ネッカータイルフィンゲン (ドイツ語 : Neckartailfingen ) はドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 シュトゥットガルト行政管区 のエスリンゲン郡 に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はシュヴェービシェ・アルプ の麓に位置している。この町はシュトゥットガルト地方 (ドイツ語版 、英語版 ) (1992年まではミッテレラー・ネッカー地方)およびシュトゥットガルト大都市圏 (ドイツ語版 、英語版 ) に属す。
ネッカータイルフィンゲンのパノラマ
地理
位置
ネッカータイルフィンゲンはネッカー川 の河畔、シュトゥットガルト の南約 25 km、アルプトラウフの北西 8 km に位置している。古い町の中心部はネッカー川の左岸側にある。ネッカー川右岸は主に第二次世界大戦 後に建設された、いわゆる「フォアシュタット」(歴史的に市壁の外に建設された町。転じて衛星都市 を意味する)をなしている。
隣接する市町村
ネッカータイルフィンゲンは、北はアイヒタール 、東はニュルティンゲン 、南はアルトドルフ 、南西はネッカーテンツリンゲン 、西はシュライトドルフ と境を接している(いずれもエスリンゲン郡 )。
自治体の構成
ネッカータイルフィンゲンには、ネッカータイルフィンゲン地区以外の地区はない。町域内に廃村ブルク・リーベナウがある。
土地利用
2020年現在のこの町の用途別土地面積および占有率は以下の通りである[ 2] 。
用途
面積 (ha)
占有率 (%)
住宅用地
57
7.0
商工業用地
23
2.8
レジャー用地
16
2.0
交通用地
78
9.5
農業用地
443
53.8
森林
135
16.5
水域
39
4.7
その他
32
3.9
合計
823
100.0
歴史
中世
ネッカータイルフィンゲンは、1090年 頃にヒルザウ文書 (Codex Hirsaugiensis) に Tagelvingen として初めて記録されている。この集落は当時ウラッハ伯領に属しており、その後アハルム伯領となった。記録によれば、アハルム伯のリウトルト(リウトルフとする記述もある)およびクーノが多くの所領と教会をヒルザウ修道院 (ドイツ語版 、英語版 ) に寄進した。寄進の精確な時期はヒルザウ文書に記されていない。しかしアハルム伯クーノが1092年 に亡くなっていることから、寄進は1090年頃と推測されている。ロマネスク様式 のマルティンス教会は、ヒルザウ修道院のために、おそらく1111年 に完成した(天井の梁の年輪年代測定法による)。1254年 から1265年 の間にヴュルテンベルク伯 がアハルム城を含むウラッハ伯領を購入した。ネッカータイルフィンゲンもこの土地に含まれていたためヴュルテンベルク領となり、1945年 の州分割までこれに属した。
1683年にアンドレアス・キーザーによって描かれたネッカータイルフィンゲン
近世以後
この村は1536年 にアムト・ニュルティンゲンとともに、アルトヴュルテンベルク (ドイツ語版 、英語版 ) 全域と同様に福音主義 に改宗された。1541年 に旧ニュルティンゲン郡で最初の学校(ドルフシューレ)が設けられた。三十年戦争 では、ネルトリンゲンの戦い 後に司令官ヴァルター・ブトラーが率いる竜騎兵 (主にクロアチア人 からなる)によって略奪され、教会、ブドウ搾り所、1軒の家、2棟の小さな小屋を除いて完全にはき払われた。数年後にやっと逃亡していた住民が戻り、村はゆっくりと再建されていった。
ヴュルテンベルクによる購入によって、この村の行政はフォークタイ・ニュルティンゲン(ニュルティンゲン代官区)に移管されていた。この代官区から1758年 にオーバーアムト・ニュルティンゲンが創設された。ネッカータイルフィンゲンは、ヴュルテンベルク公領時代後期、1806年 から1918年 のヴュルテンベルク王国 時代、その後のヴュルテンベルク自由人民州 時代を通してこのオーバーアムトに属していた。
1598年 から郵便馬車 シュトゥットガルト - ウラッハ (ドイツ語版 、英語版 ) 線の宿駅がこの町に設けられた。1807年 にはオーバーアムト所在地のニュルティンゲン ではなく、交通結節点 であるネッカータイルフィンゲンに旧ニュルティンゲン郡最初の郵便局が設けられた[ 3] 。
1938年以降の帰属
1938年 から1973年 までネッカータイルフィンゲンはニュルティンゲン郡に属した。1945年 から1952年 までこの町は、1945年にアメリカ管理地区 (ドイツ語版 ) に設けられたヴュルテンベルク=バーデン州 (ドイツ語版 、英語版 ) に属した。1952年からは新設されたバーデン=ヴュルテンベルク州 に編入された。1973年 の郡再編により、ネッカータイルフィンゲンはエスリンゲン郡 に属すこととなった。
住民
人口推移
年
人口(人)
1824年
854
1834年
971
1861年
1,039
1900年
963
1939年
966
1946年
1,410
1950年
1,484
1961年
1,842
1970年
2,772
年
人口(人)
1987年
3,274
1991年
3,364
1995年
3,684
2005年
3,889
2010年
3,771
2015年
3,716
2020年
3,880
行政
ネッカータイルフィンゲンの新旧町役場
首長
町長は1891年までは町議会によって選出されていたが、1891年から町民による直接選挙で選ばれるようになった。第二次世界大戦後の町長を列記する。
1945年 - 1949年: パウル・マウラー
1949年 - 1955年: エミール・プファイファー
1955年 - 1971年: エミール・バウアー
1971年 - 1998年: ヴィルヘルム・プライシング
1998年 - 2014年: イェンス・ティム
2014年 - 2022年: ゲルハルト・ゲルティチュケ
2022年 - : ヴォルフガング・ゴーゲル
ヴォルフガング・ゴーゲルは、2022年4月3日の町長選挙で 61.9 % の支持票を獲得して町長に選出された。当時現職だったゲルティチュケの得票率はわずか 29.7 % であった[ 4] 。ゴーゲルは、2022年7月1日に町長に就任した[ 5] 。
議会
ネッカータイルフィンゲンの町議会は14議席からなる[ 6] 。町議会はこれらの選出された名誉職の議員と、議長を務める町長で構成される。町長は町議会において投票権を有している。
紋章
1951年から公式に用いられている紋章の図柄は、赤地 に金色 (黄色)のマウアーハーケン(直訳: 壁の留め具、逆Z字型、先端が尖り、やや斜めに配置されている)。この紋章は、1683年のネッカータイルフィンゲンの境界石にまで遡る[ 7] 。
経済と社会資本
旧ネッカータイルフィンゲン駅
ネッカータイルフィンゲン水力発電所
交通
ネッカータイルフィンゲンは、古くから多くの街道の通過点であった。郵便馬車 の時代にネッカータイルフィンゲンは、馬を交換する重要な宿駅であった。
1976年までドイツ連邦鉄道 はプロヒンゲン - インメンディンゲン (ドイツ語版 、英語版 ) 線の駅を運用していた。この駅は町から約 2 km 離れていた。この駅は最終的に採算がとれないために閉鎖され、駅舎は取り壊された。かつてのプラットホームには草が生い茂っている。
1995年に連邦道 297号線(B297号線)のバイパス道路 が完成した。これにより町の洪水調節 施設も完成した。この道路は町の中心部とネッカー川 をトンネルで通過する。シュトゥットガルト およびロイトリンゲン に向かうB312号線が、町の西部をかすめている。
公共旅客近郊交通は、バス路線188番(ニュルティンゲン 行き)と190番(アイヒ 行き)が担っている。75番のバス路線(ベルンハウゼン およびデガーロッホ (ドイツ語版 、英語版 ) 行き)は町の外れを通るだけである。いずれのバス路線もシュトゥットガルト交通・運賃連盟 (VVS) に組み込まれている。
教育
ネッカータイルフィンゲンには基礎課程学校リーベナウシューレがある[ 8] 。さらに幼稚園が3園ある。音楽学校には町内や近隣市町村から約713人が在籍しており、広範な教育を提供している。
ライフライン
この町の電力網 は、EnBW レギオナル AG (ドイツ語版 、英語版 ) によって運営されている[ 9] 。天然ガス の供給も行われている。この町は、ネッカータイルフィンゲン町内で水力発電所 を運営するフィルダー水供給目的連合に加盟している。下水処理は、町の汚水処理場で行っている。廃棄物処理はエスリンゲン郡の廃棄物処理会社が担当している。
文化と見所
アイレスヴァーゼン湖
マルティンス教会
自然文化財
町内には9件の自然文化財がある。1883年に植えられたルターリンデ(セイヨウボダイジュ )[ 10] 、アイレスヴァーゼン湖の北側部分、B312号線の橋の西側にある水辺の森を含むネッカー川 の古い川筋、様々な藪、湿った草地、雑木林がこれに含まれる。
アイレスヴァーゼン湖
アイレスヴァーゼン湖は砂利採掘によって形成され、レストランや多くのビーチをもつこの湖は現在、広い地域で人気のハイキング地となっている。最も深い箇所の水深は 4 m である。ヌーディスト・ビーチ もある。釣りについては釣りクラブが存在している[ 11] 。
マルティンス教会
マルティンス教会は、ロマネスク建築 と祭壇で広く知られている。スレート 葺の塔は特に有名である。この教会はおそらく1111年に完成した。宗教改革 の結果1536年に福音主義 に転じ、現在はニュルティンゲン教会管区に属している。
ネッカー橋
1847年に洪水と流氷によって損壊したネッカー川の木製の橋は、頑丈な6連アーチの砂岩の橋に架け替えられた。1945年4月にニュルティンゲンとテュービンゲンとの間のネッカー川の橋がフランス軍 の進軍を止めるためにドイツ国防軍 によって計画的に爆破されたが、ネッカータイルフィンゲンの橋だけが破壊を免れた。証言者によればこれは、町の勇気ある介入と幸運な状況によるものであった。
人物
ゆかりの人物
アグネス・ザッパー (1852年 - 1929年)作家。ネッカータイルフィンゲンの公証人の妻であった。
グレース・ホフマン (1921年 - 2008年) アメリカ合衆国出身の声楽家。ネッカータイルフィンゲンに居住した。
マティアス・ヤイスレ (1988年 - )サッカー選手、指導者。ネッカータイルフィンゲンで育った。
関連図書
Hans Schwenkel (1953). Heimatbuch des Kreises Nürtingen. Band 2 . Würzburg. pp. 610–635
Christoph Drüppel; Anita Raith (2000). Geschichte der Gemeinde Neckartailfingen . Neckartailfingen
Landesarchiv Baden-Württemberg i. V., Landkreis Esslingen, ed (2009). Der Landkreis Esslingen, Band 2 . Ostfildern: Jan Thorbecke Verlag. p. 181. ISBN 978-3-7995-0842-1
August Friedrich Pauly, ed (1848). “Neckar-Thailfingen”. Beschreibung des Oberamts Nürtingen . Die Württembergischen Oberamtsbeschreibungen 1824–1886. Band 25. Stuttgart / Tübingen: Cotta’sche Verlagsbuchhandlung
脚注
出典
外部リンク