北川 ひかる(きたがわ ひかる、1997年5月10日 - )は、石川県金沢市出身の女子サッカー選手。スウェーデン1部リーグのBKヘッケンFF所属。サッカー日本女子代表。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。JFAアカデミー福島5期生。早稲田大学スポーツ科学部卒業[2]。
経歴
ユース
サッカーをやっていた兄の影響と、保育園時代のサッカー教室がきっかけで5歳の時にサッカーを始める。小学校では星稜PELバディと菊川FC Jr.の2クラブに在籍していた[3]。金沢市立泉野小学校出身[4]。
2009年、ナショナルトレセンU-12北信越に選抜され、頭角を現し始める。
- JFAアカデミー福島
2010年、小学校卒業と同時にJFAアカデミー福島に入校(5期生)。男子も含めて初の石川県出身のアカデミー生となり、親元を離れ寮生活を送る事になった[3]。同年U-13日本女子選抜に選ばれ、海外遠征に参加した。
2012年12月9日、第34回皇后杯3回戦のアルビレックス新潟レディース戦でスタメン中唯一の中学生ながらフル出場し、1ゴール1アシストの全ゴールに絡む活躍でチームを2-1の勝利へと導いた[5][6]。中学生と高校生の混成チーム[注 3]がなでしこリーグに所属する社会人チームに勝利した「大番狂わせ」として報道された[7]。
2015年4月、浦和レッズレディースに特別指定選手として入団、なでしこリーグ1部の試合に出場し始める。国内リーグでは2つのチームを掛け持つ過密日程をこなし、JFAアカデミー福島の10番としてチャレンジWESTの得点ランキング1位(9得点)に輝き得点能力の高さを見せつけた。
シニア
- 浦和レッズレディース
2016年、早稲田大学に進学し[8]、浦和レッズレディースに正式入団。チームがリーグ開幕から第7節まででわずか「勝ち点1」という創設以来の苦境に陥る中、第8節伊賀戦、第9節千葉戦と連続で決勝点をアシストしてチームの連敗を6で止めると、レギュラーシーズンを中断して行われた6月12日のリーグカップ第2節湯郷ベル戦において、味方のコーナーキックからシュートを決め、なでしこリーグ初ゴールを上げた。
最終的にリーグ戦においては、チームの総得点18のうち10得点に直接絡み、3ゴール4アシスト、ゴール数・シュート数ともにチーム最多、DF登録で出場した選手としてはリーグ最多得点、さらにカップ戦でも2ゴール1アシストするなど、新人SBとしては驚異的な数字を残し、一時はリーグ最下位に落ち込んだ名門チームを降格の危機から救った。
- アルビレックス新潟レディース
2018年9月19日、3年半在籍した浦和レッズレディースを離れ、同じなでしこリーグ1部のアルビレックス新潟レディースへ完全移籍する事が発表された[9][10]。移籍発表当日から練習参加し、5日後のリーグ第12節のセレッソ大阪堺レディース戦でフル出場1アシストすると[11]、その後は最終節まで全試合に出場し、移籍後7試合で1ゴール3アシストを記録、特に第15節の古巣・浦和レッズレディースとの対戦では、1ゴール1アシストと全得点に絡む活躍でチームを勝利へと導いた[12]。
- INAC神戸レオネッサ
2023年7月7日、INAC神戸レオネッサへの完全移籍が発表された[13]。INACの新体制発表会見で2年続けてのオファーであったことを明かしている[14]。
パリオリンピック敗退後の2024年8月9日、海外挑戦のためINAC神戸レオネッサを退団することを発表した[15]。
- BKヘッケンFF
同年8月19日にスウェーデンの女子1部リーグ・ダームアルスヴェンスカンのBKヘッケンFFへの移籍が発表された[16]。
代表
- U-17日本女子代表
2013年9月、AFC U-16女子選手権(中華人民共和国・南京市)に出場、FWやMFなど複数のポジションをこなし、6得点の活躍でチームの優勝に貢献した。
2014年3月、2014 FIFA U-17女子ワールドカップ(コスタリカ)に出場。この頃から左SBが定位置になる。決勝を除く全ての試合に出場し、大会を通じてわずか1失点の守備陣の要として活躍した(北川が出場していた時間帯での失点はゼロ)。準決勝のベネズエラ戦で相手選手と接触、脳震盪を起こし退場、本人は出場の意志を示したが、ドクターストップにより決勝は欠場を余儀なくされる。優勝が決まった瞬間はピッチに駆け出し仲間を涙で祝福した[4]。
- U-19日本女子代表
2015年8月には、AFC U-19女子選手権(中華人民共和国・南京市)に出場、グループリーグ初戦のオーストラリア戦で負傷し、タンカで運び出されるアクシデントに見舞われたが、その後は決勝を含む3試合にフル出場し、北朝鮮との決勝では延長戦でも決着がつかないない中、PK戦の3人目のキッカーとして落ち着いてPKを決め、チームの優勝に貢献した。
- なでしこジャパン
なでしこジャパンには、2017年のアルガルヴェ・カップで初招集された[17]が、その後定着することは出来なかった。
2024年6月14日、2024年パリオリンピックに出場するなでしこジャパンメンバーに選出された[18]。しかし、同年7月13日、地元である石川の金沢ゴーゴーカレースタジアムで行われたオリンピック壮行試合・ガーナ戦の終盤で右膝の軟骨を負傷し退場[19]。五輪直前での怪我で代表離脱も心配されたがチームには帯同し、7月31日に行われたグループステージ第3戦のナイジェリア戦にようやく先発で復帰を果たすと、前半終了間際に獲得したFKのキッカーを長谷川唯に勧められ、見事に自身のサッカー人生初の直接FKを初出場の五輪の舞台で決めてみせた[20][21]。
選手としての特徴
左足のキックが武器とされる[22]。また、1対1の駆け引きや球際の強さを自身のストロングポイントと挙げているように[23]、ディフェンスにおいて高い対人能力があり、振り切られる事が少ない[24]。またJFAアカデミー福島時代にチーム得点王に輝くなど、FWとしての得点能力も高く、ヘディングでも強さを発揮する[25]。フィジカルと足元の技術に優れており、ドリブル突破して敵陣深くまで上がり[26]、そのままクロスやシュートまで持って行く形を得意としている[27]。DFとしては非常に攻撃参加やアシストが多い選手である[28][29]。
個人成績
クラブ
代表
主な出場大会
試合数
- 2024年10月26日現在
出場試合
ゴール
タイトル
クラブ
代表
個人
脚注
注釈
- ^ チーム立ち上げ時はU-16。
- ^ U-19からの出場記録を含む。
- ^ このときのアカデミー福島のスタメンには、U-17代表主将の成宮唯や、のちにA代表に招集される平尾知佳、乗松瑠華、増矢理花、三宅史織、U-20代表の守屋都弥、小島美玖などのメンバーが名を連ねていた。
出典
外部リンク