バックナングは元々、シュパイヤー司教区(ドイツ語版、英語版)聖グイド助祭長区マールバッハ参事会に属していた。その後ヴュルテンベルク公領となり、他のヴュルテンベルク公領と同様に、1534年から宗教改革がなされた。その後数世紀にわたってバックナングは主にプロテスタントの街であった。はじめはマールバッハ教区監督管区に属したが、1695年にヴュルテンベルク福音主義州教会内の独自の監督管区が形成された。元々はバックナング修道院教会と市の門前にあった当時の墓地教会(現在のトーテンキルヒレ)だけが説教の場として使われた。移住者によってこの教会が拡大し、マテウス教会(1962年)とシェーンタールに説教場を持つマルクス教会が分離され、独自の教会堂を持つに至った。しかし両教会は引き続き福音主義バックナング総合教会に留まった。現在バックナングの市区となっている町村もヴュルテンベルク領となっており、従って主にプロテスタントであった。ハイニンゲン、マウバッハ、ヴァルトレムスの信者は元々バックナング修道院教会区に属していた。1961年にヴァルトレムスに独自の教会区が設けられ、独自の教会堂(ハイニンゲン復活教会)が建設された。この教会組織にはヴァルトレムスやハイニンゲンの他にマウバッハ(パウルス教会)も属した。ザクセンヴァイラーには1696年に独自の教会区(ペトルス教会)が設けられ、シュタインバッハ(シュテファヌス教会)がこれに属した。シュトリュンプフェルバッハの信者は現在も隣接するオッペンヴァイラーの教会組織に属している。これらの教会組織の他に、バックナングにはラント教会の組織がある。すなわち、古敬虔主義教会、Kirche unterwegs der Bahnauer Bruderschaft e. V.、リーベンツェラー教団、ミヒャエル・ハーンシェ教団がそれである。
19世紀になるとバックナングに再びカトリック信者が増加した。当初エーバースベルクの教会が彼らを管轄した。バックナングには1894年に独自の司祭区が設けられ、同じ年に洗礼者ヨハネ教会が建設された。バックナング地域のカトリック信者は全員この教会区に属した。さらなるカトリック信者の増加に伴い、隣接する町村に独自の教区が設けられた。ゲルマンスヴァイラー、ハイニンゲン、マウバッハ、ザクセンヴァイラー、シェーンタール、シュティフツグルントホーフ、ヴァルトレムスは現在も洗礼者ヨハネ教会区に属している。1969年にバックナングで2つめのカトリック教会クリストケーニヒ教会が建設された。クリストケーニヒ教会は1969年に教区教会に昇格し、クリストゥス・ケーニヒ司祭区が設けられた。この司祭区にはシュタインバッハのカトリック信者も属している。両カトリック教会は1973年にカトリック総合教会バックナングを創設し、カトリック社会福祉施設とカトリック幼稚園の運営者となった。また、この両カトリック教会は、外国語を母語とする信者のための Sveti Ante Padovanski(クロアチア語)およびサグラダ・ファミリア教会(ポルトガル語)とともに、ロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区(ドイツ語版、英語版)内のレムス=ムル首席司祭区に属すカトリック司牧会バックナングを形成している。
さらに電子工学・通信工学の企業も進出してきた。この分野の企業は、当時の AEG を嚆矢とし、現在に至るまで都市景観を形成している: エリクソン、テレント(ドイツ語版、英語版)、テサット=スペースコムがそれである。しかしエリクソンの管理部門は、バックナングの事業所の一部を分離し、最終的には縮小または完全に閉鎖することを発表した[13][14]。
バックナングには、自動車部品で知られる FK アウトモーティヴ GmbH の本社がある。この他に、ヨーロッパにおけるカツラのトップメーカーであるケルリング・インターナショナル・ハールファブリークがバックナングに拠点を置いている。
バックナングのビュルガーハウスでは、オペラや演劇の上演、舞踏会や会議が行われている。バントハウス・テアター・バックナングは、2013年夏にヤスミン・マインドルとユリアーネ・プッツマンの指導下で結成された。この劇団はこれ以後同時代の演劇を取り上げ実演している。成功したプロダクションとしては、ウィリアム・シェイクスピアの「十二夜」のビュルガーテアター版と、グラーフェネック死刑場での1940年のバックナング市民殺害を扱った「Kannst Du schweigen? Ich auch」である。
シュタットトゥルムは、旧聖ミヒャエル教区教会の遺構である。高さ 45 m のこのコールトゥルム[訳注 3]は13世紀に建設され、1693年の火災後に3階建ての木組み建築階とボンネット屋根が設けられた。その近くのマクルトグラーフェンホーフに、1816/1817年に建設された木組み建築トゥルムシュールハウスがある。この2つの建物は現在、バックナング市のギャラリーとして用いられている。
Württembergisches Städtebuch; Band IV Teilband Baden-Württemberg Band 2 aus Deutsches Städtebuch. Handbuch städtischer Geschichte – Im Auftrage der Arbeitsgemeinschaft der historischen Kommissionen und mit Unterstützung des Deutschen Städtetages, des Deutschen Städtebundes und des Deutschen Gemeindetages, hrsg. von Erich Keyser. Stuttgart 1961.
Burkhart Oertel: Ortssippenbuch der württembergischen Kreisstadt Backnang. Band 1: Für die Kernstadt 1599–1750. Selbstverlag des Verfassers, Neubiberg 1999 (= Württembergische Ortssippenbücher 40)
Burkhart Oertel: Ortssippenbuch der württembergischen Kreisstadt Backnang. Band 2: Für die Kernstadt 1751–1860. Selbstverlag des Verfassers, Neubiberg 2001 (= Württembergische Ortssippenbücher 41)
Burkhart Oertel: Ortssippenbuch der württembergischen Kreisstadt Backnang. Band 3: Für die Teilorte Heiningen, Maubach, Waldrems mit Horbach 1599–1920. Selbstverlag des Verfassers, Neubiberg 2004 (= Württembergische Ortssippenbücher 60)
Backnang in der Topographia Sueviae (Mathäus Merian)
Backnang in der Beschreibung des Oberamts Backnang von 1871
^Regierungsbezirk Stuttgart, Regionalverband mittlerer Neckar. Das Land Baden-Württemberg. Bd. 3. Stuttgart: Kohlhammer. pp. 498-502. ISBN978-3-17-004758-7
^ abcStatistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 446. ISBN978-3-17-003263-7