古谷 直広(ふるやなおひろ、1963年7月30日 - )は、日本のレーシングドライバー。
略歴
デビュー
1980年にレーシングカートデビューをし、1982年より四輪レースにステップアップしFJ1600に参戦するも、埼玉工業大学工学部機械工学科への進学に伴い一時モータースポーツ活動から離れることになる。
イタリアへ
1986年にモータースポーツ活動を再開しイタリアに渡る。1987年にイタリアのCSAIレーシングスクールを卒業し、その後ミドルフォーミュラのイタリアF2000選手権でデビューし、優勝1回、2位1回と好成績を収める。
1988年にはイタリアF3選手権に参戦し、優勝1回を含む上位入賞を飾る。またイタリア・ツーリングカー選手権やイタリア・フォーミュラ・アルファ選手権にも参戦するなど、複数のカテゴリーで活躍する。
全日本F3選手権
1989年に日本に帰国し、全日本F3選手権に参戦する。1990年にも引き続き全日本F3選手権に参戦し、優勝3回、2位2回を獲得するなどチャンピオン争いを演じシリーズ第2位となる。またマカオグランプリやモナコグランプリ[2]のフォーミュラ1サポートレースにもアルファロメオF3エンジンのワークス格であったフォルティ・コルセより参戦し、JAF年間表彰式にて年間MVP賞を受賞する。
全日本F3000選手権
1991年には日本におけるトップフォーミュラカテゴリーである全日本F3000選手権にステップアップし、童夢レーシングチームから参戦する。1992年にはSUPER_EVOLUTION_RACING_TEAMに移籍し初入賞を飾る。
1993年には東京R&DオリジナルF3000マシンの開発ドライバーを務める。1994年にはセルモレーシングチームに移籍し、十勝F3000インターナショナルスピードカップで3位を獲得し同カテゴリー初の表彰台に上る。1995年にはアドレーシングチームに移籍する。
全日本GT選手権/スーパー耐久
1994年より全日本GT選手権に参戦し、日産・スカイラインGT-Rやスバル・インプレッサ、ランボルギーニ・ディアブロGT-1など様々なマシンをドライブし、表彰台獲得をはじめ多数の入賞を飾り、同選手権が終了する2005年まで参戦する。
2006年からは全日本GT選手権を継いだスーパーGT選手権に参戦し、同じく様々なマシンをドライブし2010年まで参戦した。また2003年よりスーパー耐久選手権にも参戦し、2006年にはマツダ・RX-7でクラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。
現在
現在はドライビングスクールの講師やレーシングドライバーのインストラクターを務めるほか、自動車専門誌への執筆やレースイベントへのゲストドライバー、またモータースポーツ番組のコメンテーターやゲストとしての出演など幅広い活動を行っている。
2010年10月10日に岡山国際サーキットクイーンを務めていた小坂井彩(こさかい あや)と結婚[3]。2013年1月10日に第一子(男児)が生まれている[4][5]。
レース戦績
全日本フォーミュラ3選手権
マカオグランプリ
全日本F3000選手権
全日本GT選手権/SUPER GT
CM
関連項目
脚注
- ^ “S耐岡山最終戦は表彰台!”. 古谷直広のレーシングブログ. サイバーエージェント. 2020年7月12日閲覧。
- ^ 古谷直広がモナコGP前座のF3レースに出場 日本人の出場は'78年の桑島正美以来12年ぶり Racing On No.076 41頁 武集書房 1990年7月1日発行
- ^ “善き知らせ”. 小坂井彩の日記帳. サイバーエージェント (2010年10月10日). 2020年7月12日閲覧。
- ^ “2013/01/10”. 古谷直広のレーシングブログ. サイバーエージェント (2013年1月10日). 2020年7月12日閲覧。
- ^ “数字の偶然”. 小坂井彩の日記帳. サイバーエージェント (2013年1月19日). 2020年7月12日閲覧。
外部リンク