ラッツェル自身は、ヨーロッパの中での領土拡張ではなく、ドイツ人が移住できる海外植民地が必要であると強調していた。ウォンクリー(Wankly, 1961)は、ラッツェルの理論は科学の前進を企図したものであったが、政治家がそれを政治目的に歪曲したのだ、と述べている[5]。やがて「生存圏」という言葉は、カール・ハウスホーファーやフリードリヒ・フォン・ベルンハルディ(ドイツ語版)をはじめ、当時の政治宣伝に利用されるようになり内容が拡張されていった。1911年のベルンハルディの著書『Deutschland und der Nächste Krieg(ドイツと次の戦争)』は、ラッツェルの仮説を拡張し、また初めて明確に東ヨーロッパを新たな空間として名指した。ベルンハルディは、「生存圏」獲得の目的を表明しての戦争は(他の戦争とは異なる)「生物学的必要」であると説き、ラテン人種とスラブ人種に言及して「戦争がなければ、劣等の、あるいは劣化しつつある人種は、これから伸びてゆく健康な要素を容易に窒息せしめるであろう」、「「生存圏」の追求は、単に潜在的な人口学的問題を解消しようとする取り組みにとどまるものではなく、停滞と退化からドイツ人種を守る手段として必要なものである」と述べた[6]。
^Woodruff D. Smith, "Friedrich Ratzel and the Origins of Lebensraum," German Studies Review, Vol. 3, No. 1 (Feb., 1980), pp. 51-68 in JSTOR
^Wanklyn, Harriet. Friedrich Ratzel: A Biographical Memoir and Bibliography. London: Cambridge University Press, 1961.
^ラッツェルの見解の概説は次の文献を参照。Harriet Wanklyn, Friedrich Ratzel: A Biographical Memoir and Bibliography. Cambridge University Press: 1961. ASIN B000KT4J8K. ラッツェル思想のナチス・イデオロギーへの影響や、ドイツ帝政期における植民地主義、経済帝国主義との関わりについては次の文献を参照。Smith, Woodruff, D., The Ideological Origins of Nazi Imperialism, Oxford University Press, 1986. ISBN 0195047419.
^参考文献 Evans, Richard J., The Coming of the Third Reich, Penguin Press, 2004, p. 35. ISBN 1594200041.
^Carsten, F.L Review of Griff nach der Weltmacht pages 751-753 from English Historical Review, Volume 78, Issue #309, October 1963 of pages 752-753
^Moses, John "The Fischer Controversy" pages 328-329 from Modern Germany An Encyclopedia of History, People and Culture, 1871-1990, Volume 1, edited by Dieter Buse and Juergen Doerr, Garland Publishing: New York, 1998 page 328