大石 ヨシエ(おおいし ヨシエ、1897年〈明治30年〉2月12日[1] – 1971年〈昭和46年〉6月7日[1][2][3])は、日本の政治家、衆議院議員(5期)。
来歴
京都府出身[1][2]。1915年(大正4年)、私立信愛高等女学校(現大阪信愛学院高等学校)卒[1][2]。卒業後故郷の舞鶴市で参政権獲得など婦人運動に加わる[1]。のち国民同志会に入り、1931年(昭和6年)から2年間渡米する[1]。帰国後に満洲国へ渡り、新聞社の顧問などをしたが、間もなく日本に戻った[1]。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙では京都府から無所属で立候補し当選した[1][2]。当選後は日本社会党に入り、社会革新党を経て右派社会党で活動した[1]。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で落選[4]。その後、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙にも旧京都2区から無所属で立候補したが、落選した[5]。落選後は埼玉県深谷市に移り、晩年は愛知県西春日井郡師勝町(現在の北名古屋市)の親類宅に引き取られた[6]。1971年に愛知県で死去した[3]。死没日をもって勲三等宝冠章追贈、従四位に叙される[7]。
脚注
参考文献
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定数5 |
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↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。 |