本作品はレンブラントとサスキア・ファン・オイレンブルフが結婚した1634年に制作された[6]。サスキアはレーワルデンの市長ルンバルドゥス・ファン・オイレンブルフ(Rombertus van Uylenburgh)の娘であった。婚約は1633年に行われ、結婚式は翌年に行われた。レンブラントは同時期の作品の中でこれら2つの出来事を描いている。早くも婚約から3日後、レンブラントはベルリン国立版画素描館(英語版)に所蔵されている、花で飾られた大きな帽子をかぶり花を持ったサスキアの姿を銀筆で素描している。素描にはレンブラントによって「これは1633年6月8日に婚約してから3日後の21歳の妻です」と署名されている。また同年、レンブラントは彼女の肖像画とされるドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の『微笑む若い女性の胸像』を制作した[7]。
レンブラントはその後も繰り返しフローラを描いている。本作品とほとんど同時期かあるいはその翌年に、現在は『アルカディアの衣装を着たサスキア』(Portret van Saskia van Uylenburgh in arcadisch costuum)と呼ばれているロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵の第2の『フローラ』を[8]、1641年に『赤い花のサスキア』とも呼ばれる第3のドレスデン美術館のバージョンを制作した[4]。1654年のメトロポリタン美術館の第4のバージョンはサスキアの死後に制作された[3]。
『フローラ』は古典神話をモチーフとした1630年代の典型的な作品であり、メトロポリタン美術館の1633年の『ベローナ』(Bellona)、トーマス・S・カプラン(Thomas S. Kaplan)のライデン・コレクション(The Leiden Collection)の1635年の『書斎のミネルヴァ』(Minerva in haar studeervertrek)[12]、プラド美術館の1634年の『ホロフェルネスの饗宴におけるユディト』(Judith at the Banquet of Holofernes)といったサスキアに触発されたレンブラントの作品群と完全に一致している[5]。
絵画の来歴は不明である。18世紀後半にアムステルダムのヘルマン・アーレンツ卿のコレクションとなっており、1770年4月11日に[1][10][13]、アムステルダムのオークションハウス Jan Yver にて、「最高のブラバントとオランダの巨匠による極上の絵画のキャビネット」の一部として売却された。当時の記録によるとコレクションはヘルマン・アーレンツ自身が収集したものであったらしい[13]。その後、ロシア皇帝エカチェリーナ2世によって購入され、サンクトペテルブルクのエルミタージュ宮殿の皇室コレクションに収蔵された[10][13]。