田嶋翔 |
---|
|
基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
群馬県 |
---|
生年月日 |
(1981-12-19) 1981年12月19日(42歳) |
---|
身長 |
162cm |
---|
体重 |
52kg |
---|
血液型 |
O型 |
---|
騎手情報 |
---|
所属団体 |
JRA |
---|
所属厩舎 |
美浦・大江原哲(2000.3.1 - 2006.6.30) 栗東・小島貞博(2006.7.1 - 2011.4.30) 栗東・フリー(2011.5.1 - 2012.4.20) |
---|
初免許年 |
2000年 |
---|
免許区分 |
平地・障害 |
---|
騎手引退日 |
2012年4月20日 |
---|
重賞勝利 |
1勝 |
---|
通算勝利 |
2048戦104勝 |
---|
経歴 |
---|
所属 |
JRA騎手(2000.3 - 2012.4) 作田誠二/調教助手(2012.4 - 2020.2) 吉岡辰弥/調教助手(2020.3 - ) |
---|
テンプレートを表示 |
田嶋 翔(たじま しょう、1981年12月19日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンター所属の元騎手、調教助手。
妻は小島貞博元調教師の次女。
経歴
2000年に美浦・大江原哲厩舎所属で騎手デビュー。同期に梶晃啓、西原玲奈らがいる。2000年3月4日、中山競馬12競走でエイキューガッツで初騎乗(2着)。ジョウノシーザーで初勝利を挙げる(3月26日中山競馬第2競走)。デビューの年は5勝を挙げた(同期の西原玲奈は9勝、騎手デビュー1年目の勝ち頭は嘉藤貴行で19勝)。なおデビュー初年度からしばらくの間障害競走にも参戦、一時中断した時期もあったが2011年より騎乗を再開している。
2003年には前述の小島の次女と結婚。2004年には中山グランドジャンプでGI初騎乗。同じ日には娘も生まれている。
2005年には、桜花賞で平地GIおよびクラシックに初騎乗。このときのパートナーであるテイエムチュラサンはのちにアイビスサマーダッシュで重賞制覇。これが田嶋にとって唯一の重賞勝利だった。
2006年には、美浦から栗東へ拠点を移し、義父である小島の厩舎に所属する。自厩舎所属馬への騎乗が多く、とくに2006年は小島厩舎の出走馬のほとんどに騎乗していた。これは上記の血縁関係のほかに小島の騎手時代の師匠である戸山為夫と同じく「自厩舎の馬には自厩舎の騎手」というポリシーに基づくものである。また、小島と懇意にしている佐山優厩舎からの依頼も多かった。
晩年は騎乗機会が減少し、田嶋のほとんどの騎乗馬が小島厩舎の所属馬となっていた矢先に、後ろ盾であった小島が2012年1月24日に急死。小島厩舎が管理していた全所属馬が臨時貸付を受けた湯窪幸雄(小島の義兄)厩舎に転厩したものの、田嶋の騎乗機会はまったくなくなり[注 1]、2012年4月20日付で騎手を引退。作田誠二厩舎の調教助手となった[1]。
2020年2月に作田厩舎が解散、翌月からは吉岡辰弥厩舎の所属となり、吉岡厩舎初の重賞馬となったスマッシャーと宝塚記念でGⅠ初制覇となったブローザホーンなどを担当している[2]。
騎手成績
|
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
平 地 |
初騎乗 |
2000年3月4日 |
2回中山3日12R |
5歳上900万円下 |
エイキューガッツ |
12頭 |
4 |
2着
|
初勝利 |
2000年3月26日 |
3回中山2日2R |
4歳未出走 |
ジョウノシーザー |
16頭 |
2 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2002年8月25日 |
3回新潟6日11R |
新潟記念 |
ロードフォレスター |
15頭 |
10 |
6着
|
重賞初勝利 |
2005年8月21日 |
3回新潟4日11R |
アイビスサマーダッシュ |
テイエムチュラサン |
13頭 |
7 |
1着
|
GI初騎乗 |
2005年4月10日 |
2回阪神6日11R |
桜花賞 |
テイエムチュラサン |
18頭 |
18 |
16着
|
障 害 |
初騎乗 |
2000年12月3日 |
6回中山2日5R |
障害未勝利 |
モルフェジン |
10頭 |
5 |
7着
|
初勝利 |
2002年7月6日 |
1回福島7日9R |
福島ジャンプステークス |
ガルフィンドリーム |
10頭 |
3 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2002年8月17日 |
3回新潟3日10R |
新潟ジャンプステークス |
ガルフィンドリーム |
10頭 |
4 |
2着
|
JGI初騎乗 |
2004年4月17日 |
3回中山7日11R |
中山グランドジャンプ |
ジュピテリアン |
15頭 |
15 |
11着
|
年度 |
平地競走 |
障害競走
|
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率
|
2000年 |
5 |
8 |
13 |
159 |
.031 |
.082 |
.164 |
0 |
0 |
0 |
1 |
.000 |
.000 |
.000
|
2001年 |
6 |
5 |
10 |
170 |
.035 |
.065 |
.124 |
0 |
1 |
0 |
8 |
.000 |
.125 |
.125
|
2002年 |
11 |
13 |
16 |
241 |
.046 |
.100 |
.166 |
1 |
3 |
3 |
17 |
.059 |
.235 |
.412
|
2003年 |
12 |
19 |
14 |
202 |
.059 |
.153 |
.223 |
2 |
2 |
0 |
28 |
.071 |
.143 |
.143
|
2004年 |
3 |
3 |
2 |
110 |
.027 |
.055 |
.073 |
3 |
5 |
2 |
37 |
.081 |
.216 |
.270
|
2005年 |
11 |
14 |
15 |
184 |
.060 |
.136 |
.217 |
-
|
2006年 |
7 |
7 |
16 |
221 |
.032 |
.063 |
.136 |
-
|
2007年 |
12 |
11 |
9 |
164 |
.073 |
.140 |
.195 |
-
|
2008年 |
11 |
9 |
7 |
158 |
.070 |
.127 |
.171 |
-
|
2009年 |
11 |
15 |
8 |
147 |
.075 |
.177 |
.231 |
-
|
2010年 |
9 |
7 |
6 |
120 |
.075 |
.133 |
.183 |
-
|
2011年 |
0 |
4 |
4 |
53 |
.000 |
.075 |
.151 |
0 |
1 |
1 |
15 |
.000 |
.053 |
.105
|
2012年 |
0 |
1 |
1 |
6 |
.000 |
.167 |
.333 |
0 |
0 |
0 |
3 |
.000 |
.000 |
.000
|
通算 |
98 |
116 |
121 |
1935 |
.051 |
.111 |
.173 |
6 |
12 |
6 |
113 |
.053 |
.159 |
.212
|
地方 |
4 |
3 |
0 |
15 |
.267 |
.467 |
.467
|
主な騎乗馬
- ガルフィンドリーム (2002年福島ジャンプステークス、新潟ジャンプステークス2着)
- テイエムチュラサン (2005年アイビスサマーダッシュ)
- ヒシカツリーダー (2007年昇竜ステークス)
脚注
注釈
- ^ 小島が死去して4日後の1月28日、第2回京都競馬第1日第4競走の障害戦(西橋豊治厩舎の管理馬)での11着(13頭立て)を最後に騎乗機会がなかった
出典
関連項目