パウエル・ナツラ(パヴェウ・ナストゥーラ、Paweł Marcin Nastula、男性、1970年6月26日 - )は、ポーランドの柔道家、総合格闘家。ワルシャワ出身。チーム・ナツラ所属。1996年アトランタオリンピック男子柔道95kg級金メダリスト。身長185cm[1]。
一本背負投や朽木倒しを自在に使いこなす立ち技の腕もさることながら、その寝技の実力はヨーロッパ随一と言われ、バルセロナ、アトランタ、シドニーと、オリンピック3大会に連続出場[1]。アトランタオリンピックでは、95kg級で金メダリストとなった。
ポーランドの首都ワルシャワでフィットネスクラブ 『ナツラ柔道フィットネスクラブ』 を経営し、実業家として成功している。クラブには柔道場も併設されており、ナツラ自ら初心者、一般、女性、子供たちに柔道を教えるクラスがある[2]。
ちなみに、名前のポーランド語での発音に忠実な日本語表記はパヴェウ・ナストゥーラであり、パウエル・ナツラは英語風のリングネームである。一時期、パウェル・ナスツラとも表記された。
来歴
1996年アトランタオリンピック柔道95kg級で優勝し、金メダルを獲得した。
2005年2月20日、ヨアンナ夫人とPRIDE.29をリングサイドで観戦した。
2005年6月26日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、マウントパンチでTKO負け。
2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦し、スリーパーホールドで一本負け。
2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDでエジソン・ドラゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めでPRIDE初勝利を挙げた。
2006年10月21日、アメリカで開催されたPRIDE.32でジョシュ・バーネットと対戦し、アンクルホールドで一本負け。試合後の薬物検査でステロイドの陽性反応が検出され、ネバダ州アスレチック・コミッションから9か月の出場停止と6,500ドルの罰金を受けた。
2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜でヤン・ドンイと対戦。2ラウンドに金的攻撃を主張し、股間を押さえてひざまついたところ、レフェリーに戦意喪失と判断されTKO負けを喫した。
人物・エピソード
- 母国ポーランドでは国民的英雄である。テレビの出演依頼がひっきりなしに訪れ、道を歩いていてもよくサインをせがまれるという。
戦績
総合格闘技 戦績
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11 試合
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(T)KO
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一本
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判定
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その他
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引き分け
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無効試合
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5 勝
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3
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2
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0
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0
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0
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0
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6 敗
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3
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2
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1
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0
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獲得タイトル
主な柔道の戦績
- 95kg級での戦績
- 100kg級での戦績
脚注
関連項目
外部リンク
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1972–1976: 93kg、1980–1992: 95kg、1996-: 100kg |
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1967~75年は93kg級、79~97年は95kg級、99年以後は100kg級 |
1960年代 ~70年代 | |
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1980年代 ~90年代 | |
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2000年代 ~10年代 | |
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