高宗秀
高 宗秀(コ・ジョンス、고종수、1978年10月30日 - )は、大韓民国出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
| この節の 加筆が望まれています。 (2017年10月) |
ユース時代はアンファンテリブル(悪童)と呼ばれ、その後も韓国には少ないファンタジスタ型の選手として期待され続けてきた存在である。
日韓ワールドカップで韓国代表から漏れたあたりからか、故障も重なって急速に力を落とす。
2003年3月、Jリーグの京都パープルサンガへ期限付き移籍[1]、京都では欧州へと移籍した朴智星の穴を埋める選手と期待されたが[2]、故障明けで体は重く往年のキレも失っている状態が続き、エンゲルス監督からの信頼を得られなかった。シーズン途中の9月、オランダ人FWレジの加入に伴い契約解除される[3]。
翌年、韓国・水原三星ブルーウィングスに復帰した。リハビリのための練習態度の粗雑さなどで監督やチームとは揉めに揉めることもあった。当時のマスコミにつけられたあだ名は"ピッチの風雲児"である。挙句、任意脱退選手として公示され事実上の休職扱いであった。
引退を考えるまで追い込まれたが結局残留し、その後に全南へと放出された。トレード相手は全南の看板選手、金南一だった。
2005-2006年は全南ドラゴンズで再起を期すものの、思うような結果は得られず、2007年には再び大田シチズンに移籍。
2009年2月6日に現役引退を宣言。
2011年に古巣水原の18歳以下チームのコーチを経てトップチームのトレーナーに就任した。アジアチャンピオンズリーグ準決勝対アルサッド戦において乱闘騒ぎに加わり、AFCから6試合分のベンチ入り禁止処分を受けた。
エピソード
- 先輩や目上の人間を絶対視する韓国では目立つ(浮いた)存在だった。
- FKは中村俊輔より少し曲がりが小さい程度の質の高いボールを蹴ることができた。その後完成度を高めていく中村とは対照的に、高のゴールシーンはほとんど見ることはなくなってしまった。
- 1998年のフランスW杯当時は、日本の中田英寿に対抗する韓国サッカーの将来を担う選手と称されていた。
- かつて65kg前後だった体重は日本に来たときには72kgまで増え人相まで変わっていた。
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
1996 |
水原三星 |
|
Kリーグ |
11 |
1 |
3 |
0 |
|
|
|
|
1997 |
|
7 |
1 |
8 |
2 |
|
|
|
|
1998 |
|
19 |
3 |
1 |
0 |
|
|
|
|
1999 |
22 |
14 |
2 |
7 |
2 |
|
|
|
|
2000 |
|
8 |
4 |
5 |
3 |
|
|
|
|
2001 |
|
12 |
5 |
8 |
5 |
|
|
|
|
2002 |
|
20 |
4 |
0 |
0 |
|
|
|
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2003 |
京都 |
30 |
J1 |
13 |
1 |
3 |
1 |
- |
16 |
2
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2004 |
水原三星 |
|
Kリーグ |
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1
|
2005 |
全南 |
|
11 |
1 |
5 |
1 |
0 |
0 |
16 |
2
|
2007 |
大田 |
|
11 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
12 |
1
|
2008 |
|
13 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
16 |
1
|
通算 |
韓国 |
Kリーグ
|
131 |
23 |
40 |
14 |
|
|
|
|
日本 |
J1
|
13 |
1 |
3 |
1 |
- |
16 |
2
|
総通算
|
144 |
24 |
43 |
15 |
|
|
|
|
代表歴
- 1994年 U-16韓国代表
- 1995年 U-17韓国代表
- 1996年 U-19韓国代表
- 1996年 アトランタオリンピック 代表候補
- 1997年 オーストラリア4ヶ国 代表
- 1997年 フランスW杯アジア地区予選 代表
- 1998年 キングスカップ 代表
- 1998年 ダイナスティカップ 代表(全試合出場)
- 1998年 フランスW杯 代表(全試合出場)
- 1998年 U-20韓国代表
- 2001年 アクセンチュアドリームサッカー 韓日選抜
- 2001年 カールスバーグカップ 代表
試合数
- 国際Aマッチ 40試合 6得点(1997年-2001年)[4]
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1997 |
10 |
1
|
1998 |
17 |
1
|
1999 |
4 |
1
|
2000 |
3 |
0
|
2001 |
6 |
3
|
通算 |
40 |
6
|
受賞歴
- 1997年 アディダスカップ 最多アシスト王
- 1998年 Kリーグ 最優秀選手賞
- 1998年 スポーツソウル 最高の人気賞
- 1998年 98シーズン ベストイレブン選定
- 1999年 99シーズン ベストイレブン選定
- 2000年 アディダスカップ 得点王
- 2001年 スポーツトゥディ 今年の人気賞
- 2001年 AFC選定 今月の選手賞(3月度)
- 2001年 ナイキKリーグオールスター戦 最多得票
脚注
関連項目
外部リンク
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1980年代 |
- 83: 趙廣來, 朴昌善
- 84: 朴昌善, 許丁茂, 趙榮增
- 85: 朴商寅, 李興實, 朴垣緒
- 86: 曺敏國, 李興實, 尹星孝
- 87: 金三洙, 魯壽珍, 李興實
- 88: 崔震澣, 金相鎬, 皇甫官
- 89: 李興實, 趙徳濟, 姜才淳
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1990年代 |
- 90: 崔震澣, 李興實, 崔大植
- 91: 金鉉錫, 李永鎮, 金鋳城, 崔康熙, 李相潤
- 92: 辛弘基, 金鉉錫, 申台龍, 朴泰夏, 申東喆
- 93: 金判根, 申台龍, 金東海, 李相潤, 金奉吉
- 94: 申台龍, 高正云, 皇甫官
- 95: 申台龍, 高正云, 金鉉錫, 金判根, アミル
- 96: 申台龍, バデア, 洪明甫, 河錫舟, 金鉉錫
- 97: 金鉉錫, 申晉遠, 金仁完, 李晉行, 鄭在權
- 98: 高宗秀, 柳想鐵, 白承哲, 安貞桓, 鄭正洙
- 99: 徐正源, 高宗秀, デニス, 高正云
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2000年代 |
- 00: アンドレ, 申台龍, 全慶埈, デニス
- 01: 申台龍, 徐正源, 宋鐘國, 南基一
- 02: 申台龍, 李天秀, アンドレ, 徐正源
- 03: 申台龍, 李城南, 李官雨, 金南一
- 04: 金東進, タバレジュ, 金斗炫, 金大儀
- 05: 李天秀, 李浩, 金斗炫, 趙源熙
- 06: 金斗炫, 李官雨, 白智勳, ポポ
- 07: タバレジュ, 李官雨, 金基東, 金斗炫
- 08: 金炯氾, 趙源熙, 奇誠庸, 李菁龍
- 09: 崔兌旭, 奇誠庸, 金正友, エニーニョ
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2000年代 |
- 10: モリーナ, 尹ビッカラム, 具滋哲, エニーニョ
- 11: 廉基勳, 尹ビッカラム, 河大成, エニーニョ
- 12: モリーナ, 河大成, 黄辰成, 李根鎬
- 13: 高武烈, 李明周, 河大成, レオナルド
- 14: 林相協, 高明振, 李承琪, 韓敎元
- 15: 廉基勳, 李在成, 権昶勲, 宋珍炯
- 16: ロペジュ, 権昶勲, 李在成, レオナルド
- 17: 廉基勳, 李在成, 李昌敏, 李承琪
- 18: ネゲバ, 崔榮峻, アギラール, ロペジュ
- 19: 文宣民, 金甫炅, セジーニャ, ワンデルソン
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2020年代 |
- 20: 韓敎元, 孫準浩, セジーニャ, パロセヴィッチ
- 21: 林相協, ヴァコ, セジーニャ, 李東俊
- 22: 金大元, 申塡灝, セジーニャ, 李青龍
- 23: ジェルソ, オベルダン, 李淳敏, 嚴元相
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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