ニューポート (英 : Newport )は、アメリカ合衆国 ニューハンプシャー州 の町。サリバン郡 の郡庁所在地 である[ 2] 。人口は6,299人(2020年)。州都コンコード の西70kmの位置にある。町の北西部には屋根付橋 がある。メイプルシュガー やリンゴ 園があることで知られている。
町の中心部は国勢調査指定地域 に指定されている。町内にはケリービルとギルドのビレッジも含まれている。シュガー川に接し、ニューハンプシャー州道10号線と同11号線が交差している。
歴史
ニューポートとなった地域は1753年、ニューハンプシャー植民地総督 のベニング・ウェントワース が払下げ、イギリスの首相 で大ピット の義兄弟であるジョージ・グレンヴィル にちなんでグレンビルと名付けられた。しかし、チャールズタウンの第4砦が近く、フレンチ・インディアン戦争 の敵対関係が続いていたので、開拓は遅れた。それでも1761年にはニューポートとして法人化された。この名前は傑出したイギリス軍人かつ政治家だったヘンリー・ニューポートにちなむものだった。
1763年に最初に入植したのはコネチカット のノースキリングワースから移ってきた開拓者だった。アブサロム・ケルシーがその初期開拓者の1人だった。ケルシーが森を切り払う第一打はニューポートのクレアモントヒルの麓にあるD・F・パイク農園がある所だった[ 3] 。当時、コネチカット川 が唯一の交通路だったが、1767年にはチャールズタウンまで道路が切り開かれた。翌年、最初の製粉所が設立された。しかし、州政府は山脈の向こうにあり、その待遇に不満を抱いたニューポートは、1781年にコネチカット川沿いの他の33の町と合流して、ニューハンプシャー州から脱退し、バーモント州 に加わった。しかし1782年、ジョージ・ワシントン がバーモントとの統合を解除し、再度ニューハンプシャー州に加わることになった[ 4] 。
ニューポートの地域は農業に適した肥沃な土壌があり、シュガー川やその南支流の豊富な水力もあったので、工場を動かして繁栄するようになった。最初の綿糸工場は1813年にジェイムズ・D・ウォルコット大佐が設立した。キャビネット工場が栄え、素晴らしい家具を製造した。1817年、エリー運河 に触発された事業家が、コネチカット川とメリマック川を繋ぐ運河の掘削を提案した。この運河はシュガー川に始まり、その水源としてスナピー湖を貯水池に使うことになっていた。この計画は始める前に放棄された。1871年シュガー川鉄道がブラッドフォードからニューポートまで開通した。
しかし、工業開発の中心として川が再編された。1820年、クレアモント 、スナピーおよびニューポートの工場所有者が合同でスナピー・ダム会社を結成し、シュガー川の流量を規制するダムを建造し、乾季でも工場を操業できるようにした。この計画はうまくいき、流域では120以上の水車が稼働することになった。人口が2,020人になっていた1859年、町には毛織物工場3か所、革なめし場2か所があった[ 4] 。1842年に設立されたシブリー・サイス社は、サイス(大鎌)を製造し、パナマ運河 の建設時にジャングルを払うために使われた。同社は1898年に閉鎖された。
この工場町には、エリアス・カーターが設計し1823年に建設された南会衆派教会、1886年に建設されたニューポート・オペラハウス、1898年にセス・メイソン・リチャーズ大佐の家として建設された現在のリチャーズ自由図書館など重要な建築物がある。
ポラーズ・ミル、1906年
北メインストリート、1908年頃
スナピー通り、1908年
メソジスト教会、1909年
地理
ライツ屋根付き橋
アメリカ合衆国国勢調査局 に拠れば、町域全面積は43.7平方マイル (113 km2 )であり、このうち陸地43.6平方マイル (113 km2 )、水域は0.1平方マイル (0.26 km2 )で水域率は0.18% である。ニューポート町の中央部分、国勢調査指定地域とされている部分は10.9平方マイル (28 km2 ) ある。
町内はシュガー川とその南支流が流れ、町の中心で合流している。北支流はニューポートの北、ノースニューポートの東でシュガー川に合流している。町内最高地点は標高約1,920フィート (590 m) の無名の稜線であり、町の南側境にある。
町内をニューハンプシャー州道10号線、同11号線、同103号線が通っている。町内にパーリン・フィールド空港がある。
人口動態
北メインストリート、1914年
ボストン・アンド・メイン鉄道の駅、1907年
ニューポートには、1900年に3,126人、1910年に3,765人、1940年に5,304人が住んでいた。
以下は2000年 の国勢調査 による人口統計データである[ 5] 。
基礎データ
人口: 6,269 人
世帯数: 2,473 世帯
家族数: 1,656 家族
人口密度 : 55.6人/km2 (143.9 人/mi2 )
住居数: 2,633 軒
住居密度: 23.3 軒/km2 (60.4 軒/mi2 )
人種別人口構成
年齢別人口構成
18歳未満: 26.5%
18-24歳: 7.1%
25-44歳: 29.2%
45-64歳: 21.8%
65歳以上: 15.3%
年齢の中央値: 37歳
性比(女性100人あたり男性の人口)
世帯と家族 (対世帯数)
18歳未満の子供がいる: 31.9%
結婚・同居している夫婦: 51.1%
未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.4%
非家族世帯: 33.0%
単身世帯: 25.7%
65歳以上の老人1人暮らし: 12.2%
平均構成人数
収入
収入と家計
収入の中央値
世帯: 37,442米ドル
家族: 45,508米ドル
性別
男性: 31,807米ドル
女性: 22,788米ドル
人口1人あたり収入: 16,964米ドル
貧困線 以下
対人口: 14.4%
対家族数: 10.8%
18歳未満: 19.3%
65歳以上: 10.0%
町の中心
南会衆派教会、1910年頃
以下は町の中心(国勢調査指定地域)のみについて、2000年 の国勢調査 による人口統計データである[ 6] 。
基礎データ
人口: 4,008 人
世帯数: 1,581 世帯
家族数: 1,019 家族
人口密度 : 141.6人/km2 (366.5 人/mi2 )
住居数: 1,676 軒
住居密度: 59.2 軒/km2 (153.3 軒/mi2 )
人種別人口構成
年齢別人口構成
18歳未満: 27.0%
18-24歳: 7.7%
25-44歳: 29.8%
45-64歳: 20.1%
65歳以上: 15.3%
年齢の中央値: 36歳
性比(女性100人あたり男性の人口)
世帯と家族 (対世帯数)
18歳未満の子供がいる: 31.8%
結婚・同居している夫婦: 48.1%
未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.8%
非家族世帯: 35.5%
単身世帯: 27.8%
65歳以上の老人1人暮らし: 13.5%
平均構成人数
収入
収入と家計
収入の中央値
世帯: 35,788米ドル
家族: 44,453米ドル
性別
男性: 31,676米ドル
女性: 22,146米ドル
人口1人あたり収入: 16,389米ドル
貧困線 以下
対人口: 16.1%
対家族数: 10.7%
18歳未満: 20.6%
65歳以上: 12.9%
著名な出身者
脚注
参考文献
外部リンク