アルファミュージック(Alfa Music, Inc.)は、1969年に設立された日本の音楽出版社。1998年にレコードやCD制作からは撤退し、2019年にソニー・ミュージックパブリッシングの完全子会社となり、その後、2022年4月1日付を以て同社に吸収され法人格が完全消滅し、社内カンパニーとなったほか、原盤権はごく一部を除き、全てソニー・ミュージックレーベルズに移管された。
概要
1969年、村井邦彦が音楽出版社アルファミュージック(初代)を設立。
1970年、村井が川添象郎、ミッキー・カーチス、内田裕也、木村英樹とともに「マッシュルーム・レコード」を設立。
1972年、外車ディーラー最大手のヤナセの会長(当時)・梁瀬次郎と、原盤制作会社としてアルファ&アソシエイツを設立。東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン・Virgin Musicレーベル/EMI RECORDSレーベル)のリバティ・レーベルに販売を委託した赤い鳥や荒井由実(現・松任谷由実)、ハイ・ファイ・セットなどの「アルファ&アソシエイツ」、日本コロムビアのデノン・レーベル(のちに「Blow Up」に改称)に販売を委託したGARO、小坂忠などのアーティストを送り出す。
1977年、レコード会社アルファレコード(Alfa Records Inc.)設立、「アルファ&アソシエイツ」「マッシュルーム」の音源発売権も同社に移行。サーカス、カシオペア、イエロー・マジック・オーケストラの成功で知名度も大きく上がる。
1978年、アメリカのA&Mレコードの販売権をキングレコードから移管。ハーブ・アルパート、クインシー・ジョーンズ、セルジオ・メンデス、ニュー・ウェイヴのポリス、ジョー・ジャクソンなどが次々とヒットした。
1980年、アルファ&アソシエイツがヤナセグループに入る。同年、ロサンゼルスにおいて現地法人「アルファアメリカ」設立(1983年に撤退)。
この時期村井が、アルファミュージックの運営に参加していた当時の妻「大橋一恵(作詞家・訳詞家での筆名:大橋一枝)」と離婚[1]。その際、大橋がアルファミュージックの経営を引き継いで分離独立し、社名を「ケイ・ミュージック・パブリシング」(Kay Music Publishing)に変更する。以降のケイ・ミュージックは大橋がエグゼクティブプロデューサーとなって原盤製作およびアーティストマネジメントも開始し、児島由美・山口美央子・山本達彦・クリスティらを手掛ける。一方の村井は、アルファミュージックの分離以降の楽曲を管理する音楽出版社「1980 Music Inc.」を設立し、アルファレコードの楽曲出版権はケイ・ミュージック・パブリシングと1980 Musicの2社で管理される。
1982年、兄弟会社として、小杉理宇造と山下達郎がアルファ・ムーンを設立。
1985年、村井が退職。
1990年代初頭、当時の主要株主であったヤナセが、バブル崩壊により資本を引き揚げる。そして1994年、別資本が立ち上がり、アルファレコードの業務は新会社に移管される。移管された新会社はアルファミュージック(2代目、Alfa Music CO.,LTD.)に社名を再変更、ケイ・ミュージック・パブリシングを経営していた大橋が社長に就任する。アルファ・ムーンはアルファレコードから独立し、ワーナー・ミュージック・グループ傘下となる(後にMMG → イーストウエスト・ジャパンを経てワーナーミュージック・ジャパンに吸収合併)。
1995年、東京都港区に所有していた自社スタジオ「Studio A」を閉鎖。
1998年10月、社員のほとんどを解雇し事業規模を縮小。レコード制作から撤退し、原盤管理会社として残る。
1999年、ケイ・ミュージック・パブリシングと合併[2]。この合併にて(2代目)アルファミュージックの法人格が消滅し、アルファレコードの全楽曲管理がケイ・ミュージックに移動する。同時に、ケイ・ミュージックがアルファミュージック(Alfa Music CO.,LTD.)に社名を変更する。ケイ・ミュージックが「アルファミュージック(初代)の社名変更」であることから、この合併により、設立当時の法人格に戻ったことになる。
2001年4月、全世界での使用も含めた著作権管理および原盤使用権をソニー・ミュージックパブリッシングに委託。それ以降は基本的に、ソニー・ミュージックダイレクト(現・ソニー・ミュージックレーベルズ)から旧譜が復刻発売(販売委託はソニー・ミュージックディストリビューションズ → ソニー・ミュージックマーケティング → ソニー・ミュージックソリューションズが担当)されているが、例外として荒井由実とLOGIC SYSTEM[注 1]の音源はユニバーサル ミュージック ジャパンが、松山千春[注 2]の音源は日本コロムビアがそれぞれ販売委託。
設立から半世紀を迎えた2019年4月1日、ソニー・ミュージックパブリッシングが大橋より全株式を取得し、同社の完全子会社となる[3]。それに伴い、ソニー・ミュージックパブリッシングの見上チャールズ一裕が社長に就任する。
レコード会社として独立後、販売元は当初ビクター音楽産業(後にビクターエンタテインメント〈初代〉を経てJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントに一旦改称し、再度ビクターエンタテインメント〈二代目〉に回帰)であったが、1998年にレコード制作から撤退するまでの間、ワーナーパイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)→日本コロムビア→東芝EMIと販売元の系列替えがあった[注 3]。
洋楽部門では、A&Mレコードのほか、一時期ゾンバ・レコード、ミュート・レコードなどの国内盤の発売元のほか、ユーロビートのコンピレーションCD「ザッツ・ユーロビート」シリーズを定期的に出しており、カイリー・ミノーグなどを日本に紹介した。
2020年4月24日 (2020-04-24)、アルファミュージック創立50年を機にソニー・ミュージックグループでの再出発と、創立50年プロジェクト「ALFA50」の始動を発表。プロジェクトの始動に併せ、アルファミュージックの公式サイトやTwitterなどのSNS公式アカウントを立ち上げた。その第1弾として、全世界配信ストリーミングサービスを開始。吉田美奈子、佐藤博、ハイ・ファイ・セットのアルバムが各音楽配信サイトおよびストリーミングサービスで解禁された[4]。
2024年、アルファミュージック創立55周年プロジェクトとして、制作活動を再開。第一弾としてRYUSENKEI(「流線形」から改称)のアルバムを4月にリリースした[5]。同年、かつて1977年に細野晴臣とアルファレコードがプロデューサー契約を結び、その第1作として制作されていたもののレコーディングから47年間お蔵入りとなっていたリンダ・キャリエールのアルバム『Linda Carriere』が、アルファミュージックに保管されていたマルチテープを用い、細野立ち合いのもと、GOH HOTODAがミックスを施し商品化が実現。CDの発売日はアルファミュージックの創立記念日にあたる7月17日に、アナログ盤はアルファミュージック創立55周年プロジェクトの一環として8月3日にソニー・ミュージックレーベルズよりそれぞれリリースされた[6]。
邦楽レーベル
洋楽レーベル(ライセンス、サブライセンスを含む)
ザッツ・ユーロビート シリーズのみ、制作:アルファ・ミュージック、販売:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンの4タイトルが存在する。
所属アーティスト
Alfa(ケイ・ミュージック所属・制作も含む)
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行
YEN
あ行
か行
さ行
た行
は行
G.M.O.
HYS
EDGE
NEWS
ZAZA
参考文献
- 『ジャズ名門レーベル大事典 Swing Journal 1999年5月臨時増刊』スイングジャーナル社、1999年、338頁。
- 「私の履歴書 村井邦彦」『日本経済新聞 東京朝刊』日本経済新聞社、2023年2月28日。
- 大橋一惠『女は音楽プロダクションで成功する』KKベストセラーズ、1984年
脚注
注釈
- ^ 東芝EMI在籍時の音源含む。
- ^ NEWSレコード在籍時の音源含む。
- ^ ただし、「ザッツ・ユーロビート」シリーズの一部についてはパイオニアLDC(後にジェネオン エンタテインメントを経てNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンに改称)が販売元になっているケースもある。
- ^ 後にアルファ、およびCBS・ソニー、トーラス時代の各楽曲もいしだの古巣である日本コロムビアが販売権を引き継いだ。その後、日本コロムビアから発売されたベストアルバムでは、アルファ時代の楽曲からは「赤いギヤマン」が収録されることもある。
出典
外部リンク
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