池田 宗政(いけだ むねまさ)は、備前岡山藩の第4代藩主。岡山藩池田家宗家6代。
生涯
第3代藩主・池田継政の長男。母は伊達吉村の次女・村子(心定院)。幼名は峯千代、茂太郎。
幼少期より水戸の鶴千代(徳川宗翰)、加賀の勝丸(前田宗辰)、出雲の幸千代(松平宗衍)と共に四君子と称され、聡明で知られた。元文5年(1740年)に元服する。初名は尚政(なおまさ)、のちに将軍徳川吉宗より偏諱を受け宗政に改名する。宝暦2年(1752年)12月6日、父の隠居により跡を継いだ。
岡山藩藩学の充実に努めており、また自身は書画に優れ作品を残しているほか、俳諧や和歌もなした。宗政は信仰していた餘慶寺(瀬戸内市邑久町北島)に正室藤子の打掛を法衣にして寄進している。宝暦14年(1764年)3月14日、父に先立って38歳で病死した。跡を長男の治政が継いだ。
池田家〔宗家〕 岡山藩4代藩主 (1752年 - 1764年) |
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小早川家 | |
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池田家〔別家〕 | |
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池田家〔宗家〕 | |
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