仁山駅(にやまえき)は、北海道亀田郡七飯町仁山にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(本線)の駅である[2]。駅番号はH69。電報略号はニマ。事務管理コードは▲140107[3]。
歴史
当駅の前身は、20‰の急勾配の途中での列車交換のために設けられたスイッチバック形式の信号場である[4]。当時は本屋のほか官舎11戸があるのみであった[5]。
信号場ながら長らく仮乗降場として旅客扱いを行っており、終戦後の疎開者定着、開拓者入地により利用客が増加、設備の改良も行われたが[5]、正規の駅となったのは国鉄分割民営化のときであった。
しかし、仮乗降場扱いであったにもかかわらず、有人信号場時代には信号場職員が当駅発の乗車券を販売していた記録が残るなど[6][注 1]、仮乗降場時代にも正規の有人駅に準じる扱いがとられていた。
年表
駅名の由来
当駅の所在する地名より。太田(2004)ではアイヌ語の「ニ・ヤマ」(ni-yam)(木・栗山)に由来するという説があるがはっきりしない、としている[11]。
駅構造
信号場としての開設当時は、本線上に設けられた交差渡り線を中心に、函館方の旭川方に向かって左手に加速線を兼ねた1番線、その対角線上に2番線を設けたスイッチバック形式であったが、1943年(昭和18年)の構内改良で現在に近い形態となった[7]。
現在は下り本線と上り本線の2線に相対式ホーム2面2線と木造駅舎を有する地上駅[12]。互いのホームは中央部分に設けられた構内踏切で連絡している[12]。上下線とも安全側線付帯である[12]。
このほか、下り本線の函館方には加速線が設置されており、勾配が緩やかな藤城線開通以前、重量級の下り列車はいったん加速線に退行してから発車していた。加速線は現在でも保守用として現存する[12]。また、1993年(平成5年)ごろには加速線に短いホームが残っていたことが確認されているが、その具体的用途については不明とされている[13]。
七飯駅管理(夜間連絡先は五稜郭駅)の無人駅となっている[10]が、有人信号場時代からの木造駅舎が残る[10][14]。駅舎は構内の東側(旭川方面に向かって右側)に位置し、下り線ホームとは通路で連絡する[10][15]。また、トイレを有する[14]。待合室は格天井を有し[14]長椅子が設置されている[15]。
2001年(平成13年)時点では、駅舎に掲げられていた駅名表記が「仁山信号場」のままであったが、その後「仁山駅」に変更されている[14]。
のりば
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ホーム(2017年8月)
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構内踏切(2017年8月)
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旧加速線上に留置されている
マルチプルタイタンパー(2016年10月)
利用状況
乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
乗車人員推移
年度
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乗車人員(人)
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出典
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備考
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年間
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1日平均
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JR調査
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1949年(昭和24年)
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24,942
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(68.3)
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[5]
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以下『七飯町史』出典の乗車人員には定期券・無償乗車証を含まず
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1950年(昭和25年)
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21,772
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(59.6)
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1951年(昭和26年)
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24,725
|
(67.6)
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1952年(昭和27年)
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25,522
|
(69.9)
|
|
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1953年(昭和28年)
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24,996
|
(68.5)
|
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1954年(昭和29年)
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24,368
|
(66.8)
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1955年(昭和30年)
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36,344
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(99.3)
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1956年(昭和31年)
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43,895
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(120.3)
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1957年(昭和32年)
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36,464
|
(99.9)
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1958年(昭和33年)
|
44,626
|
(122.3)
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1959年(昭和34年)
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44,847
|
(122.5)
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1960年(昭和35年)
|
44,457
|
(121.8)
|
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1961年(昭和36年)
|
44,198
|
(121.1)
|
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1962年(昭和37年)
|
45,085
|
(123.5)
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1963年(昭和38年)
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22,257
|
(60.8)
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1964年(昭和39年)
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20,846
|
(57.1)
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1965年(昭和40年)
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20,223
|
(55.4)
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繁忙期には行楽客の利用により、1日800人ほどの乗降客数となった[17]。
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1966年(昭和41年)
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26,689
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(73.1)
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1967年(昭和42年)
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32,980
|
(90.1)
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1968年(昭和43年)
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30,806
|
(84.4)
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1969年(昭和44年)
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28,770
|
(78.8)
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1970年(昭和45年)
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24,362
|
(66.7)
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1971年(昭和46年)
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18,116
|
(49.5)
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1972年(昭和47年)
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16,260
|
(44.5)
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1973年(昭和48年)
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18,205
|
(49.9)
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1974年(昭和49年)
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17,795
|
(48.8)
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1975年(昭和50年)
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40
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[18][注 3]
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以下、『七飯町史 続刊』の数値はすべて概数。
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1976年(昭和51年)
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50
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1977年(昭和52年)
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|
40
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1978年(昭和53年)
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32
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[19]
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1979年(昭和54年)
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40
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|
[18][注 4]
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1980年(昭和55年)
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40
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1981年(昭和56年)
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|
30
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1982年(昭和57年)
|
|
40
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1983年(昭和58年)
|
|
50
|
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1984年(昭和59年)
|
|
40
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1985年(昭和60年)
|
|
40
|
|
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1986年(昭和61年)
|
|
20
|
|
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1987年(昭和62年)
|
|
20
|
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1988年(昭和63年)
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|
20
|
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1989年(平成元年)
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10
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1990年(平成02年)
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|
30
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1991年(平成03年)
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|
40
|
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1992年(平成04年)
|
|
40
|
|
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1993年(平成05年)
|
|
40
|
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1994年(平成06年)
|
|
40
|
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1995年(平成07年)
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|
20
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1996年(平成08年)
|
|
20
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1997年(平成09年)
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10
|
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1998年(平成10年)
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10
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1999年(平成11年)
|
|
10
|
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2017年(平成29年)
|
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11.4
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[20]
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2018年(平成30年)
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9.6
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[21]
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2019年(令和元年)
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「10名以下」
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[JR北 2]
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2020年(令和2年)
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「10名以下」
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[JR北 3]
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駅周辺
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■函館本線
- 新函館北斗駅 (H70) - 仁山駅 (H69) - *
(熊の湯信号場) - *(小沼信号場)[22] - 大沼駅 (H68)
- *
打消線は廃止信号場[2]
脚注
注釈
- ^ 仮乗降場は営業キロが設定されないため、運賃は一般的な仮乗降場と同様、手前の駅から乗車した扱いとなっていた。このため入場券の発売もなかった[6]。
- ^ 渡島大野駅は2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い新函館北斗駅に改称され、再び有人駅となった。
- ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。
- ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。
出典
JR北海道
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
仁山駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク