上平井橋

東京都道450号標識
上平井橋
上平井橋(2018年7月) 地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都葛飾区
交差物件 中川
建設 1965年10月[1]
座標 北緯35度43分25.8秒 東経139度50分34.8秒 / 北緯35.723833度 東経139.843000度 / 35.723833; 139.843000
構造諸元
形式 ワーレン型 トラス橋[1][2]
材料
全長 127.7 m[1][2]
7 m[2][3]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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上平井橋(かみひらいばし)は、中川に架かる東京都道450号新荒川葛西堤防線である。右岸 (西詰) の東京都葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる[2]。現在の橋は、1965年竣工の橋である。

歴史

架橋以前

明治時代以前より現在の上平井橋よりやや下流側に「上平井の渡し」と呼ばれる中川の渡船場があり、渡し場より上流で中川と 綾瀬川が合流していた。

1931年の橋

1931年(昭和6年)9月に木造の仮設橋が架橋された。次いで、老朽化のため1937年(昭和12年)3月に架け替えが行われた[3]

カスリーン台風

カスリーン台風による流出前。左下が上平井橋で中央は平和橋。国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-M372-148を元に加工。
1948年1月の様子。平和橋は既に復旧しているが上平井橋は破損したままである。国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス SA-M737-130を元に加工。

1947年 (昭和22年) 9月14日から15日にかけて関東地方を通過したカスリーン台風とその後の中川上流より起こった増水により、9月19日 0時55分、上平井橋の西側半分は破損、流出した[4]

1948年の橋

カスリーン台風によって流出した1948年(昭和23年)11月20日に復旧した[5]。この時の橋は橋長113.6 m、幅員4.5 mの木橋であった[3]

1952年の橋

交通量の増加により木橋の損傷が激しくなったため、橋長117 m、幅員5 mの鉄桁橋に架け替えられた[3]1958年(昭和33年)に狩野川台風による河川増水に遭っている[6]

1965年の橋

架橋まで

手前が上平井橋。奥に上平井水門、右にかつしかハープ橋。

更なる交通量の増加により橋長127.7 m、幅員7 mの現在の橋に架け替えられた[3]。架橋は1961年(昭和36年)10月に着手、1965年(昭和40年)10月に完成した[2]。2径間の曲弦ワーレントラス橋である。

架橋後

上平井橋と中川・綾瀬川合流地点

架橋後、上平井水門(1970年完成)[7]かつしかハープ橋(1987年開通)が建設され、周辺の景観は大きく変容した。また架橋50年を機に長寿命化工事の一環として上部工の補強工事が2015年(平成27年)6月19日から2016年(平成28年)3月31日にかけて実施され、その施工内容が評価されたため東京都の2016年度の建設局優良工事として局長表彰を受けた[8][9]

周辺

バス路線

京成タウンバス 新小52系統

隣の橋

(上流) - 本奥戸橋 - 平和橋 - 上平井橋 - 平井大橋 - 総武本線荒川・中川橋梁 - (下流)

脚注

  1. ^ a b c 上平井橋1965-10 - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2018年8月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 東京都建設局第五建設事務所 事業概要 平成29年版付表、2017年
  3. ^ a b c d e 葛飾区教育委員会 『かつしかの橋 葛飾区橋梁調査報告書』、p.10、 1989年
  4. ^ 葛飾区 『新修 葛飾区史』p.1052、1951年
  5. ^ 葛飾区『葛飾区政ニュース』昭和24年8月5日(19号)、1949年
  6. ^ 葛飾区役所編 『葛飾区勢概要-30年のあゆみ-』 p.134上段の写真、1962年
  7. ^ 葛飾区 『葛飾区史 年表 増補』p.281、1985年
  8. ^ 「上平井橋長寿命化工事」が平成28年度建設局優良工事として建設局長表彰を受賞しました!”. 三井E&S鉄構エンジニアリング. 2018年8月5日閲覧。
  9. ^ 平成28年度 建設局優良工事等表彰式を開催します!”. 東京都. p. 別紙-3 (2016年7月4日). 2018年8月5日閲覧。

参考文献

  • 葛飾区教育委員会 『かつしかの橋 葛飾区橋梁調査報告書』、1989年

座標: 北緯35度43分25.8秒 東経139度50分34.8秒 / 北緯35.723833度 東経139.843000度 / 35.723833; 139.843000