パウロ・シーラス・ド・プラド・ペレイラ(Paulo Silas do Prado Pereira, 1965年8月27日 - )は、ブラジル・カンピーナス出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションは主に攻撃的ミッドフィールダー[1]。通称シーラス (Silas) 、またはパウロ・シーラス (Paulo Silas) 。
来歴
クラブ
1991-92シーズンにはUCサンプドリアに移籍、UEFAチャンピオンズカップ決勝のFCバルセロナ戦ではベンチ入りするも出場機会は無く、チームは延長戦で0-1と敗れた[2]。
1998年シーズンから2年間、Jリーグの京都パープルサンガでプレー、1998年4月11日のヴィッセル神戸戦でJリーグ初ゴール[3]。当初は自身が供給するパスの受け手を模索していたが、三浦知良が加入すると高度な連携プレーを見せる。翌シーズンは26試合で6ゴール10アシスト(アシスト数はリーグ5位タイ)を決めるなど[4]、攻撃の軸として活躍した。Jリーグでは通算56試合11ゴールの成績を残した[3]。
代表
1985年、U-20ブラジル代表の一員として出場したFIFAワールドユース選手権で同大会の得点王となった[5]。翌1986年からはブラジルA代表に選出され、38試合に出場して1得点を挙げた[6]。
FIFAワールドカップには、1986年メキシコ大会で2試合に出場、準々決勝のフランス戦では途中出場した[7]。1990年イタリア大会では背番号10を背負って出場したが、ブラジルは早々に敗退。自身は途中出場で3試合に出場したが、全て10分未満のプレーに止まった。
指導歴
2007年、フォルタレーザECの監督に就任して指導者としてのキャリアを開始する。2008年からはアヴァイFCの監督を務め、就任1年目でカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA昇格を実現。2009年シーズンはセリエA6位の結果を残した。同年限りでアヴァイの監督を退任した[8]。
2011年2月16日、再びアヴァイの監督に就任[9]。
2017年3月、セリエDのグレミオ・ノヴォリゾンチーノの指揮官となる[10]。カンピオナート・パウリスタでは準々決勝まで導いた[11]。
翌月、セリエDのレッドブル・ブラジウの監督に就任したが[12]、成績不振により約3か月で解任された[13]。
2019シーズンより、セリエDのCAトゥバロンの監督に就任することが発表された[14]。開幕6試合で2勝4敗2分けという成績の中、翌年2月に契約解除となった[15]。
約1週間後、セリエBのECサンベントに招聘された[16]しかし5試合で4敗1分けの成績に終わり約1か月で解任された[17]。
個人成績
代表歴
- 1985年 U-20ブラジル代表
- 1986年 - 1990年 ブラジル代表
タイトル
- クラブ
- サンパウロ
- インテルナシオナウ
- ヴァスコ・ダ・ガマ
- サン・ロレンソ
- アトレチコ・パラナエンセ
- 代表
- ブラジル U-20
- ブラジル
- 監督時代
- アヴァイ
- グレミオ
- アル・アラビ
- アル・ガラファ
- セアラー
- 個人
脚注
関連項目
外部リンク