1438年までにロンドンに来ていたことは確実であり、Mercer's Company の一員で高級な布地などを扱う裕福な商人ロバート・ラージに弟子入りしていた記録が残っている。ラージは1439年にはロンドン市長に就任した。ラージが1441年に亡くなると、キャクストンにはわずかな金(20ポンド)が渡された。他の奉公人にはもっと多額の金が渡されていることから、キャクストンはその時点ではまだ若かったと見られている。
キャクストンが死んだ正確な日付は不明だが、ウェストミンスターの聖マーガレット教会の埋葬記録からある程度推測でき、1492年の3月ごろに死去したとみられる。しかし、George D. Painter は著書 William Caxton: a biography の中でキャクストンの没年を1491年としている。当時使われていた暦では、3月25日が新年の最初の日とされていたため、キャクストンが亡くなったとき年は改まっていなかったという理由である。さらに彼は「しかし、キャクストンの出版物が彼の死亡時期をおおよそ明らかにしており、1491年以降に出版された本はなく、1491年に出版された本は12カ月以上印刷された部数としては十分ではない。したがって死亡日は証拠書類を確認しなくとも1491年の秋ごろと推定できる」と記している[5]。
英語はキャクストンの時代に急速に変化しており、キャクストンの出版した作品には様々なスタイルや方言が使われている。キャクストンは作家というよりも印刷技術者であり、本の出版においては常に言語の標準についてのジレンマに直面していた。例えば『アエネーイス』の序文として、その話題で持論を記している[7]。後継者の Wynkyn de Worde も同様の問題に直面した。
^James A. Knapp, "Translating for Print: Continuity and Change in Caxton's Mirrour of the World," in: Translation, Transformation, and Transubstantiation, ed. Carol Poster and Richard Utz (Evanston, IL: Northwestern University Press, 1998), pp. 65-90.
The English Charlemagne Romances[リンク切れ], Parts III and IV, The Lyf of the Noble and Crysten Prynce Charles the Grete, Translated from the French By William Caxton And Printed By Him 1485.
Lienhard, John H. (2006): How Invention Begins: Echoes of Old Voices in the Rise of New Machines. Oxford University Press. ISBN 0-19-530599-X pp. 165–168.
Painter, George D. (1976), William Caxton - Biography, Chatto & Windus
Caxton, William, The Game and Playe of the Chesse. Ed. by Jenny Adams. (Kalamazoo, MI: Medieval Institute Publications, 2009) (TEAMS Middle English Texts Series).