今川 義彰(いまがわ よしあき)は、江戸時代後期の高家旗本。今川義泰の子で、父に続いて高家職(奥高家)に就いた。今川家20代当主[注釈 2]。
生涯
高家今川義泰の長男として生まれる。初名は義幹(よしより)。
安永2年(1773年)8月15日、将軍徳川家治に御目見する。天明4年(1784年)4月5日、父義泰の死去により家督を相続する。『寛政重修諸家譜』編纂時の今川家当主である。
享和2年(1802年)12月20日に高家職に就き、従五位下・侍従に叙任され、丹後守を称した。文化14年(1817年)3月11日には光格天皇譲位・仁孝天皇受禅に際して、将軍家斉・世子家慶の名代として京都に派遣され、その褒賞として4月28日に従四位下に昇進する。
文政元年(1818年)8月17日死去、享年63。
系譜
『寛政重修諸家譜』は子女として義用と養女を載せる。長延寺過去帳によると実子は2男3女。家督を継いだ義用以外の1男3女は夭折し、死去日と法名しかわからない。また、今川の遠い同族である瀬名貞如の娘を養女としている。いずれも長延寺に葬られている。
- 父母
- 妻
- 正室
- 旗本小笠原政方(5000石)の五女。宝暦9年(1759年)生まれ、安永8年(1779年)7月8日に縁組。天保3年(1832年)5月29日、74歳で没し長延寺に葬られる。法名:栄寿院殿繁室良昌大禅定尼。
- 子女
- 今川義用
- 養女:早知
- 旗本瀬名貞如(500石)の三女。寛政7年(1795年)11月20日没。法名:梅芳院殿南窓妙枝大姉。
- 娘
- 安永8年(1779年)1月25日没。法名:幻了童女。
- 娘
- 安永9年(1780年)10月29日没。法名:炉雪禅童女。
- 娘
- 天明5年(1785年)7月13日没。法名:秋露禅童女。
- 子
- 天明5年(1785年)8月14日没。法名:影輪禅童子。
参考文献
- 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)
脚注
注釈
- ^ 長延寺・万昌院・観泉寺過去帳には8月11日没とある。
- ^ 家祖・国氏から数えた代数。
出典
- ^ a b 『柳営補任』による[注釈 1]。
- ^ 『今川氏と観泉寺』p.75、「近世今川家歴代法号一覧表」。