佐山 優(さやま まさる、1943年3月24日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属していた元調教師、元騎手。栗東トレーニングセンター所属。京都府出身。
1961年に中央競馬で騎手デビュー。京都大障害を春秋連覇したタカライジンなどに騎乗し、1983年までに障害競走の重賞8勝を含む204勝を挙げた。騎手引退後の1984年より厩舎を開業。「ヒシ」の冠名で知られた阿部雅一郎の知遇を得、1995年のスプリンターズステークス優勝馬ヒシアケボノ、2002年から2003年にGI競走で3勝を挙げたヒシミラクルなどを手掛けた。2014年に定年引退。
舅は騎手・調教師の池田三郎。
経歴
1943年、栃木県足利市に生まれる[1]。出生名は松田優[1]。太平洋戦争中に実父が戦死し、地方競馬の足利競馬場で厩務員を務めていた叔父・佐山小太郎に育てられた[1]。後に小太郎が国営競馬の京都競馬場へ移ったことに伴い、優も京都で育つ[1]。小太郎は京都で名門の伊藤勝吉厩舎に所属し、優駿競走(日本ダービー)優勝馬タチカゼ、阪神3歳ステークスなど27勝を挙げた牝馬ワカクサを担当している[1]。
伊藤厩舎の主戦騎手だった杉村一馬に憧れて騎手を志し、11歳の時から厩舎で騎手見習いとして過ごした[1]。見習い時代には、杉村が乗って桜花賞に優勝するワカクモ(テンポイント、キングスポイントの母)の調教も担当した[1]。
18歳となった1961年に騎手免許を取得[2]。同年3月に一馬の父・杉村政春厩舎からデビューし、4月11日に初勝利を挙げた。体重が重かったため2年目から障害競走を中心に騎乗し[2]、4年目の1964年5月、フジノオーのライバルとして知られたタカライジンに騎乗して京都大障害(春)を制し、重賞初勝利を挙げた。同馬では秋の京都大障害も制し、春秋連覇を達成している。以後も平地での騎乗も兼業しながら、障害で重賞勝利を重ねた。1967年には京都大障害を含む障害11勝、平地でも10勝を挙げた。1971年に杉村政春の死去に伴い、一馬の厩舎に移籍。その後服部正利厩舎を経て、騎手生活晩年には舅の池田三郎厩舎に所属した。
1983年に4度目の受験で調教師免許を取得し、騎手を引退。通算1643戦204勝(うち障害404戦79勝)。重賞8勝は全て障害競走で挙げた。
1984年、死去した池田三郎の後を引き継いで厩舎を開業[3]。3月に初勝利を挙げ、同年7月にはトーワカチドキが金鯱賞を制し、調教師としての重賞初勝利を挙げた。以後しばらくは年間10勝前後を挙げる中堅から下位の成績であったが、1990年に「ヒシ」の冠名を使用した有力馬主・阿部雅一郎と知り合い、以後その所有馬を管理することで成績が向上していった[4]。1992年にはヒシマサルなどによる重賞4勝を含む39勝を挙げて勝利度数で全国4位に付け、優秀調教師賞を初受賞。1995年12月にはヒシアケボノがスプリンターズステークスを制し、GI競走を初制覇。小太郎と二代のGI級競走優勝を果たした。翌1996年にはヒシナタリーなどで重賞6勝を挙げ、2度目の優秀調教師賞を受賞した。
2000年代に入るまで短距離競走で活躍する馬が多かったことから「短距離厩舎」との評もあり[3]、佐山自身「中距離、長距離と混ぜ合わせてどこでもGIを勝てる馬が欲しい[3]」と語っていたが、2002年に長距離競走の菊花賞においてヒシミラクルが10番人気という低評価を覆して優勝し、クラシック競走を初制覇を果たす。同馬は翌年の天皇賞(春)と宝塚記念をいずれも人気薄で制し、同年の最優秀父内国産馬に選出された。
以後も複数の重賞勝利馬を管理し、2013年2月にはJRA通算500勝を達成。翌2014年2月をもって70歳定年により調教師を引退した。調教師としての通算成績は6847戦511勝(うち地方22戦2勝)、GI競走4勝を含む重賞23勝。
騎手成績
通算成績 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率
|
平地
|
125 |
126 |
149 |
1239 |
.101 |
.203
|
障害
|
79 |
52 |
63 |
404 |
.196 |
.324
|
計
|
204 |
178 |
212 |
1643 |
.124 |
.233
|
|
日付 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初騎乗 |
1961年3月19日 |
- |
バンシユン |
- |
- |
5着
|
初勝利 |
1961年4月1日 |
- |
オクミドリ |
- |
- |
1着
|
重賞初騎乗 |
1962年6月24日 |
アラブ大障害(春) |
ダイヤアロー |
6頭 |
4 |
6着
|
重賞初勝利 |
1964年5月3日 |
京都大障害(春) |
タカライジン |
5頭 |
1 |
1着
|
GI級初騎乗 |
1967年7月2日 |
宝塚記念 |
ワカクモ |
8頭 |
6 |
7着
|
主な騎乗馬
- タカライジン(1964年京都大障害・春、京都大障害・秋)
- ギヤルソンヌ(1965年アラブ大障害・秋)
- ミホノマツ(1967年京都大障害・春)
- キタシンザン(1969年阪神障害ステークス・春)
- フェアブァイタル(1970年京都大障害・春)
- ツキヒデキング(1970年阪神障害ステークス・春)
- フジチャイナ(1974年阪神障害ステークス・秋)
調教師成績
開催 |
通算成績 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率
|
中央
|
平地
|
492 |
543 |
533 |
6653 |
.074 |
.156
|
障害
|
17 |
12 |
14 |
172 |
.099 |
.169
|
計
|
509 |
555 |
547 |
6825 |
.075 |
.156
|
地方
|
平地
|
2 |
5 |
1 |
22 |
.091 |
.308
|
|
総計
|
511 |
560 |
548 |
6847 |
.075 |
.156
|
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初出走 |
1984年3月4日 |
1回阪神4日5R |
- |
ケーティサクラ |
- |
- |
17着
|
初勝利 |
1984年5月20日 |
3回阪神2日4R |
- |
リンドムーン |
- |
- |
1着
|
重賞初出走 |
1990年1月28日 |
1回阪神2日11R |
京都牝馬特別 |
ファンドリポポ |
14頭 |
8 |
11着
|
重賞初勝利 |
1984年7月8日 |
2回中京8日10R |
金鯱賞 |
トーワカチドキ |
15頭 |
1 |
1着
|
GI初出走 |
1990年5月20日 |
3回東京2日10R |
優駿牝馬 |
トーワルビー |
20頭 |
7 |
10着
|
GI初勝利 |
1995年12月17日 |
5回中山6日10R |
スプリンターズS |
ヒシアケボノ |
16頭 |
1 |
1着
|
主な管理馬
GI競走優勝馬
太字はGI競走
その他重賞競走優勝馬
受賞
出典
- ^ a b c d e f g 木村(1997)pp.336-337
- ^ a b 木村(1997)pp.337-338
- ^ a b c 芦谷(2001)p.254
- ^ 木村(1997)pp.340-341
参考文献
関連項目