加田屋(かたや)は、埼玉県さいたま市見沼区の町名。現行行政地名は加田屋一丁目および加田屋二丁目。住居表示未実施地区[5]。本項では、加田屋の前身となった大字の加田屋新田(かたやしんでん)についても扱う。郵便番号は加田屋が337-0022[2]、加田屋新田が337-0027[3]。
地理
さいたま市見沼区の東部に位置する。加田屋は見沼田園の農地、加田屋新田は墓地となっている。加田屋川とその支流の内田川や、見沼代用水東縁およびそこから分岐する加田屋分水[6]が流れる。東側で膝子や緑区上野田に、南側で片柳東や緑区南部領辻に、西側で染谷に、北側で大谷に隣接する。南側は片柳とも僅かに接する。全域が市街化調整区域に指定されている[7]。
歴史
1675年(延宝3年)、紀伊国加田村出身の坂東助右衛門尚重によりこの地にあった見沼溜井を締め切って干拓されて新田開発され入江新田と称されていた。上流からの水は川筋を変えて綾瀬川に排水されていた。2代目の時にこの沼を水源として利用していた下流の村々の反対に遭い、1718年(享保3年)元の溜井に戻されたが、八代将軍徳川吉宗が新田開発を奨励したこともあり、3代目当主の助右衛門尚常が幕府の公認を得たことにより1728年(享保13年)に再び入江新田があった場所を新田として再開発された。この時、屋号を取って加田屋新田と名付けられた。化政期の戸数は6軒で、村の規模は東西3町余、南北15町余であった[6]。なお、坂東家10代目当主助次郎が近隣の片柳に建てた屋敷は、旧坂東家住宅見沼くらしっく館として1996年より公開されている[8][6]。
世帯数と人口
2021年(令和3年)4月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目・大字 |
世帯数 |
人口
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加田屋一丁目
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3世帯
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4人
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加田屋二丁目
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1世帯
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1人
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大字加田屋新田
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1世帯
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3人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[14]。
交通
地内に鉄道は敷設されていない。
道路
バス
- 国際興業バス
- さいたま東営業所
- 大01:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和大学入口 - 浦和美園駅西口
- 大02:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和学院高校
- 大02-2:大宮駅東口 - 氷川参道 - 自治医大医療センター入口 - 片柳支所 - 浦和学院高校《新道経由》(平日および土曜の夜間のみ4本)
- 大02-3:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和東高校(平日の午後のみ3本)
- 大03:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - 染谷折返場(平日の朝夕のみ)
- 大81:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - さいたま東営業所
(大宮駅東口→さいたま東営業所に深夜バスも運行・平日4本、土曜および日曜/祝日各1本)
- 浦08-2:浦和駅東口 - 駒場運動公園入口 - 浦和パークハイツ - JA埼玉三室前 - 市立病院 - 南台 - 上山 - 染谷新道 - 野田宝永 - さいたま東営業所
- さいたま市コミュニティバス
- 見沼区コミュニティバス:国際興業バスさいたま東営業所に運行を委託
- さぎ山ルート:大谷県営住宅 - 七里学校前 - 大谷中学校 - 大和田駅 - 見沼区役所 - 七里駅西 - 大谷県営住宅 - 片柳コミュニティセンター - 染谷南 - さぎ山記念公園(構内)
- 沖郷ルート:大谷県営住宅 - 七里学校前 - 大谷中学校 - 大和田駅 - 見沼区役所 - 七里駅西 - 大谷県営住宅 - 片柳コミュニティセンター - 染谷南 - 沖郷会館
施設
大字加田屋新田にさいたま市思い出の里市営霊園があるほかは、農地が広がり河川に橋梁があるのみで、特に目立った施設は存在しない。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク