アンジューの領主一覧では、アンジューの統治者並びに名目上の称号保持者を列挙する。
歴史
アンジュー伯の称号は9世紀に西フランク国王シャルル2世禿頭王からロベール豪胆公へ初めて授けられた。インゲルゲリウス(アンジュジェ)及びその息子達は、インゲルゲリウスの息子であるフルク1世赤顔伯 がアンジュー伯の称号を奪取するまでアンジェの子爵であった。ロベール家及びその後身であるカペー家はヴァイキングとの争いや他の関心ごとにそらしていたことから、270年以上後のフランス国王フィリップ2世の統治まではアンジュー伯領(fr)を回復することは出来なかった。
インゲルゲリウス家の男系はジョフロワ2世鎚伯の代で絶えた。 それ以後のアンジュー伯はジョフロワ2世の姉妹であるエルマンガルドとガティネ伯(fr)ジョフロワ2世夫妻の子孫である。イングランド・プランタジネット家をも含む夫妻の男系子孫はフランス国王によって支配されるまでこれらの称号と財産を掌握し続けた。その後、アンジュー伯の称号は1360年以降になるとアンジュー公 の称号がしばしばヴァロワ家及びブルボン家のフランス王族に授けられた。
イングランドにおけるヨーク公の称号と同じく、初期における創設時を除いてアンジュー公の称号を受け取った者は皆それを伝え残すことが出来なかった。男子の後継者を残すことなく死ぬと、アンジュー公はフランス国王ないしその相続人のもとに返還されたのである。
アンジュー公の称号はルイ14世の孫フィリップがスペイン国王フェリペ5世として即位するまで有していた。それ以来、今日に至るまでスペイン・ブルボン家のレジティミスト王位請求者の一部がアンジュー公を称している。また、オルレアニスト王位請求者アンリの甥シャルル=フィリップもアンジュー公を称している。
アンジュー伯
ロベール家
アンジェルジェ(アンゲルガリウス)家
1204年にアンジューはフランス国王フィリップ2世の手に渡った。アンジューは扶持として改めてルイ8世の三男で1232年に13歳で死去したジャン、その後は同じく末子で後のカペー系アンジュー朝初代シチリア国王となるシャルルに与えられた。
カペー家
アンジュー=シチリア家
1290年にマルグリットがフランス国王フィリップ4世の弟ヴァロワ伯シャルルと結婚したことで、彼がマルグリットの後継者としてアンジュー伯となった。
ヴァロワ家
アンジュー公
1次創設 1360年 - 1481年 : ヴァロワ=アンジュー家
シャルル4世の死によってアンジュー公領は王領へ返還された。
2次創設 1515年 - 1531年 : サヴォイア=ブレッセ家
3次創設 1566年 - 1576年 : ヴァロワ=アングレーム家
4次創設 1576年 - 1584年 : ヴァロワ=アングレーム家
5次創設 : 1608年 - 1626年 : 古ブルボン=オルレアン家
6次創設 : 1640年 - 1660年 : ブルボン=オルレアン家
7次創設 : 1668年 - 1671年 : フランス・ブルボン家
8次創設 : 1672年 : フランス・ブルボン家
9次創設 : 1683年 - 1700年 : スペイン・ブルボン家
10次創設 : 1710年 - 1715年 : フランス・ブルボン家
11次創設 : 1730年 - 1733年 : フランス・ブルボン家
12次創設 : 1755年–1795年: フランス・ブルボン家
名目上のアンジュー公
1883年–現在 : スペイン・ブルボン家
シャンボール伯アンリ没後、スペイン国王フェリペ5世の子孫が生き残ったルイ14世の唯一の男系子孫となった。その中でスペイン王位請求者であるカルリスタの年長者がカペー家の長老となった。彼等の内、何人かが儀礼称号(名目上の称号)である アンジュー公を有していた。
1936年にアルフォンソ・カルロス(シャルル5世)が死ぬとカペー家長老の地位はスペインの廃王アルフォンソ13世に渡った。 1941年にセゴビア公ハイメは父アルフォンソ13世(レジティミスト王位請求者としてはアルフォンス1世)からルイ14世の男系相続人を継承したことでレジティミストのフランス王位請求者となり、アンジュー公の称号を採用した。
2004–現在 : ブルボン=オルレアン家
2004年12月8日にオルレアニストのフランス王位請求者フランス公アンリは甥シャルル=フィリップ・ドルレアン にアンジュー公の称号を授けた。アンリにとってはアンジュー公の称号はルイ5世(フランス王ルイ18世)が死去した1824年以降は使用可能であった。何故ならばアンリはスペイン・ブルボン家の儀礼称号を認めていなかったからである。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク