伊東 亮大
ロッテ浦和球場にて。(2017年) |
基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
神奈川県大和市 |
---|
生年月日 |
(1989-07-27) 1989年7月27日(35歳) |
---|
身長 体重 |
194 cm 92 kg |
---|
選手情報 |
---|
投球・打席 |
左投左打 |
---|
ポジション |
一塁手 |
---|
プロ入り |
2014年 ドラフト7位 |
---|
初出場 |
2015年6月23日 |
---|
最終出場 |
2015年10月5日 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
|
|
伊東 亮大(いとう りょうた、1989年7月27日 - )は、神奈川県大和市出身の[1]元プロ野球選手(内野手)。左投左打。
身長は194cm[2]で、NPBの球団へ所属した経験がある日本人野手としては、高橋智と並んで歴代で当時最も高かった[3]。(2022年現在は、秋広優人の200cmが最も高い)
実弟は元プロ野球選手で、楽天球団職員(楽天イーグルスアカデミー・ジュニアコーチ)の伊東昂大[1]。
経歴
プロ入り前
幼稚園年長の時に野球を始め[1]、上和田小学校では「大和隼球団」、上和田中学校では「横浜瀬谷ボーイズ」でプレーした[4]。
桐光学園高校には投手として入学したが、肩を痛め1年生時の夏に一塁手に転向し、3年生時の夏の甲子園には三塁コーチとして出場した[1]。
武蔵大学では2年生の春にレギュラーになり[1]、3年生時の春季リーグでは、52打数24安打10打点、打率.462の成績で、首都大学野球リーグのベストナイン(一塁手)を獲得した[5]。
日本製紙石巻での2年目の2013年、第84回都市対抗野球大会では全3試合に4番・指名打者として出場し、計10打数4安打3打点、打率.400の成績で[6]、大会優秀選手に選ばれ[7]、同年の社会人ベストナイン(指名打者)に選出された[8]。その後外野手の練習を行い[1]、2014年の第85回都市対抗野球大会は外野手としてJR東日本東北の補強選手に選ばれ[9]、2回戦に5番・指名打者で先発出場し、3打数無安打だった[10]。9月に韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選出され[11]、予選リーグのモンゴル戦では4番・指名打者で出場し、5打数4安打5打点を記録した[12]。
2014年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目で指名[13]。契約金4,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件[3]で入団した。入団当初の背番号は46[14]。なお、入団直後の12月14日には、一般女性との結婚を発表している[15]。
プロ入り後
2015年には、6月21日にプロ入り後初の出場選手登録を果たす[16]と、23日の対オリックス・バファローズ戦(郡山総合運動場開成山野球場)9回裏に、代打で一軍にデビュー[17][18]。9月27日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)では、「7番・指名打者」として一軍で初めてスタメンに起用されると、5回表の第2打席で十亀剣からのソロ本塁打によって一軍初安打・初本塁打・初打点を記録した[19][20]。一軍公式戦全体では、8試合の出場で、2本塁打、2打点、打率.273をマーク。イースタン・リーグの公式戦では、69試合の出場で、2本塁打、19打点、打率.237を記録した。
2016年には、一軍公式戦への出場機会がなく、イースタン・リーグ公式戦でも45試合の出場で、1本塁打、7打点、打率.167という成績にとどまった。シーズン終了後の10月24日に球団から支配下選手契約の解除を通告[21]され、11月30日に、育成選手として契約を結ぶことで球団と合意。背番号を046に変更することも発表された[22]。12月2日、自由契約公示された[23]。
2017年には、支配下選手への復帰や一軍公式戦への出場には至らず、10月1日に自身2度目の戦力外通告を受け[24]、10月31日、自由契約公示された[25]。12月10日にTwitterで引退を表明した。
2021年8月に社会人野球のクラブチームWEEDしらおいに加入した[26]。
選手としての特徴・人物
長打力と俊足が武器の大型内野手[27][28]。
名前の亮太は両親から「大きくなるように」という願いを込められて名付けられた[29]。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 46 (2015年 - 2016年)
- 046 (2017年)
- 0(2021年 - )
脚注
関連項目
外部リンク