伊東 昂大
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
神奈川県大和市 |
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生年月日 |
(1991-07-25) 1991年7月25日(33歳) |
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身長 体重 |
186 cm 78 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2009年 ドラフト5位 |
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初出場 |
2010年8月31日 |
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最終出場 |
2010年9月14日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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伊東 昂大(いとう こうた、1991年7月25日 - )は、神奈川県大和市出身の元プロ野球選手(投手)。
実兄は、元東北楽天ゴールデンイーグルスの伊東亮大。
経歴
プロ入り前
上和田小では大和隼球団で野球を始め、上和田中ではボーイズリーグ横浜瀬谷に所属。
高校は岩手県の盛岡大付高に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏の甲子園では2番・一塁手として出場。3年春の岩手県大会では菊池雄星のいる花巻東高と準決勝で対戦し、8回2安打と好投するもチームは3-1で敗退。しかし3位決定戦に勝利し、東北大会に出場すると投手でありながら4番で.529という高打率でチームを優勝に導いた。3年夏は準決勝で盛岡一に0-1で敗れ、決勝で菊池へのリベンジとはならなかった。
2009年10月29日に行なわれたドラフト会議で広島東洋カープが投手として5位指名し、交渉権を獲得。広島には中学時代と高校の修学旅行で訪れており、1度目は「歴史の詰まった街」と好印象を抱いていた。また2度目の高校時の修学旅行の際には、最後の広島市民球場を訪れて「プロの球場」とプロへの憧れに想いを馳せていた[1]。
指名された際には、同学年で1位指名の今村猛、2位指名の堂林翔太の二人[1]、東北のライバルだった菊池雄星、下沖勇樹には負けたくないとライバルとして位置づけ、今後のプロ生活で切磋琢磨していく事を誓った。また、この年の目玉として6球団が指名競合した菊池雄星とは、メールでやり取りする友人であり、指名直後に送られてきた66通のメールの中に「お互いプロで頑張ろう。」とする彼のメールが送られていた[2]。また、女手一つで4人の子供を育ててくれた母には、「本当に今までありがとう。これからも頑張ります」とお礼の言葉を、その日も横浜市内で午後9時過ぎまで働いているためメールで報告をした[1]。
11月8日に広島と仮契約した。契約についての質問では、主に寮についての話題中心で「金銭面には評価してもらった物が全て出て満足」としていた[3]。
プロ入り後
2010年8月31日の対中日戦で初登板を果たし、1回を無失点に抑え、自己最速の144km/hを記録した[4]。
2011年以降一軍登板がなく、2013年10月1日に球団から戦力外通告を受けた[5]。
現役引退後
2016年より兄の伊東亮大が所属する楽天球団の「楽天イーグルスアカデミー」ジュニアコーチに就任することが発表された。[6]、2017年からは球団広報を務める。
選手としての特徴・人物
投手としては均整の取れた筋肉質な体格を持つ。柔らかいフォームで、MAX144km/hのストレートはプロでは球威不足ながらも、角度と切れがある。また時折サイドスローも絡めて投げてくる他、変化球もカーブ、スライダーなどを緩急自在に駆使する。コントロールよくまとめる投球術も兼ね備えている[要出典]。
大型左腕としてだけでなく、高校通算12本塁打の打撃面も評価され、阪神、日本ハム、中日などのスカウトからも注目されていた[7]。
兄の伊東亮大は2014年のプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに7巡目で指名された。
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目
外部リンク