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ウーファ (UFA)は、1917年 から1945年 の間、ヴァイマル共和政 下と第二次世界大戦 中にかけて隆盛を誇ったドイツ の映画 会社である。当時の正式名称は Universum Film AG であった。現在でも UFA GmbH としてポツダム のバーベルスベルク 地区に本社をおき、ベルテルスマン グループ傘下の番組制作会社となっている。
歴史
ウーファは1917年、第一次世界大戦 のためのプロパガンダ映画 や公共映画を制作する制作会社としてベルリン に設立された。政府の命令であったが、資金はドイツ銀行 の元重役エミル・ゲオルク・フォン・シュタウス が代表したコンソーシアムが拠出した。1925年にハリウッド のパラマウント映画 とメトロ・ゴールドウィン・メイヤー を相手方にパルファメト協定をむすんだ。この協定は、二国間で作品の輸出を認め合い、見返りにウーファが1700万ドルを受け取るというものだった。
ヴァイマル時代
ベルリンのテンペルホーフ (ドイツ語版 ) にあった撮影スタジオ(1920年)
1921年に民営化され、毎年600本もの作品を送り出すドイツ映画界を代表する制作会社となり、その作品は国際的にも高い評価を得るようになって行く。活躍した映画監督には『ドクトル・マブゼ 』(1922)や
「美と力への道 」(1925)『メトロポリス 』(1926)のフリッツ・ラング 、『吸血鬼ノスフェラトゥ 』(1921)や『最後の人 』(1925)のF・W・ムルナウ 、『嘆きの天使 』(1930)のジョセフ・フォン・スタンバーグ 、『南の誘惑 (ドイツ語版 ) 』(1937)のダグラス・サーク などがいる。
俳優では、エミール・ヤニングス 、ポーラ・ネグリ 、コンラート・ファイト 、マレーネ・ディートリヒ 、ヴェルナー・クラウス 、リリアン・ハーヴェイ 、ヴィリー・フリッチ 、ハンス・アルバース 、ヤン・キープラ (ドイツ語版 ) 、マルタ・エゲルト などがサイレント からトーキー 初期にかけて活躍した。
実験的な作品や過激な作品も制作する一方、ドイツ映画特有のジャンルである山岳映画 (ドイツ語版 ) も製作。『モンブランの嵐 (ドイツ語版 ) 』(1931)のアーノルド・ファンク をはじめ、ハンネス・シュナイダー やレニ・リーフェンシュタール などを生み出している。
一方ではトーキー作品も多く作られ、前述の『嘆きの天使 』(1930)、『制服の処女 』(1931)などのシリアスな劇映画、『ガソリンボーイ三人組 (ドイツ語版 ) 』(1930)、『狂乱のモンテカルロ (ドイツ語版 ) 』(1931)、『会議は踊る 』(1931)、『三文オペラ 』(1931)『ワルツ合戦 (ドイツ語版 ) 』(1933)などのシネオペレッタ と呼ばれる音楽映画が相次いで製作され、レベルの高い作品と楽しい主題歌は世界中でヒットした。
1920年代後半には財政難に陥り、1927年に実業家のアルフレート・フーゲンベルク によって買収された。フーゲンベルクは後に右翼のドイツ国家人民党 党首となり、党のプロパガンダ としても映画を利用した。
ナチス時代
ウーファを視察するヒトラー とゲッベルス
1933年に選挙で選ばれたヒトラー が政権を取ると、国家人民党はナチス と連立を組みフーゲンベルクはヒトラー内閣 の経済相・農相となった。このような経緯によって、ウーファはナチスのプロパガンダ 映画も製作するようになる。また、「ウーファ・パラスト」(ウーファ宮殿)と呼ばれた豪奢な映画館も、大都市に建設された(ベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォー など)。
さらに1937年にはナチ党 がウーファの株を72%取得、宣伝大臣 ヨーゼフ・ゲッベルス は、映画の力を重要視しウーファの人事権や経営権に介入、1942年には完全に国有化される。この間にフリッツ・ラング やエルンスト・ルビッチ 、ビリー・ワイルダー やマレーネ・ディートリヒなどのユダヤ系・反ナチスの映画関係者が海外に亡命している。
ナチス政権 下では、『突撃隊員ブラント (ドイツ語版 ) 』、『ヒトラー少年クヴェックス (ドイツ語版 ) 』、『ユダヤ人ジュース 』、『ロスチャイルド家 』などのプロパガンダ映画がつくられる一方、『誓ひの休暇 (ドイツ語版 ) 』、『ほら男爵の冒険 』などの良作も製作された。映画人も、エミール・ヤニングス やヴェルナー・クラウス 、ツァラー・レアンダー などのスターが残ったが、かつての高レベルの映画を作る勢いはなかった。
1939年 9月の第二次世界大戦 勃発後も映画活動は続けられ、戦意高揚を主な目的に多数の作品が製作された。1945年 1月、ソ連軍 の砲火が迫る中、ゲッベルスの肝いりで制作された最後の大作『コルベルク 』が封切られたが、もはや国内は映画どころではなかった。5月にドイツが降伏 して以降、『コルベルク』の上映は禁止された。
戦後
第二次大戦後にはナチスとの関連が要因で、活動を停止する。政治にまったく関係のない映画作品であっても、ウーファの名前を削って再発するという事態にまでなる。東ドイツ にあったスタジオは「Deutsche Film AG 」(de:DEFA ) として存続したが、ドイツ再統一 後の1990年 に倒産。西側でもウーファを復興させようという動きがあったが、失敗に終わった。会社自体は1991年 以来、ベルテルスマン グループ傘下のテレビ 番組の制作会社として残っている。
関連文献
クラウス・クライマイアー著、平田達治、宮本春美、山本佳樹、原克、飯田道子、須藤直子、中川慎二訳『ウーファ物語 ある映画コンツェルンの歴史』(鳥影社 ・ロゴス企画部、2005年)
外部リンク