1897年9月、ニューヨークに住む少女ヴァージニア・オハンロンは小学校で「サンタクロースはいるのか」について同級生と口論になった。彼女はサンタクロースはいると主張したが、同級生はいないと主張していた。サンタクロースは実在するか家に戻って質問したところ、医師をしていた父、フィリップ・フランシス・オハンロンは『ザ・サン』に投書するよう提案したため、彼女は「サンタクロースはいるのか、教えて欲しい」という手紙を送った。『ザ・サン』に対して送られたこの様々な論争を巻き起こしかねない投書に対して、チャーチは初め当惑したが、9月21日、「この世には、愛や思いやりといった、目には見えないけれども確かに存在するものがある。それと同じように、サンタクロースも確かに存在する」という内容の社説を書いて答えた。"Yes, Virginia, there is a Santa Claus"(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです)という一節のあるこの社説は大きな反響を呼び、以後、『ザ・サン』は毎年クリスマスが近づくとこの社説を掲載したほか、この文章は様々なところで取り上げられ、クリスマスの名文の1つとなった。しかし、当時この社説の筆者は発表されておらず、筆者がフランシスであると明らかになったのは彼の死後のことであった。生前、ヴァージニアとフランシスが出会うこともなかった。