この年は今日でも歌い継がれるミリオン級のヒット曲が目白押しで[1][2]、激しい大賞争いが繰り広げられたことでも知られるが[1][2]、大賞レースが本格化するこの年10月15日時点では、オリコン調べで89万枚を売り上げていたさだまさしの「関白宣言」が最有力という見方であった[3]。ところがニューミュージック系は、吉田拓郎以降、井上陽水、アリスと、審査を前に「賞は頂きません」などと刺激的な発言を繰り返していたことから[3]、審査員のニューミュージック系に対する心証が悪く、不利とされた[3]。またさだも同じレコード会社系列だった「小林幸子さんの『おもいで酒』の方をプッシュしてほしい」と言ったとされ[2]、大賞レースからは脱落した[2]。次に有力視されたのは、大ヒットはないものの選考対象となった「いい日旅立ち」以降、「しなやかに歌って」まで4曲連続で中ヒットを続ける山口百恵だったが[3]、当時百恵はホリプロからの独立問題などがあって、あまり審査員に好かれていないとされた[3]。そのため大きくクローズアップされたのが西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」だった[3]。外国曲の訳詞ものはレコード大賞の基準に当てはまらないが、西城の所属する芸映が「国内の作曲に限るのは"音楽に国境なし"の精神に反する過保護」などと、強引に働きかけ基準を変えようとしたが[3]、結局「勇気があれば」でのノミネートとなった[3]。他のジュディ・オング「魅せられて」や、小林幸子「おもいで酒」などはノミネートが精一杯だろうというのがマスメディアの見方であったが[3]、「魅せられて」の大賞受賞は驚きの結果で[3][4]、"ジュディ大逆転"などと報じられた[4]。