多久 茂堯(たく しげたか)は、江戸時代中期の武士。肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)7代当主。
略歴
多久茂明の長男として誕生。
元文3年(1738年)、藩の当役(請役家老)となる。元文5年(1740年)9月15日、小城藩主・鍋島直英の娘千吉と結婚する。千吉とは母親同士が姉妹であった。
寛延2年(1749年)12月、佐賀藩主・鍋島宗教を引き下ろそうとする陰謀に加担したとして、諫早茂行が一万石減封の上、蟄居となる。寛延3年(1750年)1月、正室の於久米(千吉)と離縁した。6月、減封に反発する諫早家中や領民による諫早一揆(諫早騒動)が起こり、8月に藩命で兵を率いて一揆を鎮圧した。明和4年(1767年)6月、藩政総督を命じられる。
明和6年(1769年)5月に病により職を辞し、8月6日死去した。享年54。菩提寺の円通寺に葬られた。
系譜
- 父:多久茂明(1693-1739)
- 母:曽雄 - 多久茂文次女
- 正室:千吉 - のち於久米、鍋島直英の娘
- 側室:山中氏
- 側室:田中忠右衛門娘
参考文献