奥井 雅美(おくい まさみ、1968年3月13日[2] - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。
兵庫県伊丹市出身[2][3]。大阪芸術大学芸術学部中退。
スターチャイルド[8]、キングレコード[9]、evolution[注釈 1][12]に所属した後、現在Lantis[10]で活動。『スレイヤーズ』『少女革命ウテナ』などテレビアニメの主題歌を数多く手掛けている[10]。
1989年に斉藤由貴をはじめ、原田知世、Winkなどのバックコーラスを担当し[13]、1990年から松任谷由実のコーラスを4年間務めた。
1993年にシングル「誰よりもずっと…」でキングレコード(スターチャイルド)よりデビュー[3]。以後は主にテレビアニメの主題歌を多く手掛け[3]、ラジオパーソナリティとしても活動。また、楽曲提供や雑誌へのエッセイ連載などでも活動する。
デビューして8年間、矢吹俊郎のプロデュースを受けていたが、矢吹と徐々に楽曲制作のありかたをめぐって反りが合わなくなり、2001年に所属していた矢吹の事務所から独立し、本格的にセルフプロデュースや、石田燿子に「power of love」を提供するなど、徐々に音楽プロデューサーの活動を開始する[14]。2003年には「JAM Project」に加入[3]したり、米倉千尋と「r.o.r/s」を結成したりといったソロ以外の活動を積極的に始めた。
2004年には、キングレコードから独立し自主レーベル「evolution」を設立[12]。同年に始まったラジオ番組『奥井雅美 O-Live』では、アニメ専門携帯着メロサイト「アニメロミックス」との共催でオーディションを開催して、近江知永をデビューさせた[15][16]。以後プロデュースを務めた[13]。
2005年からAnimelo Summer Liveのメインアーティストとして活躍している[13]。2006年から2009年にかけてテレビ番組『@Tunes.』の司会を務め、多くのアニメソングを歌う著名人と交流を果たした。
2019年3月1日、平成アニソン大賞において「輪舞-revolution」が作詞賞(1989年 - 1999年)に選出された[17]。
2023年3月12日、デビュー30周年を記念して、『奥井雅美 30th Anniversary Live 2023 EVE 〜一夜限りのBirth Live』を東京・日本橋三井ホールで開催。また同日には、キングレコード在籍時に発表した1stアルバム『Gyuu』 - 9thアルバム『ReBirth』、ミニアルバム『angel's voice』、ベストアルバム『S-mode #1』『S-mode #2』『S-mode #3』を各サブスクリプションサービスで解禁した[18]。
誕生日に「Birth live」としてライブを行うことが恒例[13]。奥井個人のライブツアーとしては年1~2回行われる[注釈 2]。
2006年のライブではタオルを振って応援する曲(「タオル曲」)として「Shuffle」を歌った[19]。同年の大晦日にはカウントダウンライブをShibuya O-EASTで行った[20]。
レイジー、松任谷由実、竹内まりやに影響を受けている[10]。
影山ヒロノブらが率いるレイジーのファン[21]で、最も影響を受けたバンドもレイジーであると語っている。中学生の頃はレイジーと共演するためにアイドルを目指していたとも明かしている[22]。2009年9月27日に行なわれたライブイベント「ランティス祭り」にてレイジーと初共演し(『感じてKnight』のコーラスとして)、呼び込みの段階で感激のあまりステージの上で涙を流した[23]。
松任谷由実のツアーコーラス参加について、先に参加を果たしていた高橋洋子と知り合い、当時のツアーでやっていたコーラスの振り付けを教わって猛練習してからオーディションに臨んだ結果、オーディション募集要項の規定身長に満たなかったにもかかわらず合格したという[22][24]。
林原めぐみとはデュエット曲「Get along」以来の親交があり、放送時間帯が連続する互いのラジオ番組(林原の番組のあとに奥井の番組が放送されていた)へゲスト出演、番組を宣伝することもキングレコード所属時にはたびたびあった。とはいえ、プライベートに踏み込むほどの親交があるわけでもなく、このような関係で友達と呼び合うのは不自然であるとの思いから、互いに友達と呼ぶことはないという[22]。
『デビルマン』の不動明のような男性がタイプであるという[25]。なお、かつて毎日放送で放送されていた「素人名人会」に出場し、名人賞を獲得したことがある[26]。
「現実問題」としては無理だが「生き様」として「80才まで歌いたい」と2010年にブログに書いた[27]。奥井は2006年のライブでも「80歳まで」を呼びかけていた[19]。
東京公演は震災の影響で、2011年5月19日 / 東京 Shibuya O-EAST 過ぎ去りしBirthday Special 〜White Electric World-Bridger〜に振替
井上俊次(創業者)
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