ゲイビデオ(和製英語: Gay video)とは、男性同性愛者(ゲイ)や男性両性愛者(バイセクシュアル)向けのアダルトビデオやそのソフトのことである。男性のオナニーや男性同士のセックスなどが収められている。ホモビデオ、ゲイAVなどともいう。
1981年8月22日にフェスター・エンタプライズから日本初のゲイビデオ「青春体験シリーズ 少年・純の夏」が発売されて以来(後述)、数多くのゲイビデオメーカーが設立され、今日に至っている。
ただし、それ以前にも個人やノンケ(異性愛者)向けメーカーが撮影したゲイビデオがあった可能性もあるが、その点については検証されていない。「少年・純の夏」が日本初だというのは伊藤文學が発言していることであり、真偽は定かではない。例えば伊藤は「伊藤文學のひとりごと -日本初の男性ヌード写真集」(2005/04/30)において、「1972年4月に第二書房が刊行した写真集『脱いだ男たち』は日本初だ」と主張しているが、実際は、それより前の1961年に細江英公「薔薇刑」(集英社)、1966年に矢頭保の「体道・日本のボディビルダーたち」(ウエザヒル出版社)、1969年に同「裸祭り」(美術出版社)が出ており、伊藤の主張は事実ではない。「少年・純の夏」も日本初というのは事実なのかは疑問がもたれる。その他個人がゲイショップに持ち込んだ作品があった可能性も含め未検証である。
内容は、オナニーやフェラチオ、アナルセックスが中心だが、SMや浣腸・スカトロ、スパンキング、フィスト、コスプレなどマニア向け作品もある。ゲイあるいはバイセクシャルの男性が出演者の多数を占めるが[1]、「ノンケもの」といわれるストレート(異性愛)の男性やストレートと銘打った男性が出演する作品もある。
出演する男性モデルは、ゲイに一番人気があるとされる精悍で筋肉質なスポーツマン[2] を始め、美青年、ジャニーズ系などが主流である。「何処にでもいる学生風の兄ちゃん」というタイプも人気がある。バルク体型(スーパーマッチョ、ボディビル系)、ガチムチ(ロシア語版)、熊系、中性的な美少年、デブ専、フケ専などターゲットを絞ったものもある。加藤鷹や森林原人など、主に異性愛者向けのAVに出演している男優も起用されることがある。
ゲイビデオとはいっても2010年代以降はビデオ作品は製作されておらず(後述)、DVDやインターネット動画配信(後述)に移行している。価格は数千円〜1万5千円程度までと幅広いが、市場規模が狭小であることもあり、異性愛男性向けAVより高めである。
ゲイ・ポルノ、日本のゲイ文化#ゲイポルノも参照
日本において、ゲイビデオがゲイ向けポルノの主流になる前は、ゲイ雑誌のグラビア、官能小説、成人漫画、更には写真集や生写真等が中心を占めていた。音声のみのカセットやカセットが付いた写真集もあった[3]。写真集では1970〜80年代は梵アソシエーションの「BON」シリーズが人気で、ストームプランニング(1979年)[4]、クリエイターズ(1983年)などがあった。写真集は出していたか未検証だが、Y.B.SPORTS(1983年)[5] もあった。梵アソシエーションは他にも「虐」「年頃」「おとこ同士」など波賀九郎の写真集も出していた。それが家庭用ビデオデッキの普及に伴い、媒体がビデオテープ(VHS/ベータ)に移っていく。またゲイビデオが普及し始めたのとほぼ同時期に、ゲイポルノ映画も成人映画館で上映されるようになった[6]。
日本初のゲイビデオは、1981年8月22日にゲイ雑誌・薔薇族発行元の第二書房内に設立された、フェスター・エンタプライズから発売された「青春体験シリーズ 少年・純の夏」(制作アポロン企画)だといわれている。但し、それ以前にも1978年発売の個人が撮影したゲイビデオ「妻も子もあるいい男を責める」という裏ビデオが出回っていた。またそれ以前にもアテネ上野店[7] が1969年の設立からゲイビデオ(8ミリフィルム含む)を出していたと自称しており、1973年発行のアドンの前身であるアドニスボーイにもアテネ上野店が制作していた8ミリフィルム作品「青い麦」(ダブル8ミリ45分3000円、同カラー45分9000円)、「白い血の悦楽」(ダブル8ミリ60分3800円、同カラー60分13000円。集約編22分1600円、同カラー集約編22分4900円)の広告が掲載されている。また同年9月22日発売の第2作目「薔薇と海と太陽と」(制作ワールド映画株式会社)は好評で、翌1982年に東映セントラルで全国配給された。この頃はいわゆる「美青年」や「日本男児」によるドラマ仕立ての非常にソフトな内容で、30分ほどで2万円近くする高価なものだった[8]。
フェスター作品のヒットを皮切りに、「The Gay」編集長の東郷健、新宿エレクト[9] といったアダルトショップがオリジナル作品の制作に乗り出す。設立年は不明だが、BONアートハウス(BONビデオ、西新宿。前身は写真集メーカー・梵アソシエーション)[10]、キャッツビデオ、パインハウス(灯光)[11]、堂山ビデオ(1980年代に設立)等のメーカーもでき始めた。またこの頃は素人が撮影したインディーズ作品もポルノショップで多く売られていて[12]、現在では違法な少年愛ビデオも多かった[13]。
アダルトショップのオリジナル作品は、価格の手頃なエレクト作品(エレクト・オリジナル)が大きなシェアを占めたが、同店舗が謎の火災で焼失したため、同じ経営者が1986年に開店したルミエールがその後継作品を手がける。後に誕生した系列店・メモワールとジャンル分け(ルミエール・オリジナル=18歳以上[14]、メモワール・オリジナル=18歳未満のモデル)を経てリリース数は増加の一途を辿った(但しメモワールは少年愛以外の作品もリリースしていた)。
1980年代前半には、洋物のゲイAVも通販等で既に売られていて[15]、ゲイ雑誌に限らずノンケ向け成人雑誌にも小さな広告が載っていた。その中でジェフ・ストライカーのような人気モデルも生まれた[16]。
1980年代に入ると新世代の写真集メーカーがゲイAV界に進出する。写真集メーカーにはストームプランニング(1979年)[17]、東風終(こちしゅん)や若林靖宏のクリエイターズ(1983年設立。マンハウスの前身)[18] があり、また写真集メーカーだったかは不明だが、新宿西口甲州街道沿いのゲイショップ・パラダイス北欧(1972年開店。現アンジェロ)と提携関係にあった、Y.B.SPORTS(1983年設立。現ADONIS LAND・CDFなど)[19] も大阪で設立された。当時流行の作風は、写真集メーカーらしく業務用カメラを撮影に使い、映像美を追求し、風景やシチュエーションにこだわったものだった。またクラシカルなBGMや凝ったセット使うなど芸術性に重点が置かれていた。モデルには美青年・スポーツマンを起用し、性描写は抑制され、オナニーのみ、絡みであってもアナルセックスを伴わないソフトなもの、相互オナニーだけといった作品が多かった。
またアップル・イン(元、下着ショップ「アロー・インターナショナル」)等[20] からは8ミリビデオ作品がリリースされていたほか、個人で8ミリフィルムの撮影なども行われていたが、値段が高価で一部マニア間での普及に留まっていた。
因みに1980年代中頃のゲイビデオと写真/写真集の比率は、1985年「さぶ」のゲイショップ「エレクト」と「アンデルセンBOY」の広告(各2ページ)では、1ページが写真と写真集中心、もう1ページがビデオ中心で構成されている。
1990年代頃から、収録時間の長時間化が可能になったことで、結果的に従来のビデオメーカーに変化を迫った。 クリエイターズは1991年に解散しマンハウスとなり[21]、芸術的な作風を引き継ぎながらもややハード路線へ転換、収録時間は従来の60分から90分以上に延び、後にモデルの年齢やタイプ別に新レーベルを創設した。ストームプランニングは従来の60分から30分に短縮。価格据置きで1本を2本に分けた結果値上げ感が増し、後に収録時間を40~80分程度に伸ばしたものの、従来の性表現を抑えた芸術路線や中途半端なシチュエーションもの路線を踏襲したことも仇となり、2003年に撤退した。しかし1999年には「美少年宅配便」、2000年には「灼熱の19才」等が大ヒットを記録しており、全く人気がなかった訳ではない。Y.B.スポーツも収録時間が60分から揺らぎ出したが、ソフト路線に加えて80年代アイドル風の作りが時代とのズレを生じさせ、後に撤退した(但しCDF,ADONIS LANDなど別レーベルに引き継がれた)。
1990年前後頃から、代わって台頭し始めたのは、ブロンコ・スタジオ(1987年設立)、キャンパスビデオ(1988年設立。アイダックスの前々身)、パラダイス(1988年設立。アキ総合企画、後のアルゴスタジオ)[22]、ギンギンクルー(1988年設立。後のSPORTS MAN'S OFFICIAL VISION、96年にジャック・リードに変更)、コートコーポレーション(1993年設立。Power Gripとして第1号を出したのは1991年[23])、オフィスカワサキ(1992年設立[24])、「ガレオン」(マグマ,1993年設立[25])、ケーオーカンパニー(1994年設立)、ゲンマビデオ(1995年設立)、チークス (1995年設立[26])等の次世代メーカーであった。
キャンパスビデオは「バナナランド」シリーズの前身「キャンパス通信」シリーズで、「街角BOYS◯秘拝見コーナー」という素人ノンケのナンパ企画を始めた。このコーナーは街角の素人のんけをナンパし、アミダクジをやらせて当たったら賞金、外れたらペニスやアナル、お尻を見せるというものだった。パラダイスの作品では、面接官(川口昭美[27])が本番撮影前にモデルにインタビューしてオナニーの回数や初体験年齢などを聞き出し、モデルの本音や素顔に迫るようになった。パワーグリップもスポーツマンのナンパや面接企画、サウナでのいたずら企画などを始めた。いずれも芸術性重視の旧来メーカーにはなかった企画であり、この頃から現在のゲイAVのスタイルは確立した。こうして素人ナンパ物や少し後の本格的なSM物(80年代前半に既にポルノショップ系や素人作品のSM物はあった[28])等バリエーションの幅が広がっていった。
1990年代中後半頃からは、更に数多くのメーカーが設立された。多様な需要に応えるべく又は競争激化で差異化が必要になったこともあり、同一メーカー内でも体型・企画ごとのレーベルの濫立化が進んだ。
本格的なSM・野郎系メーカー「ガレオン・マグマ」(93年設立)は、90年代後半にかけて一世を風靡した(後撤退)。ガレオンのヒットが火付け役となり、様々なメーカーがSM作品の制作に乗り出した[29]。97年頃、体育会系専門メーカー「VIDEO EXPRESS」(オフィス アイ)が新宿2丁目で設立され[30]、「FIELD EXPRESS」と改めた後、人気絶頂の中、2006年を最後に打ち切られた。2001年頃、会社「ゲームス」(大阪)が誕生し、現在も販売を続ける老舗メーカーの一つ。コートから2001年頃に独立した体育会専門メーカー「JAPAN PICTURES」は人気を集めたが、現在は新作の制作からは撤退し、インターネット動画配信専門になっている。コートは1995年に新しく体育会専門レーベル「OUT STAFF」を設立し、1991年からリリースしていた体育会系中心の「POWER GRIP」は、街角のイケメンを中心としたレーベル色を強めていく[23]。またストーリー性重視や異性間の性行為を男性中心に撮影したレーベル[31] 等、多くの新レーベルを創設した。KOも「スタジオ・ジゴロ」「ミニ・ジゴロ」「Secret Film」(現在も存続)などのレーベルでリリースしていたが、途中からジゴロを廃し、「BEAST」「surprise!」「eros」など、体育会系からイケメン、ジャニーズJr系、ガチムチ系まで更に多くの新レーベルを創設した。この他にも、「DANK」、「サーフライダー」、「スーパースリー」、「アクシード」、「GET-Film」など、夥しい数のメーカーが設立された(参照)。
ゲイショップ系のルミエール・オリジナルは、元々、SMと浣腸・スカトロ作品が多かったが、競合メーカーの増加などもあり撤退した。一方、1999年の「児童買春・児童ポルノ禁止法」の制定など児童ポルノの規制強化の波を受け、メモワール・オリジナルも制作が打ち切られ、少年愛専門店メモワールも閉店し、元の店舗は2002年に中古専門店になった。
2000年前後からはブロードバンド化が進み、インターネットの普及も相まって、動画配信されるようになったことで、競争は更に激化している(後述)。淘汰されたゲイビデオメーカーも数多いが、作品は有料動画配信サイトから提供されていることが多い。
一般ビデオ販売店、レンタルビデオ店ではほとんど取り扱っておらず(ゲイビデオは一部を除きレンタル禁止の場合が多い。但しレンタルされていることもある)、主にゲイ向けのアダルトショップで販売されてきた。店頭販売のほか、毎月ゲイ雑誌に広告が掲載され、通信販売及びメーカーの直販で成り立っていた。
1980年代〜1990年代のゲイ雑誌は全体の1/3近くを広告が占めていて、ゲイバーなどに混ざりゲイショップやゲイAVメーカーの広告が大量に載っていた。1980年代後半頃からはゲイ雑誌の巻頭・巻中グラビアでも、ゲイビデオの最新作を紹介するようになり、読者にゲイAVの購買を促していた。しかしインターネットの普及でゲイ雑誌が衰退するに連れ、インターネット通販が主流になりつつある。2000年代初頭頃から中古専門のゲイショップも次々にオープンし、中古作品も販売されるようになっている。
閉店になったものを含む。
異性愛男性向けのアダルトビデオ同様、かつてはVHS版が主流であったが、現在はDVD(標準画質)への移行を完了している。また高画質なハイビジョン/フルハイビジョン映像が見られるブルーレイ版や3D版も登場している。
2000年代以降は、ブロードバンド化が進んだことで、インターネット上から作品をダウンロード購入できるゲイ向けアダルトサイトも登場している。パソコンのほか、携帯電話やスマートフォンから購入・視聴できるサイトもあり、各老舗メーカーや新規メーカーなどが続々と参入している。その為、新規作品であっても動画配信のみで、DVD版が発売されないこともある。
大手の動画配信サイトなどでは様々なメーカーの過去の膨大な作品が、パートごとにリーズナブルな価格で提供されているため、1作1万円以上する新作の売上が減少するというジレンマを抱えている。またインターネットで配信されると出演者の家族や知人などに発覚するリスクが高まるという不安から、出演モデルの獲得が難しくなりつつある。
異性愛男性向けのアダルトビデオとの比較では、
などのことが挙げられる。
メーカー自体はなくなっても、作品は有料動画配信サイトから提供されていることが多い。
ア行
カ行
サ行
タ行
ナ行
ハ行
マ行
ヤ行
ラ行
ワ行
アメリカや欧州などではゲイビデオという呼び方で呼ばれることは一般的でなく、あくまで『ゲイ・ポルノ』として呼ばれることが多い。
現存の会社の中では1960年代設立のコルト・スタジオ・グループが60年近く経った現在でも稼働しており、1970年代設立のファルコン・エンターテインメントがそれに続く。1990年代に入るとトレジャー・アイランド・メディアやレイジング・スタリオン・スタジオ、タイタン・メディアなど現在も続く会社が次々に設立され、2000年代以降に設立されたMen.comはその躍進により業界でもトップクラスの知名度を持つ。またKink.comはゲイ向けのKinkMenというブランドを展開している。
欧州ではBel AmiやKristen Bjornなどが有名。
タイなど東南アジアの一部では多数のゲイAVが制作されている。台湾や香港でもゲイ雑誌や写真集の刊行が増加している。一方、その他のアジアの国ではポルノ自体に厳しい規制があり、殆ど制作されていない。
ゲイポルノに向けての賞イベントはいくつも開催されている。AVNアワードでは当初カテゴリーの一つとしてゲイポルノへの賞を授与していたが、1998年からGayVNアワードとして独立した。
1980年代前半には「にんじんくらぶ」「A&Iトレーディング」などの業者が洋物ビデオを通販で売っていた[34]。またアップルイン、エレクト、カバリエ、黒猫館などの店頭でも売られていた。その後も様々な業者により扱われていて、アキ企画系のARGO STUDIOやルミエールなども洋物ゲイビデオの販売をしていた。
この項目は、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:LGBT/PJ:LGBT)。