三条 公広(さんじょう きんひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿。権中納言・三条実綱の養子。官位は正二位・権大納言。三条家19代当主。主に後陽成天皇(107代)・後水尾天皇(108代)の二代に亘り仕えた。
経歴
内大臣・三条西公国の次男として誕生。母は左大臣・西園寺公朝の娘。初名は公盛(きんもり)。
叔父・三条実綱の養子となって三条家の家督を相続した。天正9年(1581年)1月叙爵。以降累進して慶長2年(1597年)1月従三位に昇り公卿に列する。慶長4年(1599年)6月公広と改名。慶長9年(1604年)8月正三位、慶長11年(1606年)1月権中納言。慶長14年(1609年)1月従二位。慶長17年(1612年)12月権大納言に叙任。
慶長19年(1614年)1月には正二位へと進んだが、大臣になる前の寛永3年(1626年)10月、薨去。享年50。惜しまれて死後に内大臣を追贈されている。
系譜