最初期のミニバン型車の1台になったであろう「フォワードコントロール・コミューター」 (Forward Control Commuter) を含む提案がなされ、西ドイツのシュトゥットガルトに所在するロイター社で3台の実走行可能なコンセプトカーが製作された。ブルック・スティーヴンスは、このトラック用プラットフォームを乗用車に転換する構想も持っていた[4]。
FC-150
1956年に発売されたFC-150は、CJ-5の81 in (210 cm)のホイールベースに78 in (200 cm)の荷台を載せていた。1958年に新しい拡幅されたシャーシを与えられ、トレッドが48 in (120 cm)から57 in (140 cm)へと広がった。1958年のFC-150コンセプトは83.5 in (210 cm)のホイールベースに広げられたトレッド(これが量産型になった)を持ち、新しいT-98型4速マニュアルトランスミッション (MT) を備えていた。このモデルの全備重量は5,000 lb (2,300 kg)であった[5]。
FC-170
1957年に発売されたFC-170は、103 in (260 cm)のホイールベースに108 in (270 cm)の荷台を載せていた。これはキャブオーバー型の配置により実現できた。1958年のFC-170コンセプトは108 in (270 cm)のホイールベースを持っていたが、これは新しい272 ci V型8気筒エンジン(フォード製Y-ブロックエンジンを基にしていた)に新しいトランスファーケースの組み合わせを必要とした。新しい3速オートマチックトランスミッション(フォード製クルーズ-O-マチックを基にしていた)は、プロペラシャフトの角度の問題から直列6気筒エンジンのみに装着できた。T-98型4速MTはV8と直6の双方のエンジンで選択できた。このモデルの全備重量は7,000 lb (3,200 kg)であった[5]。
FC-180はコンセプト・モデルという形で「1958 Projects - Product Engineering」と題されたウィリス社の企業案内の紙面に登場した。この車は本質的にはFC-170 DRWを引き延ばした(ホイールベースを103 inから120 inへ)もので、150 inの平荷台を持ち、エンジンは226 ci 直6スーパー・ハリケーンか272 ci V8から選択可、トランスミッションはT-98型4速MTか3速ATが選択可となっていた。このモデルの全備重量は10,000 lb (4,500 kg)であった[5]。
FC-190
FC-190もコンセプト・モデルという形で1957年に登場した。150 in (380 cm)のホイールベース、202 in (510 cm)の平荷台を持ち、後輪は2軸のダブルタイヤであった。T-98型MTが標準、ATはオプションで設定され、直6は搭載されずV8エンジンのみであった。FC-190はコスト低減を図るためにFC-170とFC-180の部品を使用していた。このモデルの全備重量は16,000 lb (7,300 kg)であった[5]。
93 in (240 cm)のホイールベースを使用していたFC-160(と後のFJ-160)は、マヒンドラ製かその他の架装メーカー製のピックアップ荷台が選択できた。1970年代には「カウルとシャーシのみ」のFC-160は、ミニバス、救急車やその他のボディ形式を架装するベース車として一般的であり、ほとんどは基本的にFCの顔周りのままであった。マヒンドラ製のFC-160ピックアップトラックの生産は1999年の夏に終了した。