ベネット・アルフレッド・サーフ (Bennett Alfred Cerf、1898年 5月25日 - 1971年 8月27日 )は、アメリカ合衆国 の出版者で、ランダムハウス の共同設立者である。自作のジョーク・駄洒落集や、テレビのゲーム番組『ホワッツ・マイ・ライン (英語版 ) 』のレギュラー回答者を務めたことでも知られる[ 1] 。
若年期と初期のキャリア
ベネット・サーフ(カール・ヴァン・ヴェクテン 撮影、1932年)
ベネット・サーフは1898年 5月25日 、ニューヨーク のマンハッタン で、アルザス系・ドイツ系のユダヤ人 の家庭に生まれた[ 1] [ 2] [ 3] 。父のギュスターヴ・サーフは石版画 家で、母のフレデリカ・ワイズはタバコ販売の財閥の相続人であった。母はベネットが15歳のときに亡くなり、その後すぐに弟のハーバートがサーフ家に引っ越してきて、10代のベネットに文学的、社会的に強い影響を与えた[ 4] 。
1916年にタウンゼント・ハリス高校を卒業した。この高校は、出版者のリチャード・L・サイモン (英語版 ) や劇作家のハワード・ディーツ (英語版 ) の母校である。10代の頃は、マンハッタンのワシントンハイツ にあるアパート「リバーサイドドライブ790番地」に住んでいたが、同じアパートには、後に著名になった2人の友人、ハワード・ディーツとハースト新聞 の経済編集者、メリール・ルーカイザー (英語版 ) も住んでいた。サーフは、1919年にコロンビア大学 のコロンビア・カレッジ (英語版 ) でBachelor of Arts を、1920年に同大学のジャーナリズム・スクール でBachelor of Letters を取得した。卒業後は、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン (英語版 ) 』紙の記者や、ウォール街 の証券会社に勤務した。その後、出版社ボニ・アンド・リヴライト (英語版 ) の副社長に就任した。
ランダムハウス
1925年、サーフはボニ・アンド・リヴライト社からモダン・ライブラリー (英語版 ) の権利を20万ドルで購入する機会を得た。サーフは友人のドナルド・S・クロッパー (英語版 ) と50対50のパートナーシップ を組んで買収し、独立して事業を始めた[ 5] 。サーフらはこのシリーズの人気を高め、1927年には自分たちが「ランダムに」選んだ一般書籍の出版を開始した。これがサーフらの出版事業の始まりであり、やがてこの事業は「ランダムハウス 」と名づけられた。ランダムハウスのロゴには、サーフの友人でありコロンビア大学の卒業生でもあるロックウェル・ケント が描いた小さな家が使われていた[ 6] 。
サーフは、人間関係を構築・維持する才能に恵まれ、ウィリアム・フォークナー 、ジョン・オハラ (英語版 ) 、ユージン・オニール 、ジェームズ・ミッチェナー 、トルーマン・カポーティ 、セオドア・スース・ガイゼル などの作家と契約を結んだ。また、アイン・ランド の著書『肩をすくめるアトラス 』を出版したが、この本で表明されているランドの哲学「オブジェクティビズム 」にサーフは激しく反対していた。サーフはランドの「誠実さ」と「輝き」を賞賛し、2人は生涯の友となった[ 7] [ 8] 。
1933年、サーフは合衆国対ユリシーズ裁判 (英語版 ) で、政府の検閲 に対する画期的な判決により勝訴し、ジェームズ・ジョイス の『ユリシーズ 』をアメリカで初めて無修正で出版した。この裁判は、マーガレット・アンダーソンとジェーン・ヒープによるシカゴの文芸誌『ザ・リトル・レビュー』にこの小説の一章が掲載されたことで、「猥褻な作品」と判断されてしまったことを発端とする。1933年、アメリカでの出版権を持っていたランダムハウス社は、訴追を恐れずに作品を出版するために、暗黙の禁止令に挑戦する試訴を手配した。そして、フランス版の本を輸入し、作品を積んだ船が到着したときに、アメリカ税関 (英語版 ) に押収してもらうように手配した。税関に本が到着するという通知があったにもかかわらず、現地の職員は「誰でも持ち込むものだ」と言って没収を拒否した。サーフらは、最終的に作品を押収するように説得した。その後、連邦検事は、法的手続きを先に進めるかどうかを決めるまでに7か月を要した。この作品の猥褻性を評価するために任命された連邦検事補は、この作品は「文学的な傑作」であるが、法的な意味での猥褻物であると考えた。そこで、地方検事が訴えを起こすことができる1930年関税法 に基づいて、この作品を訴えたのである。サーフはその後、このフランス語の本をコロンビア大学に寄贈した[ 9] 。
その他の業績
1944年、サーフはジョーク集の第1弾"Try and Stop Me "を、カール・ローズ の挿絵入りで出版した。1949年には2冊目の"Shake Well before Using "を出版した。1967年からは、新聞の日曜版"This Week "に週刊コラム『サーフ・ボード』(The Cerf Board )を連載した。1959年、マコ・マガジン社から、サーフのジョーク、ギャグなどをまとめた"The Cream of the Master's Crop "が出版された。
1946年から1967年までと1970年から1971年まで、ピーボディ賞 の審査委員となり、1954年から1967年までは審査委員長を務めた[ 10] 。
サーフはミス・アメリカ で審査員を2度務めた[ 11] 。
ゲーム番組への出演
『ホワッツ・マイ・ライン (英語版 ) 』の1シーン。左からドロシー・キルガレン (英語版 ) 、ベネット・サーフ、アルレーン・フランシス 、ハル・ブロック (英語版 ) 、司会のジョン・デイリー (英語版 ) 。
1951年まで、サーフはNBC のゲーム番組 『フー・セイド・ザット (英語版 ) 』に回答者として時々出演していた。この番組は、最近のニュース報道から引用された言葉を、誰が言ったものかを当てるというものである[ 12] 。1951年から『ホワッツ・マイ・ライン (英語版 ) 』に毎週出演し、1967年にCBS での通常放送が終了するまで、16年間出演し続けた。その後、CBSフィルム(現在のバイアコム )制作の同番組の番組販売 版にも亡くなるまで出演していた。『セサミストリート 』内での同番組のパロディでは、ベネット・スナーフ(Bennett Snerf)という名前になっている。
この番組に出演していた頃、サーフはピュージェットサウンド大学 から名誉学位を、1965年11月にはミズーリ州リバティにあるウィリアム・ジュエル・カレッジから名誉文学博士号を授与された。
晩年
サーフは、1967年と1968年にコロンビア大学のオーラル・ヒストリー・リサーチ・オフィスのインタビューを受けている。サーフは、これまでの人生で受けた賞の中で、ユーモア雑誌の『イェール・レコード (英語版 ) 』と『ハーバード・ランプーン (英語版 ) 』から受けた賞を「心から誇りに思っている」と語っている[ 13] 。
1970年7月の『アトランティック 』誌に掲載されたジェシカ・ミットフォード の暴露記事では、サーフが設立したフェイマス・ライターズ・スクール (英語版 ) のビジネス慣行が非難されている[ 14] 。
サーフは1970年にランダムハウスの会長を引退し、クロッパーが後を継いだ[ 5] 。
私生活
サーフは1935年10月1日に女優のシルヴィア・シドニー と結婚したが、6か月後の1936年4月9日に離婚した。
1940年9月17日、ジンジャー・ロジャース のいとこであるハリウッド女優のフィリス・フレイザー (英語版 ) と結婚した。2人の間には、クリストファー (英語版 ) とジョナサンという2人の息子がいた。2人はマンハッタンに住居を構えていたが、1950年代初頭、ニューヨーク州 ウェストチェスター郡 マウント・キスコ (英語版 ) に不動産を購入し、亡くなるまでそこに住んでいた。マウント・キスコには、サーフに因んだサーフ通り(Cerf Lane)という通りがある。
死去
サーフは1971年8月27日にマウント・キスコにて死去した。73歳だった[ 1] 。
ランダムハウス社は1977年にサーフの自叙伝"At Random: The Reminiscences of Bennett Cerf "(アットランダム:ベネット・サーフの回想、日本語訳『ランダム・ハウス物語―出版人ベネット・サーフ自伝』)を出版した。
メリーランド州 ウェストミンスター の郊外にあるキャロル郡 のベネット・サーフ・ドライブは、サーフに因んで名付けられた。ここには、アメリカ国内に2つあるランダムハウスの流通施設の1つであるランダムハウス・ウェストミンスター流通センター&オフィスがあり、ベネット・サーフ・パークもある。
大衆文化において
S・J・ペレルマン (英語版 ) の1945年のフィーユトン (英語版 ) "No Dearth of Mirth, Fill Out the Coupon"(歓喜の絶えないクーポンの記入方法)には、バーナビー・チャープ(Barnaby Chirp)というジョーク本の出版者とペレルマンとの架空の出会いが描かれている。ペレルマンが1962年に発表した舞台『ビューティー・パート (英語版 ) 』では、ランダムハウスのベネット・サーフをモデルとした出版社チャーナルハウス(Charnel House)のエメット・スタッグ(Emmett Stagg)が登場し、ブロードウェイではウィリアム・レマッセナ (英語版 ) が演じた。
ABCで放送されたシットコム 『パティ・デューク・ショー (英語版 ) 』の1964年のエピソード"Auld Lang Syne"では、サーフをモデルとしたベネット・ブレイク(Bennett Blake)が登場する。
トルーマン・カポーティ を題材とした2006年の映画『インファマス (英語版 ) 』では、ピーター・ボグダノヴィッチ がサーフを演じた。
著書
The Arabian Nights: or the Book of a Thousand and One Nights (anthology; New Illustrations and Decorations by Steele Savage; printed and bound by The Cornwall Press, Inc., for Blue Ribbon Books, Inc., 1932)
The Bedside Book of Famous American Stories (選集, 1936)
The Bedside Book of Famous British Stories (選集, 1940)
Try and Stop Me (1944)
Famous Ghost Stories (選集, 1944)
Laughing Stock (1945)
Anything for a Laugh: a collection of jokes and anecdotes that you, too, can tell and probably have (1946)
Shake Well Before Using (1948)
The Unexpected (選集, 1948)
Laughter Incorporated (1950)
Good for a Laugh (1952)
An Encyclopedia of Modern American Humor (選集, Doubleday & Co., Inc., 1954) LOC 54-11449
The Life of the Party (1956)
The Laugh's on Me (1959)
Laugh Day (1965)
At Random: The Reminiscences of Bennett Cerf (New York: Random House , 1977, ISBN 0-375-75976-X ).
日本語訳
Dear Donald, Dear Bennett: the wartime correspondence of Donald Klopfer and Bennett Cerf (New York: Random House, 2002). ISBN 0-375-50768-X .
Bennett Cerf's Book of Laughs (New York: Beginner Books, Inc., 1959) LOC 59-13387
Bennett Cerf's Book of Riddles
Bennett Cerf's Bumper Crop (全2巻)
Bennett Cerf's Houseful of Laughter
Bennett Cerf's Treasury of Atrocious Puns (1968)
日本語編訳
脚注
^ a b c Whitman, Alden (August 29, 1971). “Bennett Cerf Dies; Publisher, Writer; Bennett Cerf, Publisher and Writer, Is Dead at 73” . The New York Times . https://www.nytimes.com/1971/08/29/archives/bennett-cerf-dies-publisher-writer-bennett-cerf-publisher-and.html 2013年12月12日 閲覧 . "Bennett Cerf, one of the country's foremost book publishers, died late Friday night at his estate in Mount Kisco, N.Y. He was 73 years old."
^ Mitgang, Herbert (January 23, 1982). “Modern Library Giant, 80 Today, Still Active” . The New York Times . https://www.nytimes.com/1982/01/23/books/modern-library-giant-80-today-still-active.html . "One thing that has changed is personal - there isn't anti-Semitism in the profession, Mr. Klopfer said. In the 20s and 30s, Bennett and I and other Jewish publishers were looked down upon."
^ Reimer-Torn, Susan (December 16, 2012). “The Good Old Days Of The Future Of Publishing” . The Jewish Week (New York). http://jewishweek.timesofisrael.com/the-good-old-days-of-the-future-of-publishing/
^ “Bennett Cerf Biography ”. www.BookRags.com . 2021年4月1日 閲覧。
^ a b McDowell, Edwin (31 May 1986). “Donald S. Klopfer Dies at 84; Co-Founder of Random House” . New York Times . https://www.nytimes.com/1986/05/31/obituaries/donald-s-klopfer-dies-at-84-co-founder-of-random-house.html 4 November 2013 閲覧。
^ Cerf, Bennett (August 12, 1977). At Random . New York: Random House. p. 65. ISBN 978-0394478777 . https://books.google.com/books?id=u_YsC0M6dgMC&q=rockwell+kent
^ Cerf, Bennett (August 12, 1977). At Random . New York: Random House. pp. 249–253. ISBN 978-0394478777 . https://books.google.com/books?id=u_YsC0M6dgMC&q=ayn+rand
^ “Bennett Cerf Discusses Ayn Rand ”. Objectivism Reference Center. 2017年3月31日時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年4月1日 閲覧。
^ Cerf, Bennett. At Random. New York: Random House, 1977. p. 93.
^ “George Foster Peabody Awards Board Members ”. The Peabody Awards. 2021年4月1日 閲覧。
^ “What's My Line? - Peter Lind Hayes & Mary Healy; Tony Randall [panel (Aug 13, 1961)]”. 2021年4月1日 閲覧。
^ “Show Overview: Who Said That? ”. TV.com . June 12, 2011 閲覧。
^ “Notable New Yorkers ”. Columbia University. 2021年4月1日 閲覧。
^ Mitford, Jessica (July 1970). “Let Us Now Appraise Famous Writers” . Atlantic Monthly : 48. https://www.theatlantic.com/magazine/archive/1970/07/let-us-now-appraise-famous-writers/305319/ .
外部リンク