:千日手
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名人挑戦者決定戦
A級1位の木村義雄前名人がトーナメントを勝ち上がり名人挑戦を決めた。
A級
挑戦者決定戦進出3名・降級3名
第2期の得点順により、第3期の順位が決まるため、第2期B級からの昇級者が第2期A級残留者よりも上位に位置することがある。ただし、松田辰雄八段は、花田長太郎八段の死去により補充されたため、得点に関わらず最下位(10位)となった。[2]
B級
順位なし・挑戦者決定戦進出1名・昇級3名
- A級昇級3人目は原田-高柳の同率決戦の結果、原田泰夫七段が昇級。
B級予選
B級の24名を4組に分けた予選各上位2名、計8名によりB級決勝リーグ戦を実施。
C級
順位なし・昇級4名
C級予選
1組は21名を4組に分けた予選各上位2名計8名、2組は13名を3組に分けた予選1位3名のうち2名の計10名によりC級決勝リーグ戦を実施。2組には第1回全日本アマチュア名人戦準優勝の三好幸男がアマチュア代表として出場した。
脚注
外部リンク
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「順位戦」の第1期-第30期は「名人戦」の第6期-第35期にそれぞれ対応。第31期-第35期の順位戦は欠番。 1977年度中の順位戦は第36期(1978年度)に含まれる。第36期-第43期は「名人戦挑戦者リーグ・昇降級リーグ」として実施。 表記の年度は名人戦に対応しており、順位戦は表記年度の前年6月から翌年3月にかけて主に実施。 |