マニ30 2012 (小樽市総合博物館・2005年11月撮影)前位妻面にはテールライトのみ設置される
国鉄マニ30形客車 (こくてつマニ30がたきゃくしゃ)は、運輸省 鉄道総局及び日本国有鉄道 (国鉄)に車籍を有した荷物車 の一形式である。通称はマニ車 [ 1] 。
概要
太平洋戦争 後のインフレーション の影響で発行量・流通量が著しく増大した紙幣 (日本銀行券 )を日本銀行 各支店に円滑かつ確実に輸送する目的で製造された。国鉄に車籍を置くが所有者 は日本銀行で、権利関係は他の私有車両 と同様である[ 注 1] 。
新製当初より荷物列車 や客車 列車などに連結され、「銀河 」「ニセコ 」などの急行列車 に併結する運用もあった。1986年11月1日国鉄ダイヤ改正 での荷物列車全廃以降はコンテナ車 等の高速貨物列車 に併結され、翌1987年 4月の国鉄分割民営化 では6両全車の車籍を日本貨物鉄道 (JR貨物)が継承した。JR移行後も引き続き高速貨物列車 に併結されて使用されたが、2003年 の日銀券鉄道輸送終了に伴い用途がなくなり、2004年 までに在籍6両全てが除籍 された。
輸送品目の性質上、本車の運用や存在は公開されることや鉄道雑誌 で取り扱われることはなく、国鉄在籍車両の一覧である「輛数表」にも掲載されなかった(後述 も参照)。
なお、現金輸送中は多くの場合、機関車の次位(機次)に連結される運用であった。また、荷役 時には荷物扉周囲を天幕で覆い、鉄道公安職員 や警察官 を配置するなど万全の警備対策がとられていた。
構造
1948年 にマニ34形 として製造された6両(マニ34 1 - 6 → マニ34 2001 - 2006 → マニ30 2001 - 2006)と、これの老朽代替用に1978年 から1979年 にかけて製造された6両(マニ30 2007 - 2012)の2種が存在する。両者は車内の構成や設備等は概ね共通であるものの、外観的には全く異なる。
車体
いずれの車両とも、前位から順に荷物室・警備員 (=鉄道公安職員 ・鉄道警察隊 員)添乗室・荷物室・車掌 室が配置される。
中央に警備員添乗室を設け、その前後に荷物室を配置する。この配置は一般の荷物車より護送便郵便車 の室内配置に類似する。
出入台・妻面貫通路は車掌室のある後位のみに設けられる。前後の荷物室部分には窓がなく、このため前位の妻面は後部標識灯 以外なにも設置されない特異な形態である。
車内設備
車両中央の警備員添乗室には各種監視設備・寝台設備・洗面所(便所 )を設けるほか、添乗する警備員の長時間勤務に対応し小規模な台所と食事用テーブルを併設する。添乗室の側窓には 18 mm 厚の防弾ガラス を用い、銃器 などを使用した襲撃に備える。車内監視カメラの映像は、本車のみならず編成中の他車車掌室からも確認が可能である。
両側の荷物室は一般の荷物車と異なり、保安上の理由から荷物扉を含め窓を一切設けていない。同様の理由から、車掌室と荷物室の間仕切りには通路がなく、相互の行き来はできない。床面は積載品目の関係上、一般の荷物車が用いる簀子 張りを廃し、平板とされた。
形式別概説
マニ34形(1 - 6 → 2001 - 2006)
1948年に日本車輌製造 、帝國車輛工業 で6両が製造された。オハ35形 後期形に類似の半切妻(折妻)形の車体形状で、荷物扉は1,000mm幅の電車用プレスドアを、窓を鋼板で塞いだうえで流用した。警備員添乗室には3段式寝台を設置する。荷重は 14t、外部塗色はぶどう色1号 、台車はTR23A である[ 注 2] 。
1954年、大船工場 で警備員添乗室の3段寝台をリクライニングシート に改造した。
1962年、荷物扉を2,000mm幅の両開き式に改造し、外観が大きく変化する。
1964年、大船工場で冷房化改造と近代化改造を施工した。冷房装置AU21とディーゼル発電機を床下に設置、自重増加のため荷重は 11t に減少した。
その後全車に電気暖房を設置し 2001 - 2006 に改番されたが、1970年 にマニ30 2001 - 2006 に改番され形式消滅した。
マニ30形(2001 - 2006)
1970年にマニ34形を改番した車両で、積載荷重は 13t に変更されている。老朽化のため後継の 2007 - 2012 に置き換えられ、1981年 までに廃車された。
マニ30形(2007 - 2012)
マニ30 2011 車掌室側から見る
マニ30 2001 - 2006の 置換用として、1978年 - 1979年に日本車輌製造で6両が製造された。車両番号は在来車の続番ではあるが、車体形状は50系客車 に準じた構造に一新され、外観は全く異なる。車体長がマニ50形より1300mm伸びたため、軽量化の観点から車体は50系客車の鋼製とは異なり耐食アルミ合金とされた。
室内配置はマニ30 2001 - 2006と同様、前位から順に荷物室・警備員添乗室・荷物室・車掌室が配置される。
車掌室側妻面はオハフ50形 類似の折妻形である。窓のない2000mm幅両開きの荷物扉、貫通路も窓もない前位側妻面などは共通の特徴である。
警備員添乗室はオロネ14形 に準じる自動昇降装置付きのプルマン式2段寝台が設置される。
添乗員室部分の屋根上には分散形冷房装置 AU13AN を2台設置し、床下のディーゼル発電機で駆動する。荷重は 14t、外部塗色は青15号 、台車は50系客車と同様の TR230B を使用する。
運用
東京では尾久客車区 や隅田川貨物駅 、大阪では宮原客車区 に配置された。主に急行旅客列車に併結されたが、荷物列車や普通列車に併結されたこともあった。現金輸送時は日本銀行から警備の人員が乗り込んだが、担当者は2日前に「**駅に行け」としか伝えられず、また乗車中は荷物室の鍵を持っていなかった時代もあった[ 注 3] 。車両の定期検査 は大宮工場 が担当していた。
荷物列車の全廃後も引き続き使用され、JR貨物への継承後も高速貨物列車 に併結されていたが[ 注 4] 、JR貨物がコキ100系コンテナ貨車で組成した高速貨物列車が最高速度110 km/hであるのに対し、本形式の最高速度は95 km/hであることが制約となり[ 10] 、1992年(平成4年)から自動車での輸送への切り替えが始まり[ 10] 、2003年(平成15年)の鉄道輸送終了により用途がなくなり、2004年(平成16年)に全車廃車 され形式消滅した。
保存車
マニ30形存在秘匿にまつわる逸話
本形式の存在は新製当初から秘匿されていたわけではない。次の書籍および会誌には本形式が掲載されている。
ところがブルーリボン賞のノミネート直後の1978年(昭和53年)になると国鉄は『客車形式図』(国鉄発行)から本形式の掲載をしなくなった。
1979年(昭和54年)に刊行された『コロタン文庫51 鉄道時刻表全百科』(鉄道友の会 東京支部編。小学館 )では、郵政省 所有の郵便車 が存在することに関連して、簡単に「日本銀行所有の現金輸送車が存在する」事実がある旨が紹介されるにとどまり、具体的な形式名や写真の記述はなかった。
「Rail Magazine 」が本形式の模型 製作記事を図面付きで掲載したところ、日本銀行の関係者に読者がおり、名取紀之 編集長が日本銀行から呼び出され事情聴取を受けたことがある[ 12] 。同社が毎年発行している「JR車両ハンドブック」にも、「日本銀行の所有車でありJRの車両ではない」として掲載されなかった[ 12] 。『とれいん 』の編集長も国鉄関係者から本形式について掲載しないように要請されたという。国鉄部内でも本形式の運行について知っている職員は、ごく少数であった。
「鉄道ジャーナル 」では、1978年(昭和53年)7月号巻末の編集後記に「マニ30は(略)“現ナマ輸送車”」との記述がある。同年8月号の「列車追跡」では急行荷物列車 が取り上げられ、取材時の編成 にマニ30 2001が組み込まれていたが、こちらには現金輸送車との記述はない。
「鉄道ファン 」1982年(昭和57年)10月号の荷物列車の特集記事中の写真に本形式が写りこんでいた。ただし、当時現役で活躍していた荷物車全形式を紹介している記事中に本形式に関する記述は一切なかった。
1990年代 に全盛期だったパソコン通信 NIFTY-Serve 内に開設されていた「鉄道フォーラム」においても、マニ30の存在について触れる事は会員規約違反とされていた。
脚注
注釈
^ 意味合いとしては、自動車の現金輸送車 (警備会社 が所有)の鉄道版といえる。
^ 新製時の形式図では台枠はマニ32形(35以降)に採用されたUF116とされているが、帝車製のマニ34 4 - 6のうち2両については戦災車の台枠(UF30)を転用した可能性が指摘されている。また台車はTR40形とされているが、当時はころ軸受けの信頼性が低かったため郵便車に準じて平軸受け のTR23Aを採用している。
^ 出発時は日本銀行の別の担当者が荷物室の鍵を持ち帰り、到着駅にて支店の担当者が鍵を持参して荷物室を開けた。
^ 貨物列車が運転されていない線区では、当車両だけを機関車で牽引する臨時貨物列車のダイヤが設定された。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク