松平 定逵(まつだいら さだみち)は、江戸時代中期の大名。諱は定達とも。越後国高田藩2代藩主。定綱系久松松平家4代。官位は従五位下・因幡守。
略歴
高田藩初代藩主・松平定重の五男として誕生。母は駒井氏。
元禄4年(1691年)に叙任する。正徳2年(1712年)9月7日、父の隠居により跡を継いだ。
享保3年(1718年)9月10日に42歳で死去し、跡を次男・定輝が継いだ。法号は斉西院殿寂誉天安大居士。
系譜
久松松平氏 高田藩2代藩主 (1712年 - 1718年) |
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堀家 | |
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長沢松平家 |
- 松平忠輝1610-1616
- 不祥事その他諸事情により改易
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酒井家 | |
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福井松平家 | |
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越前松平宗家 | |
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稲葉家 | |
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戸田家 | |
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久松松平家 | |
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榊原家 | |
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