品川 高寛(しながわ たかひろ)は、江戸時代前期の旗本。高家品川高久の次男で分家を立てた。
生涯
元和2年(1616年)、旗本品川高久の次男として生まれる。
寛永7年(1630年)、15歳で将軍徳川家光に初謁、下野国都賀郡で200石の知行を与えられる。寛永14年(1637年)、御小姓組に列し、万治3年(1660年)12月26日に切米100俵加増。寛文9年(1669年)閏8月10日には日頃の勤めが賞せられ、黄金2枚が与えられる。
延宝6年(1678年)6月に番方を辞し小普請入り。元禄7年(1694年)12月7日に致仕して次男高清に家督を譲る。長男(今川氏睦)はこれより先、延宝元年(1673年)に今川氏堯の末期養子として高家今川家を継がせている。
元禄10年(1697年)閏2月8日死去、享年82。本家品川家やほかの今川・吉良一族同様、牛込の万昌院に葬られ、ここを杉山寺とする。
参考文献