平 堯知(ひら たかとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。能登畠山氏の家臣。
略歴
平総知の子として誕生する。天文23年(1554年)頃には父・総知に代わって畠山七人衆に名を連ねており、元亀2年(1571年)3月には畠山義慶の年寄衆としてその名が見える[1]。
天正5年(1577年)9月、上杉謙信によって七尾城が攻略されると降伏してその家臣となるが、天正7年(1579年)、温井景隆らと共謀して謙信に背き、七尾城を占拠した。しかし天正9年(1581年)、菅屋長頼が能登に入部すると七尾城から撤退した[1][2]。
脚注