『日々の泡(L'Écume des jours)』、『北京の秋(L'Automne à Pékin)』など前衛的な作風の小説で知られる。また1940年代後半に、脱走兵の黒人作家と称してヴァーノン・サリヴァン(Vernon Sullivan)のペンネームで通俗的で暴力的なハードボイルド小説を執筆していたことも知られている(ヴィアン自身は白人である)。ジャズ批評やアメリカ文学の紹介などの分野においても顕著な功績を残した。
一方、ヴィアン名義では、みずからが本命とする前衛的な作品(『心臓抜き(L'Arrache-cœur)』や『赤い草(L'Herbe rouge)』、『北京の秋(L'Automne à Pékin)』)を次々に発表していった。恋愛小説『日々の泡(L'Écume des jours)』も執筆している。1946年に発表された『日々の泡』ではプレイヤード文学賞を狙うも、最終選考で落選した。このことに象徴されるように、ヴィアン名義の作品は一般からも注目されず、評論家からも酷評を受けた。この間に標準化協会を退職し、文筆業で生活していくことになった。
1959年6月23日の朝、論争の的となっている映画化された『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』の試写会のため、ヴィアンはシネマ・マルブッフの館内にいた。ヴィアンはプロデューサーと作品の解釈を巡り、何度も衝突してきた。そして、その日もエンドロールで流れる制作関係者名から自分の名を外したがったヴィアンは、この映画を公然と非難した。
ヴィアンの文学作品は、ジャズに対する愛情と密接に結びついていた。『日々の泡(L'Écume des jours)』の序文で、ヴィアンはこのように書いている。
「この世で2つだけ存在し続けるものは何か? それは可愛らしい少女と一緒にいて感じるような愛、そして、ニューオーリンズとデューク・エリントンの音楽だけである。それ以外のものは全て消え去るべきである。ただ、ただ醜いだけなのだから……」
フランス文学史においてはある種言語・表現・物語の実験が旺盛に試みられた動きがあったが(ヌーヴォー・ロマンやウリポなど)、ハードボイルドのみならず、前衛的な表現を志向したヴィアンの創作も、少なからずそうした側面を持っている。批評家たち[誰?]は、『日々の泡(L'Écume des jours)』で、ヴィアンの独創的な、遊び心のある言葉の言い回しは、プロットとキャラクターといった物語一般の要素を補填する四次元的な手段を構成している、と論評している。レイモン・クノーは「今までのラブストーリーで、これほど最も胸の痛む悲痛な現代的なラブストーリーは見たことがない」と評している。
しかしながら、そういったヴィアンの特徴的な調子や気風や文章の魅力を翻訳時にその意味を捉え直す場合、翻訳者は直面する困難な壁がある。たとえば、ヴィアンの作品を英語に翻訳する場合、英語特有の比較的不明瞭さが翻訳の困難さを生み出していると考えられる[要出典]。"L'écume"は、英語で「泡」「あぶく」「しぶき」を意味する。しかし、"l'écume des jours"という表現では、「奇妙で不自然な作り話」というような意味になってしまう。これが典型的なヴィアンの文学的な側面であり、超現実主義的な感触である[要出典]。
『日々の泡(L'Écume des jours)』は、もっとも外国語に翻訳されている作品で、世界各国で出版されている。アメリカでは、有名な翻訳は3つある。中でも、Froth on the Daydream(『白昼夢の泡』)という題名で出版されたスタンリー・チャップマンの翻訳が、もっとも高く評価されている。その他の翻訳本には、1968年、デューク・エリントンの有名なナンバー「ムード・インディゴ」にちなんで名付けられたMood Indigoというアメリカ人による翻訳がある。最近では、ポール・クノブロッフの翻訳本Foam of the Dazeもある。
主要作品
散文
『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』(ヴァーノン・サリバン名義・1946年)
『アンダンの騒乱(Trouble dans les Andains)』(1947年の習作。 1966年に出版)
『死の色はみな同じ(Les morts ont tous la même peau)』(ヴァーノン・サリバン名義・1947年)
『ヴェルコカンとプランクトン(Vercoquin et le plancton)』(1947年。ヴィアン名義で出版された処女作)
『日々の泡(『うたかたの日々』の題名での翻訳もあり)(L'Écume des jours)』 (1947年)
『北京の秋(L'Automne à Pékin)』(1947年)
『醜いやつらは皆殺し(Et on tuera tous les affreux)』 (ヴァーノン・サリバン名義・1948年)
『彼女たちにはわからない(Elles se rendent pas compte)』 (ヴァーノン・サリバン名義・1949年)