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ザビーネ・リシキ Sabine Lisicki |
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ザビーネ・リシキ |
基本情報 |
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フルネーム |
Sabine Katharina Lisicki |
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国籍 |
ドイツ |
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出身地 |
同・トロースドルフ |
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生年月日 |
(1989-09-22) 1989年9月22日(35歳) |
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身長 |
178cm |
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体重 |
70kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
2006年 |
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ツアー通算 |
8勝 |
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シングルス |
4勝 |
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ダブルス |
4勝 |
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生涯獲得賞金 |
7,130,368 アメリカ合衆国ドル |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
4回戦(2012) |
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全仏 |
3回戦(2013・15) |
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全英 |
準優勝(2013) |
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全米 |
4回戦(2011・15) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
2回戦(2016) |
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全仏 |
3回戦(2013) |
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全英 |
準優勝(2011) |
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全米 |
ベスト8(2012) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
12位(2012年5月21日) |
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ダブルス |
35位(2012年4月9日) |
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2017年8月31日現在
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ザビーネ・リシキ(Sabine Lisicki、1989年9月22日 - )は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州トロースドルフ出身の女子プロテニス選手。
2013年のウィンブルドン女子シングルスで準優勝した選手である。これまでにWTAツアーでシングルス4勝、ダブルス4勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス35位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。本来のポーランド語の発音では「リシツキ」で、そう表記または呼称する日本のメディアもある。語源は「キツネ」(lis、読みは「リス」)。
来歴
リシキは、ポーランドから西ドイツに移住した両親 - 父親は歴史家、母親は芸術家[1]の元に生まれ、父親の手ほどきで7歳からテニスを始めた。なお、父親はドイツ移住後にテニスコーチをしながらケルンのドイツスポーツ大学に通学し、後にはポーランドのヴロツワフで博士号も取得している[1]。2006年にプロ入り。2008年の全豪オープンで4大大会に初出場。予選3試合を勝ち抜いた彼女は、本戦1回戦でディナラ・サフィナを 7-6, 4-6, 6-2 で破る勝利を挙げ、一気にキャロライン・ウォズニアッキとの3回戦まで進出した。全豪オープン終了後、リシキは女子テニス国別対抗戦・フェドカップのドイツ代表選手に選ばれ、2月2日-3日のワールドグループ1回戦で代表デビューする。ドイツ・チームはアメリカに1勝4敗で敗れたが、リシキが第1試合でリンゼイ・ダベンポートを破ってチーム唯一の勝利を収め、フェド杯代表デビュー戦を白星で飾った。同年9月の「タシケント・オープン」で初めての女子ツアー決勝戦に進み、ここではソラナ・チルステアに 6-2, 4-6, 6-7 で敗れて準優勝になった。
2009年4月19日、リシキは「ファミリー・サークル・カップ」決勝でキャロライン・ウォズニアッキを 6-2, 6-4 で破り、ツアー初優勝を決めた。翌週にフェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、ドイツはホームコートのフランクフルトで中国チームと対戦した。リシキは第1試合と最終第5試合に登場し、アンナ=レナ・グローネフェルトと組んだ第5試合のダブルス戦で、鄭潔と彭帥の組を 4-6, 7-5, 6-2 で破った。こうして、ドイツは2010年度フェドカップのワールドグループ復帰を決めた。2か月後のウィンブルドンで、リシキは3回戦で先の全仏オープン優勝者スベトラーナ・クズネツォワを 6-2, 7-5 で破った後、4回戦でもウォズニアッキに 6-4, 6-4 で連勝し、初のベスト8進出を決めた。ドイツ人女性によるウィンブルドンの8強入りは、1988年から1996年までの間に7度優勝したシュテフィ・グラフ以来10年ぶりの快挙となった。準々決勝では第1シードのディナラ・サフィナに 7-6, 4-6, 1-6 の逆転で敗れた。
2010年は、長引いた左足の関節の負傷により3月末から8月初めまで大会に出場できなかったため、ランキングが23位から179位に大幅に落ちてしまった。2011年の全豪オープンは予選で敗退した。4月のポルシェ・テニス・グランプリではサマンサ・ストーサーと組み初めてのダブルスタイトルを獲得した。全仏オープンは予選を勝ち上がったが2回戦でベラ・ズボナレワに 6-4, 5-7, 5-7 で逆転負けを喫した。全仏後のバーミンガム大会では、ツアー4度目の決勝に進出し、ダニエラ・ハンチュコバを 6–1, 6–4 で破りシングルスツアー2勝目を挙げた。
2011年ウィンブルドン選手権では主催者推薦での出場であったが、2回戦で全仏優勝者の李娜を 3-6, 6-4, 8-6 で勝利して勢いに乗り、準々決勝ではマリオン・バルトリを 6-4, 6-7, 6-1 で破り4大大会初のベスト4に進出する。準決勝ではマリア・シャラポワに 6-4, 6-3 で敗れた。サマンサ・ストーサーと組んだダブルスでも決勝に進出し、クベタ・ペシュケ&カタリナ・スレボトニク組に 3–6, 1–6 で敗れ準優勝となった。8月のダラス大会では決勝でアラバン・レザイを 6–2, 6–1 で破って優勝、シングルスツアー3勝目を挙げた。全米オープンでは2回戦のビーナス・ウィリアムズの棄権による不戦勝を得て勝ち進み、全米では初の4回戦に進出した。ベラ・ズボナレワに 2-6, 3-6 で敗れた。
2012年全豪オープンでは第14シードで出場してシードを守り、全豪では初の4回戦に進出した。マリア・シャラポワに 6-3, 2-6, 3-6 で敗れた。2012年ウィンブルドン選手権では4回戦で2012年全仏オープン優勝の第1シードマリア・シャラポワを 6–4, 6–3 で破りベスト8に進出した。準々決勝では同じドイツのアンゲリク・ケルバーに 3-6, 7-6(7), 5-7 で敗れ2年連続のベスト4入りを逃した。7月のロンドン五輪でオリンピックに初出場した。シングルス3回戦でマリア・シャラポワに 7-6(8), 4-6, 3-6 で敗れた。クリストファー・カスと組んだ混合ダブルスでは準決勝でイギリスのアンディ・マリー&ローラ・ロブソン組に敗れた後の「銅メダル決定戦」でアメリカのマイク・ブライアン&リサ・レイモンド組に 3-6, 6-4, [4-10] で敗れ銅メダルを逃した。
2013年ウィンブルドンでは、第1シードのセリーナ・ウィリアムズやアグニエシュカ・ラドワンスカなど格上を次々と下す快進撃を見せるものの、決勝では思うようなプレーができず、マリオン・バルトリに1-6, 4-6で敗れた。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 9回 (4勝5敗)
結果
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No.
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決勝日
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大会
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サーフェス
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対戦相手
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スコア
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準優勝
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1.
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2008年10月5日
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タシケント
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ハード
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ソラナ・チルステア
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6–2, 4–6, 6–7(4)
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優勝
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1.
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2009年4月19日
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チャールストン
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クレー
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キャロライン・ウォズニアッキ
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6–2, 6–4
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準優勝
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2.
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2009年10月22日
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ルクセンブルク
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ハード (室内)
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ティメア・バシンスキー
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2–6, 5–7
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優勝
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2.
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2011年6月13日
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バーミンガム
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芝
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ダニエラ・ハンチュコバ
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6–3, 6–2
|
優勝
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3.
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2011年8月27日
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ダラス
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ハード
|
アラバン・レザイ
|
6–2, 6–1
|
準優勝
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3.
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2013年2月3日
|
パタヤ
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ハード
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マリア・キリレンコ
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7–5, 1–6, 6–7(1)
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準優勝
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4.
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2013年2月23日
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メンフィス
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ハード (室内)
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マリーナ・エラコビッチ
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1–6, 途中棄権
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準優勝
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5.
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2013年7月7日
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ウィンブルドン
|
芝
|
マリオン・バルトリ
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1–6, 4-6
|
優勝
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4.
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2014年9月14日
|
香港
|
ハード
|
カロリナ・プリスコバ
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7–5, 6–3
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ダブルス: 5回 (4勝1敗)
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
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F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
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W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
※: 2011年全米2回戦の不戦勝は通算成績に含まない
脚注
外部リンク