ルイ・アームストロング
ルイ・アームストロング(1953年)
基本情報 出生名
ルイ・ダニエル・アームストロング 生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間
1919年 - 1971年
ルイ・アームストロング (英語 : Louis Armstrong 、1901年 8月4日 - 1971年 7月6日 )は、アメリカ合衆国 のトランペット奏者 ・作曲家 ・歌手 。愛称はサッチマ (英語 : Satchmo )[ 2] 、ポップス (英語 : Pops )、ディッパー・マウス (英語 : Dipper Mouth )。口が大きいのでSatchel Mouth(小型カバン口つまり大口)略してSatchmo(サッチマ)[ 2] [ 3] と呼ばれた。
経歴
アームストロングが生まれ育ったのは、ニューオーリンズ のアフリカ系アメリカ人 が多く住む比較的貧しい居住区であった。子供の頃、祭りに浮かれ、ピストル を発砲してしまい、少年院 に送られた。その少年院のブラスバンド でコルネット を演奏することになったのが、楽器との最初の出会いとなる。その後、町のパレードなどで演奏するようになり人気となった。
1923年 、シカゴ に移りキング・オリヴァー の楽団に加入。同年、初のレコーディングを行う。1924年にはニューヨーク に行きフレッチャー・ヘンダーソン 楽団に在籍。この時期、ブルース の女王ベッシー・スミス とも共演。その後シカゴに戻り、当時の妻リル・ハーディン・アームストロング(ピアノ )らと共に自分のバンドのホット・ファイヴを結成。同バンドが1926年に録音した楽曲「Heebie Jeebies」は、ジャズ史上初のスキャット ・ヴォーカル曲として知られる[ 注釈 1] 。1925年11月~1932年、オーケー ・レーベルで録音が行われた。
1930年代にはヨーロッパ・ツアーも行った。第二次世界大戦 時には慰問公演も行った。しかし人種差別 が法的に認められていた当時のアメリカでは、公演先でも白人 と同じホテル へ泊まれない他、劇場の入り口さえ別々というような差別を受け続けた。1932年にビクター 専属となり、1939年からデッカ で録音が行われた。
1950年代 には「バラ色の人生 」や「キッス・オブ・ファイア 」等が大ヒット。また、1953年 には初の日本公演を行う。1956年 にはエラ・フィッツジェラルド とも共演。1960年代、時代がビートルズ を代表とするポップ・ミュージック一色となる中でも、多くのアメリカ国民に受け入れられた。ビートルズが連続1位の記録を1964年2月から更新中の1964年 5月9日 に「ハロー・ドーリー! 」が全米№1を記録し、ルイ(63歳)は全米を驚愕させる。
1967年 には「この素晴らしき世界 」が世界的なメガヒットとなった。1968年 には『サッチモ・シングス・ディズニー 』を発表した。
1969年 には『女王陛下の007 』の主題歌に近い挿入歌「愛はすべてを越えて 」を発表。イギリスでは1994年に「ミュージック・ウィーク」誌で、最高位3位を獲得している。
音楽性とサービス精神旺盛なエンターテイナーぶりが評価され、映画にも多く出演した。代表作はフランク・シナトラ やビング・クロスビー と共演した『上流社会 』や『5つの銅貨 』『ハロー・ドーリー』等である。
LIFE 誌が1999年 に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。ネルソン・ジョージ は、ルイが黒人社会では「アンクル・トム 」[ 注釈 2] とレッテルを貼られていたと証言している[ 注釈 3] 。なお、リトルロック高校事件 の際にドワイト・アイゼンハワー 大統領が連邦軍の派遣を当初拒否したことに対してルイは「彼らが南部の仲間を扱うやり方だよ。政府は地獄に落ちる。有色人は国家なんて持ったことがないんだ」「(当時政府がソ連 への文化工作としてルイのソ連ツアーを企画していたことに)われわれが必要なのはミシシッピ での親善ツアーだ」と発言している[ 4] 。
マリファナ が大好きなことは音楽仲間の間では有名で、ルイは 「マリファナはウイスキーの1000倍素晴らしい」と豪語していたという[ 5] 。
1919年、デイジー・パーカーと結婚。いとこの息子クラレンス・アームストロング(幼少期のけがで知的障害 があった)を養子 にする。アームストロングは一生彼の面倒を見た[ 6] 。1923年離婚。
1924年、リル・ハーディンと結婚。リルはキング・オリヴァー ・バンドのピアニストだった。アームストロングがツアーに明け暮れていたこともあり、1931年別居、1938年離婚。歌手で作曲家でもあった彼女は悲恋歌『just for a thrill』を1939年に発表。1959年にレイ・チャールズ がカバーした。
その後、長年の恋人アルファ・スミスと結婚。[ 7] 三番目の結婚は4年間続き、1942年離婚。
同年コットン・クラブ の歌手ルシール・ウィルソンと結婚。1971年に彼が亡くなるまで添い遂げた。[ 8]
アームストロングは四度結婚し、子供たちを愛したが、実子はなかった。[ 9] しかし、2012年11月に、57歳のSharon Preston-Foltaが「自分はアームストロングの娘である」と主張した。主張によればコットン・クラブのダンサーだったLucille "Sweets" Prestonとアームストロングの1950年代の情事から生まれたとのことである。[ 10]
評価
アームストロングは明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマ的かつ独創的な演奏者であり、洗練されていない地方的なダンスミュージックをポピュラーな音楽形態であるジャズへ発展させた。トランペット 奏者、歌手としても有名。ジャズ界でも稀であるほどの天才トランペット奏者と言われ、ウィントン・マルサリス は「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」と賞賛[ 11] 。歌の方でもスキャット という手法を広めたことで知られ、「サンセット・カフェ」で出会ったキャブ・キャロウェイ にスキャットを教えた。マイルス・デイヴィス は「アームストロングは喋りまでジャズになっている」と語っている[ 12] 。
ルイ・アームストロングと彼のホット・ファイブ(Louis Armstrong and His Hot Five)による「ウェスト・エンド・ブルース」(1928年 6月28日 録音)について、当時、ボルチモア の女郎屋 で下働きをしていた少女ビリー・ホリデイ は、「この歌声は、私にとって実に多くの意味を持つ歌に聞こえた。ある時は私をさめざめと泣かせたし、ある時はこの上なく幸福な気分にさせた」と述べている[ 13] 。
ディスコグラフィ
1951年『Satchmo at Pasadena』:パサデナ でのライブ・アルバム(デッカ)
1954年『Louis Armstrong Plays W.C. Handy』(コロムビア )
1955年『Satch Plays Fats』:盟友ファッツ・ウォーラー の作品集(コロムビア)
1955年『Louis Armstrong at the Crescendo, Vol. 1』(デッカ )
1956年『Ambassador Satch』:ヨーロッパでのライブ音源(コロムビア)
1956年『Ella and Louis 』(ヴァーヴ ):エラ・フィッツジェラルド との共演盤
1957年『Louis Armstrong Meets Oscar Peterson』(ヴァーヴ)
1957年『ポーギーとベス 』 (エラ・フィッツジェラルド との共演盤・グラミーの殿堂 入りアルバム)(ヴァーヴ )
1957年『Ella and Louis Again』(ヴァーヴ ):エラ・フィッツジェラルド との共演盤
1957年『Louis and the Angels』(デッカ):天使にまつわる歌集
1958年『Louis and the Good Book』(デッカ):黒人霊歌 集
1959年『Satchmo In Style』(1949-1954年音源集)(デッカ)
1960年『Bing & Satchmo』:ビング・クロスビー との共演盤(MGM)
1961年『The Great Summit』:デューク・エリントン ・バンドとの共演盤(Roulette・ブルーノート )
1962年『The Real Ambassadors』(デイヴ・ブルーベック らとのミュージカル 。モンタレー・ジャズ・フェスティバルでの実況録音)
1964年『Hello Dolly』:(全米第1位を記録した同名ミュージカルのタイトル曲を中心に構成)(Kapp)
1966年『Louis: Mame』: (Mercury)
1968年『What a Wonderful World』:(New York, Las Vegasで録音)(ABC)
1968年『I Will Wait For You』:(Brunswick)
1970年『Country & Western』:(New York, Nashvilleで録音)(AVCO-Embassy)
編集・再発盤
1983年『タウン・ホール・コンサート(完全盤)』:1947年 5月17日ニューヨークでのコンサート模様。(ソニー)
1990年『What a Wonderful World』(MCA)
1991年『An American songbook』(ヴァーヴ)
1992年『California Concerts』1951年、1955年のCivic Auditorium,Crescendo Clubでのコンサートから(GRP)
1995年『サッチモ・アット・シンフォニー・ホール』:1947年11月30日ボストンでのコンサート。(デッカ)
1995年『Butter & Eggman』(ライノ・レコード)
1996年『Struttin'』 (エドモンド・ホール 楽団との共演盤)(Drive Archive)
1997年『The Complete Ella Fitzgerald & Louis Armstrong』(1956 - 1957年録音)(ヴァーヴ )
1997年『What a Wonderful Christmas』:クリスマス・アルバム(Hip-O Records)
1997年『Louis Armstrong at MGM: Now You Has Jazz』:(MGM映画出演作を音源に編集)(ライノ)
2000年『ケン・バーンズ・ジャズ~20世紀のジャズの宝物ールイ・アームストロング [Limited Edition]』(ソニー)
2000年『Hot Fives & Sevens』ボックス(1925~1930年録音音源の編纂盤、4枚組、JSPレコードから発売)
2000年『Louis Armstrong Sings: Back Through the Years』:Gentennial Celebration (デッカ)
2000年『Katanga Concert』: Katanga concert(1960) Nice concert(1962) Elizabethville concert(1960)を収録(Milan)
2000年『Louis Armstrong and Duke Ellington: The Great Summit/Complete Sessions』(Roulette)2
2001年『サッチモ・シングス・ディズニー(デジタル・リマスター盤)』
2001年『Best Live Concert 1: Jazz in Paris』(1965年パリでのライブ) (Umvd Labels)
2001年『Best Live Concert Vol.2 』(1965年パリでのライブ) (Musidisc)
2001年『ハロー・サッチモ!~ミレニアム・ベスト ルイ・アームストロング』:日本編集盤ベストアルバム。ジャケットは藤子不二雄Ⓐ 。
2002年『Louis Armstrong Hot Five and Hot Seven Sessions』(1925~1928年の音源集)
2002年『ルイと仲間たち』(ユニバーサル ミュージック クラシック)
2006年『It's Louis Armstrong』:10枚組廉価版ボックス(メンブラン)
2006年『Defective Collection』(Hip-O Records)
2008年『ホッター・ザン・ザット』【メンブラン10CDセット】廉価ボックス
2008年『Hotter Than That Vol.2』【メンブラン10CDセット】廉価ボックス
2010年『Hello, Louis: Hit Years(1963-1969』:1960年代の3枚のアルバム「ハロードーリー」「メイム」「この素晴らしき世界」から編集(ヴァーヴ)
2010年『Five Pennies』:映画『五つの銅貨 』サントラ
2011年『Live in Amsterdam 1959』:1959年アムステルダムでのライブ。(SOLAR)
2011年『Ambassador of Jazz Box』:10枚組ボックス(Universal I.S.)
2011年『Essential Collection』:廉価盤3枚組ベスト(Not Now UK)
2011年『Complete Louis Armstrong & the Dukes of Dixieland』:白人ディキシーランド・バンドとの共演集。3枚組。
2012年『Louis Armstrong: Okeh Columbia & RCA Victor Recordings-1925-1933』:10枚組ボックス(ソニー ・レガシー)
フィルモグラフィ
アームストロングは多くのフィーチャー映画および短編映画に出演した。その多くが本人役であった。
主な出演映画
著書
アームストロングは優れた文筆家でもあった。
『Swing That Music』(1936年):最初の自伝
『Satchmo - My Life in New Orleans』 (1954年):二冊目の自伝
『In His Own Words』(1999年、オックスフォード大学プレス):雑誌への寄稿文・妻への手紙・若者へのアドバイス記事などを編纂したもの
脚注
注釈
^ 通説では、アームストロングが歌詞を忘れたためと言われているが、音楽評論家のマイケル・ブルックスは2002年の編集盤『ザ・ベスト・オブ・ホット5・アンド・ホット7・レコーディングス』のライナーノーツで、アームストロングがわざとスキャットで歌った可能性を指摘している。
^ 白人に媚び、へつらう黒人の俗称
^ 「リズム&ブルースの死」p.70。早川書房
出典
書籍
細川周平、後藤雅洋、村井康司、寺島靖国、小川隆夫、加藤総夫、柳沢てつや、北里義之、大村幸則、瀧口秀之、西島多恵子、山下泰司、黒田京子、桜井圭介、上野俊哉、米田栄、田辺秀樹、高橋順一、川竹英克、田村和紀夫、大宅緒、高見一樹、島原裕司、柴俊一『新版 ジャズを放つ』洋泉社、1997年、32-37頁。ISBN 4896912500 。
リズム&ブルースの死、ネルソン・ジョージ(早川書房)
関連項目
外部リンク