グローリアス (HMS Glorious, 77) は[2]、イギリス海軍の艦船。
日本語ではグロリアスと表記することもある[注釈 2]。
グロリアスとは、栄光ある、名誉ある、栄光に輝く、といった意味[注釈 3]。
概要
グローリアス (HMS Glorious, 77) は、イギリス海軍が第一次世界大戦と第二次世界大戦で運用した軍艦。
姉妹艦としてカレイジャス (HMS Courageous, 50) [注釈 4]、準同型艦フューリアス (HMS Furious, 47) が存在する[注釈 5][注釈 6]。
バルト海上陸作戦のための大型巡洋艦(軽巡洋戦艦)として建造された。第一次世界大戦では第一巡洋艦戦隊に所属して第2次ヘルゴラント・バイト海戦に参加した。
ワシントン海軍軍縮条約締結後、姉妹艦カレイジャスと共に航空母艦へ改造された[注釈 7]。
第二次世界大戦緒戦時は地中海艦隊に所属していた。1940年(昭和15年)4月、ノルウェーの戦いにともない、僚艦と共にイギリス周辺海域や北海での作戦に従事する。
ノルウェーからの撤退作戦(アルファベット作戦)に従事中の6月8日、空母グローリアスと随伴駆逐艦2隻(アカスタ、アーデント)はシャルンホルスト級戦艦2隻と遭遇する[注釈 8]。艦砲射撃により、グローリアスとA級駆逐艦2隻は撃沈された(ノルウェー沖海戦)。
建造経緯
当初グローリアスは同型艦のカレイジャス、準同型艦のフューリアスと共に、大口径砲塔2基を備えたカレイジャス級巡洋戦艦(英語版)として建造された[注釈 9]。
艦種については、大型軽巡洋艦、超大型巡洋艦、魚雷巡洋艦、巡洋戦艦と表記することもある。
この3隻は沿岸部や浅海面での運用を前提とした特殊艦艇であり、強力な砲撃力と魚雷兵装、軽防御のかわりに高速力を備えていた。いわゆるハッシュ・ハッシュ・クルーザー (Hush-Hush-CRuiser) である。「大型軽巡洋艦」という名称も秘匿のためのものであり、大型・高速の「モニター艦」と評されることもある[注釈 10]。実際のところ、敵の巡洋艦を駆逐するための「巡洋艦駆逐艦 Cruiser Destroyer」という新艦種であった[注釈 6]。
魚雷発射管を増設してからは[40]、水雷巡洋艦 (Torpedo Cruiser) との呼称もある[注釈 6]。当時、イギリスに留学していた日本海軍の造船士官藤本喜久雄は[41]、31ノットという高速を発揮可能な大型艦という点に興味を持ち、他艦(空母、潜水艦など)と共に本艦の艤装図も日本へ持ち帰っている。
なお当時のイギリス海軍はR級戦艦の建造を中止してレナウン級巡洋戦艦の建造に切り替えたものの、同級巡戦を量産するための資材や兵装確保の見通しがたたず、その簡易型の建造を模索。ハッシュ・ハッシュ・クルーザーの構想や性能と合致するところが多かったので、既存の兵装、軽巡洋艦の機関部を流用して急造した簡易型主力艦が、カレイジャス級巡洋戦艦と言える。アドミラル級巡洋戦艦(フッド級)の建造が控えていたので、短時間で建造せねばならなかった。本級の設計を担当した海軍造船局長サー・ユースタス・テニスン・ダインコートによれば、バルト海侵攻作戦と同時に、通商破壊艦に対処するため、海外派遣や遠洋での行動も考慮している[注釈 11]。
グローリアスは1915年(大正4年)5月1日、ハーランド&ヴォルフ社で起工され、1916年(大正5年)4月20日に進水した。同年10月14日に引き渡され、10月23日より公試を開始する。1917年(大正6年)1月に竣工した。
バルト海上陸侵攻作戦 (Baltic Project) は中止されたため、本来の用途には使われなかった。11月27日、第2次ヘルゴラント・バイト海戦(英語版、ドイツ語版)に参加した[注釈 12]
第一次世界大戦終結後、ワシントン海軍軍縮条約が締結されて海軍休日がはじまる(ワシントン海軍軍縮条約での各国保有艦艇一覧)。同条約にともない、グローリアスとカレイジャスは軽巡洋戦艦から航空母艦へと改造され、1930年に工事を終えた。2隻から降ろされた連装砲塔4基は長く保管され、1941年(昭和16年)10月に起工したイギリス戦艦ヴァンガード (HMS Vanguard, 23) に搭載された。
設計
巡洋戦艦時代、前後15インチ主砲塔の上に滑走台を設置して航空機を搭載可能となり、後部には気球も繋留できた[49]。前部砲塔にはソッピース ストラッター、後部砲塔にはソッピース キャメルを搭載した。
- 搭載機変遷
- 39年 9月 計42機 802Sqn(シーグラディエーター×6)+812Sqn(ソードフィッシュ×12)+823Sqn(ソードフィッシュ×12)+825Sqn(ソードフィッシュ×12)
- 39年11月 計48機 802Sqn(シーグラディエーター×12)+812Sqn(ソードフィッシュ×12)+823Sqn(ソードフィッシュ×12)+825Sqn(ソードフィッシュ×12)
- 40年 4月 計29機 802Sqn(シーグラディエーター×9)+803Sqn(スクア×11)+804Sqn(シーグラディエーター×9)
- 40年 6月 計18機 802Sqn(シーグラディエーター×9)+823Sqn(ソードフィッシュ×9)
艦歴
第一次世界大戦
グローリアスは1917年(大正6年)1月に艦隊に就役、第三軽巡洋艦戦隊 (3rd Cruiser Squadron) に配属された[50]。当時、イギリスと大日本帝国は同盟国であり、連合国であった。日本は観戦武官を多数派遣しており、日本海軍の山口熊平(海軍少佐)が[51]、グローリアスに乗り込んだ[52]。
つづいて第一巡洋艦戦隊 (1st Cruiser Squadron) 所属となったグローリアスとカレイジャスは、フィルモア提督の巡洋戦艦レパルス (HMS Repulse) などと共に11月17日の第2次ヘルゴラント・バイト海戦(英語版、ドイツ語版)に参加した。観戦武官の山口少佐も、グローリアスに乗艦して海戦を見聞した[53]。この海戦でグローリアスは57発の主砲弾を放ち、僚艦カレイジャスとともに一発の主砲共同命中を得た[50]。
1918年(大正7年)11月5日、フォース湾に停泊中のイギリス艦隊を突風が襲い、水上機母艦カンパニア (HMS Campania) が走錨し、最初にR級戦艦ロイヤル・オーク (HMS Royal Oak, 08) と、次にグローリアスと衝突した。カンパニアは浸水により沈没した。
12月3日までグローリアスに乗艦していた山口熊平中佐は[52]、日本に帰国後[54]、1921年(大正10年)9月14日に死去した[55]。
戦間期
第一次世界大戦終結後、カレイジャスとともに砲術学校付練習艦を経て予備艦隊配属となった[50]。
1921年(大正10年)11月から1922年(大正11年)2月にかけて、ワシントン会議が開かれる。列強各国はワシントン海軍軍縮条約を締結、この中には戦艦や巡洋戦艦を航空母艦に改造する条項が盛り込まれていた。イギリスは巡洋戦艦フッド (HMS Hood) の建造中姉妹艦2隻を空母に改造する権利を得たが、すでに航空母艦フューリアスを保有している関係上、準同型艦のカレイジャスとグローリアスを空母に改造することにした[注釈 13]。
1924年(大正13年)から1930年(昭和5年)にかけて空母フューリアス (HMS Furious, 47) に準じた性能の空母に改装された[50][58][59]。
フラッシュデッキ式の飛行甲板を持つ多段式空母だったフューリアスに対し、グローリアスとカレイジャスは船体右舷に煙突と一体化した艦橋をもつアイランド・タイプの2段飛行甲板式空母であった。
こうして完成したグローリアス級航空母艦(カレイジャス級航空母艦)3隻は、英国海軍の主力空母へと変貌を遂げた[注釈 14]。さらに、1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)における近代改装の結果、横索式着艦制動装置やカタパルト2基の配備、飛行甲板増高、対空兵装の強化を行うとともに、搭載機数も48機に増加した[58]。
第二次世界大戦
1939年(昭和14年)6月15日、グローリアス艦長はラムリー・リスター (Lumley Lyster) からG・ドイリー=ヒューズ (Guy D'Oyly-Hughes) 大佐に交替した。
9月初頭、第二次世界大戦が勃発する。開戦時、グローリアスは地中海艦隊 (Mediterranean Fleet) に所属していた。同年10月、グローリアスはスエズ運河を通ってインド洋に入り、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) のドイッチュラント級装甲艦(ポケット戦艦)アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) 捜索に短期間従事した[注釈 15]。
1940年(昭和15年)4月初旬、イギリスはノルウェーの要所ナルヴィクとトロンハイムを占領するR4計画と、沿岸部への機雷敷設を目的としたウィルフレッド作戦を準備した。イギリス海軍の本国艦隊 (The Home Fleet) は、ノルウェー沖に展開したり、出撃準備を整えていた。ところがドイツ軍がヴェーザー演習作戦を発動し、イギリスより先にノルウェーとデンマークに攻め込んだ(ノルウェーの戦い、デンマークの戦い)[注釈 16]。
グローリアスは本国海域に呼び戻された。この年のうちに、グローリアスには既存のライトグレー(507C)に黒を加えた非公式な迷彩がなされた[注釈 17]。
続く4月23日に、グローリアスと空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) はイギリスに到着し、翌日ノルウェー海域へ出撃した。同方面に展開したイギリス大型空母3隻(フューリアス、グローリアス、アーク・ロイヤル)はノルウェーのドイツ軍陣地に対し、その搭載機による攻撃をおこなった。またイギリス空軍 (Royal Air Force) 航空部隊の輸送任務にも従事した。4月27日、グローリアスは給油のためイギリスに戻ったが、5月1日には再びノルウェーに戻った。5月28日、グローリアスはホーカー ハリケーン戦闘機隊をバルドゥフォスへ運んだ。
連合軍はナムソスの戦いで敗れ、西部戦線でも大敗した。6月初旬にアルファベット作戦を発動すると、ノルウェーからの撤退を開始する。グローリアスを含めた本国艦隊の主力艦も同作戦とその掩護に従事した。6月2日、グローリアスの搭載機はナルヴィクからの撤退を支援した。既述のようにイギリス空母3隻は航空機輸送任務にも従事しており、今度はノルウェーに展開していたイギリス空軍の収容と撤収を実施する。
6月8日、陸上基地から移された第263飛行隊 (No.263 Squadron RAF) 所属の10機のグロスター グラディエーターと、第46飛行隊 (No. 46 Squadron RAF) 隊所属の8機のホーカー ハリケーンを載せたグローリアス(艦長ヒューズ大佐)は、駆逐艦アカスタ (HMS Acasta, H09) とアーデント (HMS Ardent, H41) に護衛されスカパ・フローへ向かっていた[注釈 18]。
折しもドイツ海軍はユーノー作戦を発動しており、ヴィルヘルム・マルシャル中将(旗艦グナイゼナウ)が率いる巡洋戦艦 (高速戦艦) グナイゼナウ (DKM Gneisenau) とシャルンホルスト (DKM Scharnhorst) 、重巡アドミラル・ヒッパー (Admiral Hipper) 、駆逐艦4隻、タンカー1隻がノルウェー沖で行動していた。
午後4時45分、マルシャル提督直率のシャルンホルスト級戦艦2隻がグローリアス部隊を発見、追跡を開始する。ドイツ側記録で午後5時30分頃よりシャルンホルストが砲撃を開始、つづいてグナイゼナウも砲撃を開始する。艦上機ソードフィッシュを発進させる前にドイツ戦艦が発射した主砲弾がグローリアスに命中し、発艦不能となる[注釈 19]。随伴艦アカスタが魚雷攻撃でシャルンホルストを中破させたが、それ以上の戦果はなく、イギリス側3隻はいずれも撃沈された。グローリアスの沈没時刻は、午後7時頃であったという。A級駆逐艦2隻の乗員を含む40名程度が救助された[94][注釈 20]。第46飛行隊のケネス・クロス(英語版)少佐や、パトリック・ジェイムソン(英語版)は、漂流したあとノルウェー船に救助されている。
グローリアスの沈没によりイギリス海軍の保有空母は5隻に減少し[注釈 21]、イラストリアス級航空母艦が竣工するまで厳しい空母運用を余儀なくされた[注釈 22]。
出典
注釈
- ^ しばしばカレイジャス級航空母艦と表記することもある。
- ^ 航空母艦“ハーミーズ Hermes” 全要目{排水量10,850噸 速力25節 備砲13.8糎砲6門 10糎高角砲3門 搭載機數20機 起工1918年1月 竣工1923年5月 建造所不詳} 此艦は英國海軍が航空母艦として計畫した最初のものである。全長182.26米、幅21.33米、平均喫水5.50米、飛行甲板の幅27.43米。上記の兵装の外に小砲計26門を有す。
航空母艦“カレツヂアス Courageous” 全要目{排水量22,500噸 速力30.5節 備砲13.8糎砲10門 10糎高角砲6門 巡洋戰艦より改造せるもの 搭載機數36機 起工1915年5月 竣工1917年1月 建造所アームストロング會社} 尚英國には以上の外に“アルガス Argus”14,450噸、20.2節。及び“グロリアス Glorious”22,500噸、30.5節の2隻の航空母艦がありこの艦種に於ては列強中特に整備充實されてゐる。
- ^ イギリス海軍の非公式な渾名は“やかましや”。
- ^ 〔英國〕航空母艦カレヱジアス 全長786呎 幅81呎 吃水22呎 排水量18,600噸 備砲(4.7吋-16門 外に小口徑砲-18門) 速力31節 本艦は姉妹艦グローリアスと共に1917年竣工の巡洋艦を1924年に至り航空母艦に改装さるゝことゝなつたものである。竣工1928年4月 グローリアスの改装工事は1930年1月完成せり。
- ^ 〔英國〕航空母艦フューリアス 全長786呎 幅90呎 吃水22呎 排水量19,100噸 速力31節 備砲(5.5吋-10門 4吋高角-6門) 本艦は舊カレヂアスおよびグローリアスと大型巡洋艦として起工せられたるものを途中航空母艦に改造したものである。
- ^ a b c 大正七年十月 英國駐在海軍造船大技士 藤本喜久雄 英國巡洋艦驅逐艦「グロリアス」ニ就テ[15]
本艦ハ前述ノ通リ開戰後ニ計画サレ特ニ“Cruiser Destroyer”ト稱セラルヽ新艦型ニシテ(海軍省ノ発表デハ戰闘巡洋艦中ニ編入)“Courageous”及ビ“Furious”ノ二姉妹艦ヲ有ス。
其ノ特点ハ高速力(約31浬)ト大口径主砲(「グロリアス」及「カレジアス」ハ15吋砲4門マタ「フュリアス」ハ18吋砲1門)トニアリ。然レドモ其ノ防禦弱キト(3"HF)大口径砲数ノ少ナキトノ為メカ兎角失敗ノ評スラ一部ニアリ。特ニ「フュリアス」ノ18吋砲ノハ結果面白カラザリシ為メカ此レヲ取外シ飛行機母艦ニ改造セリ。本年三月「グロリアス」及「カレジアス」ヲ改造シテ水上21吋水雷発射管(固定)12門ヲ据付ケタレバ更ニ“Torpedo Cruiser”トモ稱シ得ル様ニ変形セリ。(改造前ニハ水中発射管二門ヲ有セリ)。
本艦型ノ實戰上ノ價値ハ別問題トシテモ近時各艦型ヲ通ジテ著シク速力ヲ増加スルニ至リシ結果本艦ノ如キ速力ノ大ナル大型艦ハ研究ノ價値アルモノト信ズ。
- ^ 航空母艦“フューリアス Furious” 全要目{排水量22,450噸 速力31節 備砲 13糎高角砲10門 10糎高角砲4門 搭載機數33機 起工 1915年6月 竣工 1917年 1918年改装 建造所 アームストロング會社} 英國海軍の誇る三大航空母艦の一つで、その全長239.63米、幅27.13米、平均吃水6.40米。飛行甲板の長さ213.36米でその幅24.34米に達す。速力31節の軸馬力は90,000馬力で巡洋戰艦を改造したものである。
外に機銃其他小砲實に54門を有す。搭載機は戰闘機1個中隊(ニムロツド、フライキャッチャー9機) 哨戒偵察機1個中隊(フェアリーIII F12機) 雷撃機1個中隊(リツボン12機)と發表されてゐるが、今日では更に新鋭機を搭載してゐることだらう。ほゞ同排水量の二段甲板の母艦に“カレヂアス Courageous” “グロリアス Glorious”の大型航母がある。
- ^ ドイツ海軍はユーノー作戦を発動してノルウェー沖に展開しており、ヴィルヘルム・マルシャル中将直率の高速戦艦2隻(グナイゼナウ、シャルンホルスト)がグローリアス等を捕捉した。
- ^ カレイジャスとグローリアスは15インチ(38センチ)連装砲塔2基(合計8門)、フューリアスは18インチ(46センチ)単装砲2基(竣工時は単装砲1門)を装備した。
- ^ 海防艦(海防戦艦)と表記する二次資料もある。
- ^ 本級の建造時、インド洋ではドイツ帝国海軍の軽巡エムデン (SMS Emden) が活動し、シーレーンを脅かしていた。
- ^ 第1巡洋艦戦隊(カレイジャス〈旗艦〉、グローリアス)、第1軽巡戦隊、第6軽巡戦隊、第1巡洋戦艦戦隊(ライオン〈旗艦〉、プリンセスロイヤル、タイガー、ニュージーランド、レパルス〈副旗艦〉)、駆逐艦19隻。
- ^ アメリカ海軍はレキシントン級巡洋戦艦を、日本海軍は天城型巡洋戦艦を(関東大震災により天城は戦艦加賀に差し替え)、フランス海軍はノルマンディー級戦艦を改造対象に選んだ。
- ^ 世界的に見ても、カレイジャス級3隻に匹敵する性能の大型空母は、アメリカ海軍のレキシントン級航空母艦2隻(レキシントン、サラトガ)、日本海軍の赤城と加賀しかいなかった。
- ^ 11月、グラーフ・シュペー(艦長ラングスドルフ大佐)はアフリカ大陸南部を航行してインド洋に進出し、短期間マダガスカル南方海域で活動した。12月初頭の時点では、南大西洋に戻っている。
- ^ 本作戦中の4月9日、ウィットワース提督のイギリス巡洋戦艦レナウン (HMS Renown) がリュッチェンス提督指揮下のシャルンホルスト級戦艦2隻と遭遇し、グナイゼナウに損害を与えた。だが撃沈できないまま逃げられている。
- ^ 第二次世界大戦が勃発すると、英艦船には直ちに迷彩塗装がなされたが、海軍省指定迷彩の策定は1941年にまでもつれ込んだ[80]。そのため、その間における『非公式』な迷彩塗装は各艦の艦長にその裁量が委ねられていた[80]。
- ^ グローリアスが連合軍輸送船団から遠く離れ、先行してイギリス本土へ急いでいた理由は、現在でも結論が出ていない。
- ^ ドイツ側記録では、17時38分に最初の命中弾を確認した。不思議なことに、グローリアスは上空に1機を警戒機もあげておらず、また飛行甲板にも機体を並べていなかった。またドイツ艦と遭遇しながら、なかなか救援の無電を発信しなかった。
- ^ イギリス側3隻の合計戦死者は、約1,500名と記録されている。グローリアスに便乗中の空軍兵士41名も戦死した。
- ^ 正規空母アーク・ロイヤル、改造空母フューリアス (HMS Furious, 47) 、改造空母イーグル (HMS Eagle) 、軽空母ハーミーズ (HMS Hermes, 95) 、軽空母アーガス (HMS Hermes, 95) である。
- ^ 本艦の姉妹艦カレイジャス (HMS Courageous, 50) は、第二次世界大戦開戦直後にU-29の雷撃で撃沈されている。
脚注
参考文献
- 岡部, いさく 著、小川 光二 編『英国軍艦勇者列伝 Legend of British Fighting Ships』(初版)大日本絵画、東京都,千代田区、2012年6月。ISBN 9784499230865。
- 木俣滋郎『大西洋・地中海の戦い ヨーロッパ列強戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年2月(原著1986年)。ISBN 978-4-7698-3017-7。
- エドウィン・グレイ 著、都島惟男 訳「第四章「友人として来たのです」ノルウェー侵攻作戦」『ヒトラーの戦艦 ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇』光人社〈光人社NF文庫〉、2002年4月。ISBN 4-7698-2341-X。
- 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史」(海人社)
- 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「<第1部> 近代巡洋艦の成長」『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。
- ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8。
- リチャード・ハンブル 著、実松譲 訳『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫(26)〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9。
- 福井静夫 著「“ハッシュ・ハッシュ”巡洋艦の話」、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想 第八巻 世界巡洋艦物語』光人社、1994年6月。ISBN 4-7698-0656-6。
- 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第三巻 世界空母物語』光人社、2008年8月。ISBN 978-4-7698-1393-4。
- カーユス・ベッカー 著、松谷健二 訳「第2部 ノルウェーをめぐる賭け」『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』フジ出版社、1973年7月。
- ドナルド・マッキンタイヤー 著、寺井義守 訳「1.海軍航空化への道ひらく」『空母 日米機動部隊の激突』株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫23〉、1985年10月。ISBN 4-383-02415-7。
- 「BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR」(Naval Institute Press)
- Wright, Malcolm (2016) (英語). British and Commonwealth Warship Camouflage of WW II: Battleships & Aircraft Carriers. 2. 47 Church St., Barnsley S70 2AS: Seaforth Publishing. ISBN 9781848322530
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『6年11月1日「水雷に関する見聞報告」其の1』。Ref.C10100828900。
- 『6年11月21日 英独前進部隊の戦闘に関する報告其の1』。Ref.C10100829000。
- 『7年4月15日 大正6年11月17日「ヘリゴランド・バイト」に於ける英独前進部隊の戦闘報告の追補』。Ref.C10100829100。
- 『7年3月28日「水雷に関する見聞報告」其の2』。Ref.C10100829400。
- 『水雷に関する報告其の3付図』。Ref.C10100829500。
- 『8年10月30日 英国巡洋艦駆逐艦「グローリアス」艤装図21葉提出の件(1)/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100831300。
- 『8年10月30日 英国巡洋艦駆逐艦「グローリアス」艤装図21葉提出の件(2)/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100831400。
- 『8年7月1日 任務遂行及び予定報告の件 英国巡洋艦「グローリアス」に就いて 英国大型軽巡洋艦「フロービシャ」に就いて/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100831600。
関連項目
外部リンク