榊原 政敦(さかきばら まさあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。越後国高田藩の第2代藩主。官位は従四位下・式部大輔。榊原家10代当主。
略歴
先代藩主・榊原政永の次男。寛政元年(1789年)、父の隠居により家督を相続した。文化7年(1810年)家督を長男の政令に譲って隠居した。
文政2年(1819年)死去、享年65。奥州領5万石余を頸城郡公儀領と交替することに成功した[1]。
系譜
父母
正室
側室
子女
脚注
- ^ 『物語藩史第4巻』(兒玉幸多・北島正元著、人物往來社刊、1966年)103p
榊原家 高田藩2代藩主 (1789年 - 1810年) |
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堀家 | |
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長沢松平家 |
- 松平忠輝1610-1616
- 不祥事その他諸事情により改易
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酒井家 | |
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福井松平家 | |
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越前松平宗家 | |
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稲葉家 | |
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戸田家 | |
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久松松平家 | |
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榊原家 | |
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