■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
トミー・エイジー(Tommie Lee Agee , 1942年8月9日 - 2001年1月22日)は、アメリカ・メジャーリーグで活躍した野球選手。外野手(主に中堅手)。右投右打。アメリカ合衆国アラバマ州マグノリア出身。1969年のワールドシリーズでのメッツ初優勝(「ミラクル・メッツ」)に貢献した。
大学野球で活躍し、クリーブランド・インディアンスと契約。1962年9月14日にメジャーデビューしたが、毎年10試合前後の出場に終わって1964年限りでシカゴ・ホワイトソックスに移籍。1965年も10試合の出場に終わったが、1966年にはレギュラーに定着して160試合に出場。打率.273、本塁打22、打点86、盗塁44の活躍でア・リーグ新人王とゴールドグラブ賞を受賞。オールスターにも出場した。ホワイトソックスは1967年まで在籍し、6選手が絡む交換トレードで1968年にはニューヨーク・メッツに移籍。
1968年は開幕から34打数ノーヒットの大不振で打率.217、わずか17打点に終わったが、1969年には、ツー・プラトン・システムが採用されて固定されたレギュラーの少ないチームにあって「一番・センター」に定着。149試合に出場して打率.271、本塁打26、打点76、得点97の活躍でチームの球団史上初のリーグ優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは、1勝1敗で迎えた第3戦で初回先頭打者本塁打を放ち、さらに2つの超ファインプレーで5得点を防ぎ、チームを勝利に導く。メッツはそのまま第4戦、第5戦に勝って、大方の予想を覆してワールド・チャンピオンに輝いた(ミラクル・メッツ)。1970年には打率.286(自己最高)、24本塁打、75打点、31盗塁、107得点の活躍で自身2度目のゴールドグラブ賞を受賞。また、同年7月6日にはサイクルヒットを達成した。
1971年以後は徐々に下降し、1973年にはヒューストン・アストロズ、同年途中にはセントルイス・カージナルスに移籍し、その年限りで現役を引退。なお、メジャー通算安打は999であった。引退後はシェイ・スタジアム近くでラウンジを経営していたが、2001年1月22日に心筋梗塞のため死去。2002年に、メッツの殿堂入りを果たした。
※1957年のみ、両リーグ合同で選出。メイズはナショナルリーグ所属選手。
※1957年のみ、両リーグ合同で選出。ミノーソとケーラインはアメリカンリーグ所属選手。
選手 03 バド・ハレルソン 04 ロン・スウォボダ 05 エド・チャールズ 06 アル・ワイス 07 エド・クレインプール 09 J.C.マーティン 10 ダフィー・ダイアー 11 ウェイン・ギャレット 12 ケン・ボズウェル 15 ジェリー・グロート 17 ロッド・ガスパー 20 トミー・エイジー
21 クレオン・ジョーンズ 22 ドン・クレンデノン(シリーズMVP) 24 アート・シャムスキー 27 ドン・カードウェル 30 ノーラン・ライアン 31 ジャック・ディローロ 34 カル・クーンス 36 ジェリー・クーズマン 39 ゲイリー・ジェントリー 41 トム・シーバー 42 ロン・テイラー 43 ジム・マッカンドルー 45 タグ・マグロウ
監督 14 ギル・ホッジス コーチ 08 ヨギ・ベラ 52 ジョー・ピニャタノ 53 エディ・ヨスト 54 ルーブ・ウォーカー
この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
Lokasi Pengunjung: 3.144.20.12