龍造寺 家純(りゅうぞうじ いえすみ)は、戦国時代の武将。龍造寺隆信・鍋島直茂の祖父にあたる。
生涯
文明11年(1479年)、龍造寺家兼の嫡男として誕生。
当初は父・家兼と共に少弐氏の家臣として活動し、享禄3年(1530年)の田手畷の戦いでは少弐氏方として奮戦し、大内氏を破るのに貢献した。父が少弐冬尚に疎んじられると共に少弐氏から離反したが、のちに和解が成立し父と共に帰参した。家臣の鍋島氏や旧主の九州千葉氏と姻戚関係を結ぶなど、龍造寺家の立場の強化に努めた。弟・家門を養子とし水ヶ江家の跡を継がせ、また、実子・周家を家門の養子として送り込み、本家である村中龍造寺家の龍造寺胤和から娘(後の慶誾尼)を迎え、周家の室としている。
天文14年(1545年)、龍造寺家の増長を恐れる少弐氏の重臣馬場頼周に暗殺された。しかし異説も多く、一説には頼周に煽動されて豪族・神代勝利と戦って敗死。または逃亡中に暗殺されたとも言われている。
系譜
- 父:龍造寺家兼(1454-1546)
- 母:不詳
- 室:不詳
脚注
- ^ 川副博『龍造寺隆信』人物往来社〈日本の武将45〉、1967年。