『イセングリムス』の挿絵(12世紀、フランス国立図書館 所蔵)
『狐物語ルナールの物語』の挿絵(13世紀)
狐物語群 (きつねものがたりぐん、英語 : Reynard Cycle )はキツネ とその他の動物を擬人化 してヨーロッパ の中世に語られた長編詩の物語群 で、ラテン語 、オランダ語 、ドイツ語 、フランス語 、英語 版などが作られた。
キツネと動物寓話
キツネ 、オオカミ、シカは世界中普遍的な動物で、それぞれの地域で種類は違うが、日本も含めて世界各地で民話に登場してきた。ヨーロッパではアカギツネ が広く生息していて、シカ狩り (Deer hunting )がシカ の減少でできなくなるとキツネ狩り なども行われてきた。また古来の『イソップ寓話 』に代表される動物説話などの伝統に基づく「動物寓意譚 」が中世にあり、その上に「狐物語群」と呼ばれるキツネとオオカミ を中心とした動物世界に名を借りて、その時代の社会の矛盾を記述して笑い飛ばす揶揄文学 が発達してきた。
中世ヨーロッパの狐物語群
アカギツネ に関するヨーロッパ中世のラテン語の揶揄文学の本を元に、様々な文学が生まれた。各国語版は単なる翻訳 でなく、各国の社会体制や事情に合わせて翻意・追記・削除がされている。
ラテン語版
1148~1153年に、ラテン語 版『イセングリムス』(Ysengrimus )が長編・比喩長編詩として、現在はベルギー のヘント のニヴァルドゥス(Nivardus)によりまとめられている。[ 1] [ 2] > 動物の世界を借りたこの長編詩では、オオカミ のイセングリムス(Ysengrimus)が宿敵のキツネ のレイナルドゥスに徹底的にいじめられ、叩かれ、打ちのめされて、最後には生きたまま66匹のブタに食べられてしまう。すべて当時の中世社会が風刺 的に描かれているといわれていて、オオカミが司教 ・修道院長 階級を表しており、彼らが自分らの罪のために庶民を表すキツネに罰を与えられるという、社会がひっくり返ったような記述が続いている。
このラテン語長編詩はその後ヨーロッパ各国の文学に移殖されていて、各国語で翻訳・創作がなされている。
狼のイセングリムスがある日森の中で狐のレイナルドゥスに遭遇する場面は、次のように書かれている。 [ 3]
中世ラテン語
日本語 訳(GFDL )
Egrediens silva mane Ysengrimus, ut escam ieiunis natis quae reret atque sibi, cernit ab obliquo Reinardum currere vulpem, qui simili studio ductus agebat iter, ...
朝イセングリムスは肉を求めて森へ出かけた、
彼自身と子供たちの空の胃のために。
彼はキツネのレイナルドゥスが前を斜めに横切るのを見て、
彼も同様な目的で出かけてきたのだ。...
フランス語版
1174年に古フランス語 版『ルナール物語 』がピエール・ド・サンクルー( Pierre de Saint-Cloud)により書かれている。この物語とそれ以降フランス語で語られた物語、アニメーションは「狐物語群」の中でも最も活発で、多岐に渡っている。このためフランス語でキツネを表す言葉はもともとgoupil =グピル(語源 はラテン語 :vulpes )であったが、それをrenard =ルナールに変えてしまった。
『ルナール物語』の出だしは、当時の韻文世話話 やブリテン物語 に則った形式になっている。
古フランス語
日本語 訳(GFDL )
Seigneurs, oï avez maint conte
Que maint conterre vous raconte
Conment Paris ravi Elaine,
Le mal qu'il en ot et la paine,
De Tristan que la Chievre fist
Qui assez bellement en dist
Et fabliaus et chançons de geste
Romanz d'Yvain et de sa beste
Maint autre conte par la terre.
Mais onques n'oïstes la guerre
Qui tant fu dure de gran fin,
Entre Renart et Ysengrin.
皆様方、あなた方は沢山の物語を聞かれました、
多くの語り手があなた方へお話したものを。
いかにしてトロイア のパリス がヘレネー を獲得したか、
彼が感じた悪と苦痛
マリー・ド・フランス が書いたトリスタン の、
実にみごとに話されたことを。
そして韻文世話話 や長詩 を
イヴァンまたは獅子の騎士 とその動物たちと
この地で語られたその他の物語を。
しかし、あなた方はこの戦いを聞かれたことはないでしょう、
それは困難で、長く続いたもので
ルナールとイザングランとの間の。
オランダ語版
13世紀に中期オランダ語 版『Van den vos Reynaerde 』がヴィレム・ディ・マドック・メクテ(Willem die Madoc maecte )により作られて、当時のオランダ語文学の傑作であるされる。内容は当時のオランダ王ナムールのフィリップ1世(Philip I of Namur )と取り巻きへの揶揄 に満ちているといわれる。
この本は後にラテン語に翻訳されて、また同時代の無名の著者により8千行の詩にまで拡張されて、1487年に出版されるとヨーロッパ中で読まれ、後のキャックストンの英訳、ゲーテのドイツ語訳、エリスの英語訳の元となっている。
チョーサーの英語作品
英語 では、ジェフリー・チョーサー は『カンタベリー物語 』(14世紀)の「尼院侍僧の話 」で、『狐物語群』から一挿話を入れている。
キャクストンの英語翻訳
ウィリアム・キャクストン (c. 1422 – c. 1491)は上記の13世紀のオランダ語版を元に、英語翻訳(散文 )『The History Of Reynard The Fox』 [ 4] を作っている。
近代および現代ヨーロッパの狐物語群
近代および現代には、様々な分野での作品が作られた。
ゲーテのドイツ語作品
ドイツ語 では、ヴォルフガンク・フォン・ゲーテ の作品に『きつねのライネケ』(Reineke Fuchs )がある。 全体は六歩格 でできた12の詩でできていて、ライオンが王様の動物王国で、狐のライネケは悪者だという訴えで呼び出しに来た熊、猫、[ 5] 狸などを騙し、仕方なく呼び出された王様の前ではその取り巻きと王様自身をも得意の口先で騙し、宿敵の狼をも倒し、ついには王国の宰相にまで出世する様を描いている。
ゲーテはこの詩作品を、チョーサーの『カンタベリー物語』の出だしの初春の情景の記述を思わせるような、次のような初夏の情景描写から始める。 [ 6]
ドイツ語
日本語 訳(GFDL )
Pfingsten , das liebliche Fest, war gekommen! es grünten und blühten
Feld und Wald; auf Hügeln und Höhn, in Büschen und Hecken
Übten ein fröhliches Lied die neuermunterten Vögel;
Jede Wiese sproßte von Blumen in duftenden Gründen,
Festlich heiter glänzte der Himmel und farbig die Erde....
精霊降臨節 、楽しいお祝いが来た!緑になり、花が咲いて、
野原も森も、丘から丘へ、藪にも垣根にも。
生まれたばかりの小鳥も楽しい歌を歌い、
草原も花から来る香しい土で、
お祝いしくも、楽しくも空は地球を照らして、色付かせる。
エリスの英語作品
F.S.エリス(Frederick Startridge Ellis 、1830–1901)は上記の13世紀のオランダ語版を元に、英語翻訳(詩 )『The History Of Reynard The Fox』を作っている。 [ 7]
ストラヴィンスキーのバレエ
1922年にパリでバレエ・リュス により初演されたイーゴリ・ストラヴィンスキー のバレエ 『狐 、歌と踊りのためのバーレスク 』は、アレクサンドル・アファナーシェフ が採集したロシア民話に基づいている。
反ユダヤ的オランダ語版
1937年、反ユダヤ 的オランダ語版がオランダ・ベルギー人のロベルト・ファン・ゲネフテン(Robert van Genechten)によって作られている。
アニメーション映画 (1937年)
1929-1930に白黒アニメーション映画 がパリ で進められたが、サウンドトラック を付ける段階で予算不足になり、ドイツ のUFA でその作業が続けられて、1937年に『きつねのライネケ』Reineke Fuchs )として完成してベルリン で公開された。これは最初のアニメーション映画として十指にも数えられるもので、人形アニメーション としてはソビエト 製の『新ガリバー 』(Новый Гулливер 、1935年)に次ぐものであった。
このフランス語版『ルナールの物語』(Le Roman de Renard )は1941年に完成し、それを元に英語版『きつねの物語』(The Tale of the Fox ) [ 8] などが作られている。
テレビ用アニメーション (1985年)
1985年に『Moi Renard 』(私、狐のルナール)というアニメーション映画 が作られて、これはヨーロッパ各語に翻訳されている。
ヨーロッパ狐物語群の日本語翻訳
日本でもキツネは普遍的な動物で、 説話の中にキツネ物語 が沢山ある。ヨーロッパの狐物語群については、日本では翻意は行われず、日本語翻訳が行われてきて、
中世ラテン語版の一部分訳(鳥影社) [ 9]
中世フランス語版の1/3部分訳(岩波書店、単行本と文庫本)[ 10]
などがある。また童話 として、
などがある。
ゲーテ没後150周年(1982年)に、大阪 の人形劇団クラルテが『狐ライネケの裁判』として上演している。 [ 14]
脚注
関連項目