アメリカ大陸
アメリカ大陸の発見 (アメリカたいりくのはっけん)とは、アメリカ大陸 への最初の到達を意味する歴史学 用語 である。
概要
コロンブスの上陸
1492年 10月12日 、クリストファー・コロンブス がヨーロッパ から大西洋 を横断し、アメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島 に到達した。コロンブスを契機として、多くの航海者がヨーロッパからアメリカ大陸へと渡り、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化 が進んだ。ヨーロッパ世界 にとっては、コロンブスのアメリカ大陸周辺諸島への到達は新世界 の発見 にもかならず、その後のアメリカ大陸の帰趨を決定付ける象徴的な出来事であったことから、長らく「アメリカ大陸の発見 」という言葉で語られてきた。
一方で、コロンブス以前からアメリカ州の先住民族 が定住していたことは動かぬ事実であるから、全人類の中で最初にこの大陸を発見した人物がコロンブスでないことは言うまでもない。先住民族らからは、「アメリカ大陸の発見」はヨーロッパ中心主義 に基づいた不適切な言葉であるとたびたび批判されてきた。さらに、先住民族以外にもさまざまな文化圏の人々がコロンブス以前にアメリカ大陸に到達していた可能性が指摘されるようになっている。
ここでは、ヨーロッパ世界の人々だけでなく、先住民族および各文化圏の人々によるアメリカ大陸への到達をいずれも「アメリカ大陸の発見」であると定義し、発見の歴史を俯瞰する。
先住民族による「発見」
クローヴィス・ファースト仮説
アメリカ州の先住民族
で最初にこの大陸を発見したのは、アメリカ州の先住民族 の祖先のうちの誰かであると考えられている。
しかし、いつどうやって発見したのかは分かっていない。
1960年代 まで通説とされていたのは、約2.1万年前のLGM(最終氷期 最盛期)から約1.2万年前の最終氷期終了までの間に、北アメリカ大陸に最初の人類が到達し、これらの人々がアメリカ先住民族の共通の祖先になったとする説(クローヴィス・ファースト仮説 )である[ 1] [ 2] [ 3] 。
概略すると、次のような説である。
ベーリング地峡
LGMの時期、地球の寒冷化に伴い、海水が氷雪として陸地に積み重なった結果、地球全体で海面が大きく低下した。
これにより、ベーリング海 の一部が陸地と化し、ユーラシア大陸 北東部のシベリア と、アメリカ大陸北西部のアラスカ とを陸続きで繋ぐベーリング地峡 が形成された。
このベーリング地峡を通って、モンゴロイド 系の人々がアラスカに到達した。
しかし、当時は現在のカナダ が厚いローレンタイド氷床 に覆われており、人々は数千年間行く手を阻まれていた。
氷期の終わりが近付いて地球が温暖化し始めた1.4万年前頃から、海面の上昇によってベーリング地峡は水没し、人々は退路を断たれたが、一方でローレンタイド氷床の一部が解けてカナダへ進出するための道(無氷の回廊)が開けた。
無氷の回廊を通って南下した人々は各地に広まり、一部の人々はさらに南下してやがて南アメリカ大陸まで到達した。
こうして、ベーリング地峡から来た人々はアメリカ先住民族の共通の祖先となった。
クローヴィスの石器
この説を裏付ける最大の根拠とされていたのが、20世紀前半にアメリカ大陸各地で発見されたクローヴィス文化 の痕跡である。
クローヴィス文化は、特徴的な形状を持つ石器文化であり、1.3万年前頃にアメリカ大陸北部で現れ、徐々に広まっていった。
当時、この文化はアメリカ大陸の最初の人類の文化とされ、最終氷期後期に北方から人類が流入したことを示す証拠と考えられていた。
クローヴィス・ファースト仮説の否定
ルジア・ウーマン
これに対し、1970年代 以降、様々な新証拠が発見され、クローヴィス・ファースト仮説は否定 されている。
1974年 、ブラジル 南東部のベロオリゾンテ 付近から約1.1万年前の人骨(ルジア・ウーマン)が発見された[ 4] 。
1975年 、チリ 南部で発見されたモンテヴェルデの遺跡からは約1.5万年前に人類が定住していた証拠が発見された[ 5] 。
これらの相次ぐ発見は、最終氷期の後期には、すでに南アメリカ大陸に人類が定住していたことを示唆するものであり、ローレンタイド氷床が解けるのを待って人類が南下したとするクローヴィス・ファースト仮説は時系列に重大な疑義が生じた。
ペトラ・フラダ
その後も、クローヴィス・ファースト仮説の時系列と矛盾する証拠が次々と見つかり、2003年 にはブラジル セラ・ダ・カピバラ国立公園 にあるペトラ・フラダの遺跡で約4万年前(ただし、年代には異論もある)に人類が火を使用した痕跡が見つかったとの調査結果が発表された[ 6] 。
21世紀 以降の先住民族の遺伝子調査では、異なる遺伝子を持つ人々の存在が示唆された[ 7] [ 8] 。
2010年代 に入ると、クローヴィス・ファースト仮説を支持する学者はほとんどいなくなり、もはやこれが通説でないことが確認された[ 9] [ 10] [ 11] 。
現在では、クローヴィス以前に人類がこの大陸に到達していたことはまず間違いないと考えられている。
なお、(最初の発見者ではないにしても)クローヴィスの人々が先住民族の重要なルーツの一つであること自体は否定されていない。
最初の「発見者」の謎
クローヴィス・ファースト仮説が誤りであることは判明したが、最初の人類がいつどうやってアメリカ大陸へ到達したのか、そしてどうやってローレンタイド氷床を越えて南アメリカ大陸へと進出したのかは未だ謎に包まれている。
一部の学者は、ローレンタイド氷床によってカナダが閉ざされるよりも前、すなわちLGM以前(例えば4万年前頃)にすでに最初の人類がアメリカ大陸に到達しており、第二波としてLGM以降にベーリング地峡からクローヴィスの人々が到達したとする説を提唱している[ 12] [ 13] [ 14] 。
一方、クローヴィス・ファースト仮説の大枠を継承しつつも一部を修正し、LGM直後の1.9万年前頃からたびたびベーリング地峡を通じた移住があり、クローヴィス文化を持つ人々はそのうちの一つのグループであったとする説もある[ 15] [ 16] 。
移動ルートには謎が残るが、海路を使ったとする説が有力である[ 17] [ 18] [ 19] 。
シベリアからアラスカ、そして北アメリカ大陸西部、南アメリカ大陸西部へと太平洋沿岸部を船で移動したとする説のほか、ベーリング地峡からアラスカまで陸路で到達した人々がそこから海路でローレンタイド氷床を迂回したとする説もある。
また、ヨーロッパから大西洋を横断したとする説もあった(ソルトリアン仮説)が、その後の遺伝子調査によって否定的な見解が示されている[ 20] [ 21] [ 22] [ 23] [ 24] 。
シベリア・エスキモーによる「発見」
シベリア・エスキモー
ベーリング地峡が水没し、アメリカ大陸が隔絶されてからは、新たにシベリアからアメリカ大陸へ到達する者はほとんどいなかったと考えられている。
しかし、シベリアとアラスカに住むエスキモー には、極めて多くの文化的・遺伝的共通点がある。
多くのアメリカ先住民族のルーツが最終氷期にシベリアからベーリング地峡を渡ってきた人だとすれば、両者に一定の類似が見られるのは当然であるが、その類似の程度は1万年以上分断されていたとするには無理があり、最終氷期以降も交流があったはずだと指摘されてきた[ 25] 。
2015年 、シベリアとアラスカの交流 を裏付ける物的証拠が初めて発見された。
アラスカスワード半島 のエスペンベルグ岬の1100年ほど前の遺跡から、青銅器 や黒曜石 などの遺物が見つかったのである。
鑑定の結果、アジアで採掘された金属が使われていることが判明し、シベリアを通じて文化的接触があったことが確認された[ 26] [ 27] 。
赤毛のエイリーク親子による「発見」説
赤毛のエイリーク
レイフ・エリクソン
10世紀 頃、北ヨーロッパのノース人 (ヴァイキング )赤毛のエイリーク がアメリカ大陸北東部の島であるグリーンランド を発見 し、その息子であるレイフ・エリクソン がカナダのニューファンドランド島 を発見 した。
グリーンランド人のサガ と赤毛のエイリークのサガ に記載された発見の経緯は、以下のようなものである[ 28] [ 29] 。
エイリークは、父親の罪によりノルウェー とアイスランド を追放された。
この際、グンビョルン・ウールフスソンという人物が漂流したときに西方に巨大な陸地があるのを目撃したと語っていたことを思い出し、この土地を目指すことにした。
船で大西洋 の北部を横断したエイリークは、982年 頃にグリーンランドへの上陸に成功した。
グリーンランドへの航路を確立したエイリークは、アイスランドに帰還すると仲間を募り、グリーンランドへの集団入植を開始した(ノース人によるアメリカ大陸の植民地化 )。
グリーンランド入植は成功し、エイリークはこの地の主となった。
1000年 頃、エイリークの息子であるレイフ・エリクソン は、グリーンランドとノルウェーを行き来するうち、偶然にもグリーンランドよりも南方のヘッルランド、マルクランド、そしてヴィンランド を発見した。
彼は仲間を連れてヴィンランドへの入植を試みたが失敗し、グリーンランドへ帰還した。
ヴィンランド発見は長らくサガ(伝説)にすぎず、ヴィンランドがどこであるかすら謎とされていた。
しかし、1960年 にカナダ 東部のニューファンドランド島 でサガの記述と合致するヴァイキングの遺跡ランス・オ・メドー が発見され、彼らがこの地に到達していた事実が確定したとする。[ 30] 。しかし、この説はキリスト教系の新宗教であるモルモン教 が有史以前からアメリカ大陸に白人の支配者がいたとする自らの経典に基づく宗教的主張および希望的研究であるため、歴史学的に確定した説とは言い難い。
コロンブスによる「発見」
発見の経緯
クリストファー・コロンブス
先住民族はもちろん赤毛のエイリーク親子らによってアメリカ大陸が発見されていたことは事実としても、15世紀 までヨーロッパの先進諸国の人々にこの大陸の存在は知られていなかった。
彼らにとっての発見は、1500年 前後のできごとであった。
イタリア 出身の航海者 クリストファー・コロンブスは、地球球体説 に基づき、ヨーロッパから東方ではなく西方に進んでもアジア(インド )に到達できると考えた(西廻り航路)。
スペイン のカトリック両王 の支援を受けたコロンブスは、1492年8月3日に3隻の船と約100人の乗組員を引き連れてパロス・デ・ラ・フロンテーラ から出航。
10月12日、彼らはアメリカ大陸沖のカリブ海 に浮かぶバハマ のサン・サルバドル島へと到達した。
その後、コロンブス一行はキューバ 本島とイスパニョーラ島 を発見。
歓迎した先住民族たちから金品を略奪して虐殺したのちに出航し、スペインへと帰国した。
一般に、彼がサン・サルバドル島に上陸した1492年10月12日をコロンブスによるアメリカ大陸の発見 と呼ぶ。
「真の発見者」論争
アメリゴ・ヴェスプッチ
一方、アメリカ大陸の発見者としてその名を讃えられている人物は、必ずしもコロンブスだけではない。
コロンブスは自身が上陸したのはインドだと誤認しており、新大陸を発見したとは認識していなかった[ 31] 。
これに対し、アメリカ大陸が新大陸であるという事実を発見 したのはイタリアの地理学者・天文学者アメリゴ・ヴェスプッチ である。
1497年 から1502年 まで3度にわたってスペイン・ポルトガルの船に同乗して大西洋を横断したヴェスプッチは、1503年 頃、調査の結果をまとめた『新世界』を刊行。
この中で、大西洋を横断した先にあるのはアジアではなく、全く異なる新大陸であることを指摘した[ 32] [ 33] 。
これにより、当時の先進国にとってアメリカ大陸の存在は既知の事実となり、アメリカ大陸発見の歴史は幕を閉じた。
ヴァルトゼーミュラーの地図
通常、「発見」とは未知の事実に気付くことを言うが、未知の大陸であると気付くことなく辿り着いたコロンブスを発見者と呼ぶべきかどうかは、結局のところ「発見」の定義によることになろう。
地理学者のマルティン・ヴァルトゼーミュラー は、ヴェスプッチこそが新大陸の発見者であると考え、ヴェスプッチの名前「アメリゴ」から取ってこの大陸を「アメリカ」と命名した。
ヴァルトゼーミュラーの地図はヨーロッパ中に普及し、アメリカという名称が定着した。
一方、コロンブスの航海日誌の要約を出版したバルトロメ・デ・ラス・カサス は、新大陸の発見者はコロンブスであるから、アメリカ大陸と呼ぶのは不適切であると指摘し、この大陸の名称をインディアス大陸(コロンブスが大陸をインドと誤解したことに基づく)としている[ 34] 。
コロンブスの4度の航海
また、(ヨーロッパ世界の人々の中で)最初にアメリカ大陸の本土 に上陸したのが誰であるのかもしばしば論争となる。
最初に本土へ上陸した人物としてよく名前が挙げられるのは、コロンブス、ヴェスプッチのほか、ジョン・カボット である。
1492年10月12日、コロンブスはサン・サルバドル島などカリブ海の島々に上陸したが、大陸本土の存在には気付かず、当然本土への上陸もしなかった。
1497年6月24日、カボットがカナダ北東部のどこかの土地に上陸した。カボットの上陸地点は不明である。大陸本土のラブラドル半島 であるとする説もあるが、本土ではなくニューファンドランド島であるとする説が有力である[ 35] 。
1497年7月頃、ヴェスプッチは最初の航海をし、大陸本土のコスタリカ に到達したと伝わる。しかし、一部の学者からはヴェスプッチの最初の航海は史実ではない可能性が指摘されている[ 36] 。
1498年8月、コロンブスは3回目の航海で南アメリカ大陸本土ベネズエラ オリノコ川 の河口の三角州 を探検した[ 37] [ 38] 。河口の三角州が大陸本土と言えるかどうかは意見が分かれるところだが、これをもって本土上陸とすることがある。
1499年、ヴェスプッチは2回目の航海で大陸本土のガイアナ に到達した[ 39] 。最初の航海とは違い、この航海は史実であることが確認されている。
1502年8月14日、コロンブスは4度目の航海でホンジュラス のプエルトカスティージャに到着し、大陸本土に上陸した。
1613年、仙台藩主伊達政宗により慶長遣欧使節がメキシコを経由してスペイン国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウロ5世のもとに派遣された。よって、日本人によるアメリカ大陸発見は1613年である。
以上のように、史実が明らかになっていない点があるため、誰が最初に本土に到達したのかは不明である。
「発見」に対する評価
コロンブスが描かれたコイン
コロンブスは、一般的にアメリカ大陸の発見者として世界史における偉人の一人として扱われている。
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した日である10月12日は、長らく様々な国で「コロンブス・デー 」という名称で記念日として祝われていた。
コロンブス・デーは、ペルーでは「アメリカ発見の日」、バハマでは「発見の日」、ハワイでは「発見者たちの日」と呼ばれていた。
破壊されたコロンブスの像
一方、コロンブスを発見者として讃えることに対しては、先住民族らを中心に批判の声が絶えなかった。
一部の過激な人々は、コロンブス・デーに合わせてコロンブスの銅像に赤いペンキをかけたり、銅像を破壊したり、セレモニーを妨害したりして、抗議活動を行った[ 40] [ 41] [ 42] 。
コロンブスによる虐殺
コロンブスに対する評価が分かれる理由は、大別すると2つある[ 43] [ 44] 。
一つは、先住民族が遥かに先に発見していた土地を後から再発見しただけのコロンブスを過度に評価することは、極端なヨーロッパ中心主義であるとの見方があるためである。
もう一つは、コロンブスは先住民族に対する殺戮を繰り返してスペイン政府から逮捕された凶悪犯罪者としての一面を持つためである[ 45] [ 46] 。
2015年 にアメリカ合衆国 の国民を対象にして行われた調査では、アメリカ大陸の発見者に最も相応しい人物としてコロンブスを挙げた人は22%に留まり、38%の人がコロンブス・デーを祝うことに反対した[ 47] 。
現在では、コロンブス・デーの名称を「先住民族の日」などに変更し、先住民族虐殺の歴史を悼む日としている国も多い。
なお、欧米では、コロンブスによるアメリカ大陸の発見を中心にヨーロッパ各国が世界各地へ進出した時代を「発見の時代 (Age of Discovery)」と呼ぶ。
これに対し、コロンブスによるアメリカ大陸の発見はヨーロッパを中心にした偏ったものの見方であるとして、東京大学 教授の増田義郎 が考案した日本独自の用語が「大航海時代 」である。
その他の発見説
ポリネシア人アメリカ大陸発見説
ユーラシア大陸からポリネシアへの移住
太平洋の島々(ポリネシア )に住むポリネシア人 がアメリカ大陸へ到達していたとする説がある。
ポリネシア人が住む最も東の島であるイースター島 は、ユーラシア大陸のマレーシア ・ジョホール州 南端から約15400km、オーストラリア大陸のオーストラリア ・ビクトリア州 東端から約9100km、アメリカ大陸のチリ ・ビオビオ州 西端から約3500kmの地点に位置し、地理的に最も近いのはアメリカ大陸である。
ユーラシア大陸からここまで離れた島々へ移り住むほどの優れた航海技術を持っているならば、アメリカ大陸まで到達することも可能だったのではないかという考えからこの説が生まれた。
ポリネシア人がアメリカ大陸を発見していた可能性はあるが、2019年現在、それを示す確たる証拠はない。
サツマイモ
従来、この説の最大の根拠とされていたのは、ポリネシア人がサツマイモ を栽培していたことである。
サツマイモは南アメリカ原産の作物であるが、放射性炭素年代測定 によってポリネシアのクック諸島 には西暦1000年 頃にはすでにサツマイモが存在したことが分かっている[ 48] 。
しかし、その後2018年 にサツマイモの遺伝子調査が行われ、ポリネシアのサツマイモは11万年前に南アメリカのサツマイモから分化した種であることが判明した[ 49] 。
ポリネシアに人が住み始めたのは紀元前10世紀 頃とされているので、ポリネシアのサツマイモは人の手によって持ち込まれたのではなく、人が住み始めるよりも前に鳥などによって自然にもたらされたことになる。
2007年 には、南アメリカのチリで発見されたニワトリ の遺伝子が、ポリネシアのアメリカ領サモア やトンガ のニワトリと一致しているとする研究が発表され、ポリネシア人とアメリカ大陸との接触を示す新たな証拠として注目された[ 50] [ 51] 。
しかし、他の研究者からは、現代のニワトリの遺伝子の混入が原因であるとして否定的な見解が繰り返し示されている[ 52] [ 53] 。
このほか、イースター島のモアイ は、アメリカの古代文明の影響によって作られたのではないかなど様々な仮説が立てられているが、真相の解明には至っていない。
バスク人アメリカ大陸発見説
バスク人の捕鯨船
フランス やスペインに住むバスク人 は14世紀 からカナダのニューファンドランド島で漁をしていたとする説がある[ 54] [ 55] 。
16世紀の歴史学者のベルトラン・ダルジャントレによると、バスク人は1375年 頃にクジラ を追ってニューファンドランド島に辿り着き、そこでタラ の漁場を発見したが、漁場を独占するために長らくそれを秘密にしていたという。彼らがコロンブス以降16世紀の早い段階からニューファンドランド島で漁を行っていたのは確実である。
しかし、2019年現在、バスク人が漁をしていた証拠が見つかっているのは1517年 以降のもののみである。
中国人アメリカ大陸発見説
文化的な共通点などを根拠に、中国 人がアメリカ大陸を発見していたとする説がある[ 56] 。
イギリス海軍 少佐のギャヴィン・メンジーズ は、明 の武将 で朝貢 外交 および貿易 の責任者であった鄭和 が率いる船団が、1421年 にアメリカ大陸を発見していたと主張している[ 57] 。
これに対し、多くの専門家は中国から東南アジアやインドを経由して中東に向かう航路であったとして、メンジーズに否定的な見解を示している[ 58] [ 59] [ 60] [ 61] 。
2015年 には、アメリカ合衆国のニューメキシコ州 にあるペトログリフ国定公園で古代中国の象形文字 が発見されたとする研究が発表され、注目を集めた[ 62] 。
この研究に対する評価は固まっていない。
神話の中でのアメリカ大陸発見
クロンファートのブレンダン
コロンブス以降、様々な国の神話や民話の中でアメリカ大陸発見に関する伝説が語られるようになっている。
脚注
^ “Pause Is Seen in a Continent's Peopling” . New York Times . (13 Mar 2014). https://www.nytimes.com/2014/03/13/science/linguistic-study-sheds-new-light-on-peopling-of-north-america.html?ref=science
^ Pielou, E. C. (2008). After the Ice Age: The Return of Life to Glaciated North America . University of Chicago Press. ISBN 978-0-226-66809-3 . https://books.google.com/books?id=MO4QFKshlVcC&pg=PP1
^ Flannery, T. (2001). The Eternal Frontier: an ecological history of North America and its peoples . New York: Grove Press. pp. 173?185. ISBN 978-0-8021-3888-0
^ Fontugne, MIchel (2013). “New Radiocarbon Ages of Luzia Woman, Lapa Vermelha IV Site, Lagoa Santa, Minas Gerais, Brazil”. Proceedings of the 21st International Radiocarbon Conference 55 (2?3). doi :10.2458/azu_js_rc.55.16253 .
^ “Monte Verde Archaeological Site ”. Tentative List of Properties of Outstanding Universal Value . World Heritage - United Nations Educational, Scientific, and Cultural Organization. 2020年3月3日 閲覧。
^ Santos, G.M; Bird, M.I; Parenti, F. et al. (2003). “A revised chronology of the lowest occupation layer of Pedra Furada Rock Shelter, Piau??, Brazil: The Pleistocene peopling of the Americas”. Quaternary Science Reviews 22 (21?22): 2303?2310. doi :10.1016/S0277-3791(03)00205-1 .
^ Weber, George (2007). Fuegian and Patagonian Genetics and the settling of the Americas . Andaman Association. オリジナル の2013-05-05時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130505072339/http://www.andaman.org/BOOK/chapter54/text-Fuego/Genetics/text-FuegianGenetics.htm 2020年3月3日 閲覧。
^ “Early population differentiation in extinct aborigines from Tierra del Fuego-Patagonia: ancient mtDNA sequences and Y-chromosome STR characterization”. Am. J. Phys. Anthropol. 123 (4): 361?70. (April 2004). doi :10.1002/ajpa.10337 . PMID 15022364 .
^ Waters, Michael; Stafford, Tom (2014). “The First Americans: A Review of the Evidence for the Late-Pleistocene Peopling of the Americas” . Paleoamerican Odyssey . Texas A&M University Press. ISBN 978-1-62349-192-5 . オリジナル の1 July 2015時点におけるアーカイブ。. https://www.researchgate.net/publication/268149509 2020年3月3日 閲覧。
^ "Chilean site verified as earliest habitation of A mericas; findings show Monte Verde dates back 12,500 years" (Press release). 2013年12月2日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年3月3日閲覧 。
^ Swaminathan, Nikhil. "Destination: The Americas" (Press release). Archaeology.org. 2015年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2020年3月3日閲覧 。
^ Bonatto, Sandro L.; Salzano, Francisco M. (1997). “A single and early migration for the peopling of the Americas supported by mitochondrial DNA sequence data” . Proceedings of the National Academy of Sciences 94 (5): 1866?1871. Bibcode : 1997PNAS...94.1866B . doi :10.1073/pnas.94.5.1866 . PMC 20009 . PMID 9050871 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC20009/ .
^ Cinq-Mars, J. (1979). “Bluefish Cave 1: A Late Pleistocene Eastern Beringian Cave Deposit in the Northern Yukon”. Canadian Journal of Archaeology (3): 1?32. JSTOR 41102194 .
^ Bonnichsen, Robson (1978). “Critical arguments for Pleistocene artifacts from the Old Crow basin, Yukon: a preliminary statement” . In Alan L. Bryan. Early Man in America from a Circum-Pacific Perspective . Occasional Papers No. 1. Edmonton: Archaeological Researches International Department of Anthropology, University of Alberta. https://books.google.com/books?id=JY10AAAAMAAJ&pg=PA102
^ Blaise, B.; Clague, J.J.; Mathewes, R.W. (1990). “Time of maximum Late Wisconsin glaciation, west coast of Canada”. Quaternary Research 34 (3): 282?295. Bibcode : 1990QuRes..34..282B . doi :10.1016/0033-5894(90)90041-i .
^ Lovgren, Stefan (March 13, 2008). “Americas Settled 15,000 Years Ago, Study Says” . National Geographic . http://news.nationalgeographic.com/news/2008/03/080313-first-americans.html .
^ Fladmark, Knute R. (January 1979). “Routes: alternate migration corridors for early man in North America”. American Antiquity 44 (1): 55?69. doi :10.2307/279189 . JSTOR 279189 .
^ Pedersen, Mikkel W.; Ruter, Anthony; Schweger, Charles et al. (August 10, 2016). “Postglacial viability and colonization in North America's ice-free corridor”. Nature 537 (7618): 45?49. Bibcode : 2016Natur.537...45P . doi :10.1038/nature19085 . PMID 27509852 .
^ Chung, Emily (August 10, 2016). “Popular theory on how humans populated North America can't be right, study shows: Ice-free corridor through Alberta, B.C. not usable by humans until after Clovis people arrived” . CBC News . http://www.cbc.ca/news/technology/ice-free-corridor-north-americans-1.3715397 2020年3月3日 閲覧。
^ Raff, Jennifer A.; Bolnick, Deborah A. (6 November 2015). “Does Mitochondrial Haplogroup X Indicate Ancient Trans-Atlantic Migration to the Americas? A Critical Re-Evaluation”. PaleoAmerica 1 (4): 297?304. doi :10.1179/2055556315Z.00000000040 .
^ O'Brien, Michael J. et al. (2 January 2015). “On thin ice: problems with Stanford and Bradley's proposed Solutrean colonisation of North America” . Antiquity 88 (340): 606?613. doi :10.1017/S0003598X0010122X . https://www.academia.edu/5119515 .
^ Straus, Lawrence Guy (20 January 2017). “Solutrean Settlement of North America? A Review of Reality”. American Antiquity 65 (2): 219?226. doi :10.2307/2694056 . JSTOR 2694056 .
^ Westley, Kieran; Dix, Justin (July 2008). “The Solutrean Atlantic Hypothesis: A View from the Ocean”. Journal of the North Atlantic 1 : 85?98. doi :10.3721/J080527 .
^ Meltzer, David J. (2009). First Peoples in the New World . Berkeley: University of California Press. pp. 183?208
^ Jordan Paper (August 1993). “A Material Case for a Late Bering Strait Crossing Coincident with Pre-Columbian Trans-Pacific Crossings” . Sino-Platonic Papers (39). http://www.sino-platonic.org/abstracts/spp039_precolumbian_crossings.html 2020年3月3日 閲覧。
^ Owen Jarus (April 16, 2015). “Evidence of Pre-Columbus Trade Found in Alaska House ”. www.livescience.com . 2020年3月3日 閲覧。
^ “Old World metals were traded on Alaska coast several hundred years before contact with Europeans ”. Purdue University (2016年). 2020年3月3日 閲覧。
^ “Erik the Red ? Ages of Exploration ” (英語). exploration.marinersmuseum.org . 2020年3月3日 閲覧。
^ Eric the Red . (2004). http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-3404702026.html 2020年3月3日 閲覧。
^ “L'Anse aux Meadows ”. L'Anse aux Meadows National Historic Site of Canada . Parks Canada (2018年). 2020年3月3日 閲覧。 “Here [L'Anse aux Meadows] Norse expeditions sailed from Greenland, building a small encampment of timber-and-sod buildings …”
^ Thomas F. McIlwraith; Edward K. Muller (2001). North America: the historical geography of a changing continent . Rowman & Littlefield. p. 35. ISBN 978-0-7425-0019-8 . https://books.google.com/books?id=8NS0OTXRlTMC&pg=PA35 2020年3月3日 閲覧。
^ Pohl, Frederick J. (1944). Amerigo Vespucci: Pilot Major . New York: Columbia University Press. https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015003944751
^ Morison, Samuel Eliot (1974). The European Discovery of America: The Southern Voyages, 1492-1616 . New York: Oxford University Press. pp. 276-312
^ Historia de las Indias , 1875?76 ed., Madrid: Ginesta vol. 1 , vol.2 , vol.3 , vol.4 vol.5
^ Derek Croxton (2007年). “The Cabot Dilemma: John Cabot's 1497 Voyage & the Limits of Historiography ”. University of Virginia. 2020年3月3日 閲覧。
^ “Account of alleged 1497 voyage ”. Fordham.edu. 2020年3月3日 閲覧。
^ Columbus, Christopher (1847). Major, Richard Henry. ed. Select Letters of Christopher Columbus: With Other Original Documents, Relating to His Four Voyages to the New World . London: The Hakluyt Society. https://archive.org/details/selectlettersch00colugoog 2020年3月3日 閲覧。
^ Beazley, Charles Raymond (1911). "Columbus, Christopher" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 6 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 741?746.
^ Vigneras, Louis-Andre (1976). The Discovery of South America and the Andalusian Voyages . University of Chicago Press
^ Katlyn Carter (January 10, 2005). “Berkeley Celebrates Indigenous Peoples' Day” . Daily Californian. http://www.dailycal.org/article/19890/berkeley_celebrates_indigenous_peoples_day
^ “'Indigenous Peoples Day' to Replace Columbus Celebration” . Los Angeles Times . (January 11, 1992). https://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/61556036.html?dids=61556036:61556036&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Jan+11%2C+1992&author=&pub=Los+Angeles+Times+%28pre-1997+Fulltext%29&desc=%60Indigenous+Peoples+Day%27+to+Replace+Columbus+Celebration&pqatl=google
^ Michael S. Arnold (October 12, 1992). “Protesters Stop Mock Landing of Columbus” . Los Angeles Times . http://articles.latimes.com/1992-10-12/news/mn-160_1_columbus-day-parade
^ “Examining the Reputation of Christopher Columbus ”. hartford-hwp.com . Baltimore Evening Sun, reprinted by Clergy and Laity Concerned. October 20, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ 。2020年3月3日 閲覧。
^ UC Newsroom (October 6, 2004). “'Repertorium Columbianum' Makes Landfall ”. 2013年1月16日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年3月3日 閲覧。
^ “Columbus Controversy ”. A&E Television Networks. 2020年3月3日 閲覧。
^ Giles Tremlett (7 August 2006). “Lost document reveals Columbus as tyrant of the Caribbean” . The Guardian (UK). https://www.theguardian.com/world/2006/aug/07/books.spain 2020年3月3日 閲覧。
^ Edwards-Levy, Ariel (2015年10月12日). “Americans Are Split Over Whether Columbus Deserves A Holiday” . The Huffington Post . オリジナル のOctober 7, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161007121741/http://www.huffingtonpost.com/entry/columbus-day-poll_us_561c12f2e4b0e66ad4c8daec 2020年3月3日 閲覧。
^ Tilburg, Van; Anne, Jo (1994). Easter Island: Archaeology, Ecology and Culture . Smithsonian Institution Press
^ Munoz-Rodriguez, Pablo (2018). “Reconciling Conflicting Phylogenies in the Origin of Sweet Potato and Dispersal to Polynesia”. Current Biology . doi :10.1016/j.cub.2018.03.020, 2018 .
^ Whipps, Heather (June 4, 2007). “Chicken Bones Suggest Polynesians Found Americas Before Columbus” . Live Science . http://www.livescience.com/history/070604_polynesian_chicken.html 2020年3月3日 閲覧。 .
^ “Top 10 Discoveries of 2007 ? Polynesian Chickens in Chile ? Archaeology Magazine Archive ”. archaeology.org . 2020年3月3日 閲覧。
^ Gongora, J.; Rawlence, N. J.; Mobegi, V. A.; Jianlin, H.; Alcalde, J. A.; Matus, J. T.; Hanotte, O.; Moran, C. et al. (2008). “Indo-European and Asian origins for Chilean and Pacific chickens revealed by mtDNA” . Proceedings of the National Academy of Sciences 105 (30): 10308?10313. Bibcode : 2008PNAS..10510308G . doi :10.1073/pnas.0801991105 . PMC 2492461 . PMID 18663216 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2492461/ .
^ Thomson, Vicki A; Lebrasseur, Ophelie; Austin, Jeremy J.; Hunt, Terry L.; Burney, David A.; Denham, Tim; Rawlence, Nicolas J.; Wood, Jamie R. et al. (April 1, 2014). “Using ancient DNA to study the origins and dispersal of ancestral Polynesian chickens across the Pacific” . Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 111 (13): 4826?4831. Bibcode : 2014PNAS..111.4826T . doi :10.1073/pnas.1320412111 . PMC 3977275 . PMID 24639505 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3977275/ .
^ “El mito de que los balleneros vascos estuvieron en América antes que Cristóbal Colón ” (2015年3月13日). 2020年3月3日 閲覧。
^ Urzainqui, T.; de Olaizola, J. M. (1998). La Navarra Maritima . Pamiela
^ Archived August 2, 2001, at the Wayback Machine .
^ Menzies, Gavin (2003). 1421: The Year China Discovered the World . Transworld Publishers
^ “The 1421 myth exposed ”. March 18, 2018時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年3月3日 閲覧。
^ “Zheng He in the Americas and Other Unlikely Tales of Exploration and Discovery ”. March 17, 2007時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年3月3日 閲覧。
^ “1421: The Year China Discovered the World by Gavin Menzies ”. July 5, 2003時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年3月3日 閲覧。
^ Finlay, Robert (2004). “How Not to (Re)Write World History: Gavin Menzies and the Chinese Discovery of America” . Journal of World History 15 (2): 229?242. doi :10.1353/jwh.2004.0018 . オリジナル のNovember 9, 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131109021554/http://www.michaelsheiser.com/PaleoBabble/1421.pdf .
^ “Did China discover AMERICA? Ancient Chinese script carved into rocks may prove Asians lived in New World 3,300 years ago ”. 2020年3月3日 閲覧。
^ T. J. Oleson (2003年). “Brendan, Saint ”. in Dictionary of Canadian Biography, vol. 1 . University of Toronto/Université Laval. 2020年3月13日 閲覧。
^ Curran, Bob (20 August 2010). Mysterious Celtic Mythology in American Folklore . Pelican Publishing. ISBN 978-1-58980-917-8 . https://books.google.com/books?id=zyrjIoOziJgC
^ Fowler, Don D. (15 September 2010). Laboratory for Anthropology: Science and Romanticism in the American Southwest, 1846–1930 . Utah Press, Universi. ISBN 978-1-60781-035-3 . https://books.google.com/books?id=CcW5RwAACAAJ
^ T. J. Oleson (2003年). “ZENO, NICOLÒ ”. in Dictionary of Canadian Biography, vol. 1 . University of Toronto/Université Laval. 2020年3月13日 閲覧。
^ The Templar Code . US: The History Channel. (May 17, 2006)
^ Knight, Christopher; Lomas, Robert (1996). The Hiram Key: Pharaohs, Freemasonry, and The Discovery of The Secret Scrolls of Jesus . London: Century
関連項目