沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。
1914年、富山県高岡市出身[1]。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業[1]。
大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社[1]。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた[1]。
1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る[1]。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得[2]。1962年から1963年まで西ドイツ・ケルン大学へ留学[1]。1965年、東京都立大学法経学部長となり、翌1966年からは法学部長[1]。1973年から2期にわたって同大学総長を務めた[1]。1981年に定年退官し、名誉教授となった[1]。
マルクス主義の立場で労働運動を支援したことが知られており、戦後日本の労働法学に多大な影響を与えた[1]。また、国民医療研究所の設立を提唱した。
父は弁護士の勇三郎[1]。妻は民法学者で京都帝国大学教授を務めた石田文次郎の長女・文子(ふみこ)。
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