川西 翔太(かわにし しょうた、1988年10月28日 - )は、奈良県奈良市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・カマタマーレ讃岐所属。登録ポジションはミッドフィールダー。
来歴
プロ入り前
地元の奈良FCで本格的にサッカーを始める。2004年、青森県の強豪高である青森山田高校にサッカー留学。2年次の2005年にはインターハイ制覇を経験。3年次にはストライカーとして司令塔のベロカル・フランクら共に青森山田の攻撃サッカーを支えた。
2007年に関西に戻って大阪体育大学に進学(同期に藤春廣輝、村田和哉など)。2008年にはチームは関西学生リーグ2部所属ながら総理大臣杯を勝ち進み、決勝戦では川西が2ゴールを挙げ、大体大にとって22年ぶりとなる優勝に貢献した。2010年9月5日、天皇杯2回戦でガンバ大阪と対戦。2-6の大差で敗れはしたもののJクラブ相手から1ゴールを決めた。同年10月には、練習生として参加していたG大阪・京都サンガF.C.の選手として関西SULでプレーした。
プロ入り後
2011年、J1・ガンバ大阪に入団[1]。同年4月24日、J1第7節のサンフレッチェ広島戦でリーグ戦初出場を果たし、初得点も決めた。11月19日のJ1第32節アルビレックス新潟戦では2点ビハインドの状況から2得点を挙げる活躍を見せた。しかし、11月29日の練習中に右けい腓骨々幹部骨折の重傷を負い、全治6カ月と診断された。2012年11月、約1年ぶりに公式戦復帰を果たした。
2014年シーズンはモンテディオ山形へ期限付き移籍[2]。シーズン中盤から2シャドーの一角としてレギュラーの座を掴み、山形のJ1昇格に貢献した。
2015年、山形に完全移籍[3]。同年は自身にとって3年振りのJ1でのプレーとなったが、リーグ戦23試合に出場したものの得点を挙げることはできずチームのJ2降格を食い止める事はできなかった。翌2016年はキープ力と前線からのプレスを買われボランチに転向し[4]、リーグ戦37試合に出場。
2017年、大分トリニータに完全移籍[5]。シーズン途中からボランチとしてレギュラーに定着し[6] 前年と同じく37試合に出場した。
大分2年目の2018年は、チーム内競争の激化の影響を受け[7] 先発機会は4試合と前年と比べ出場機会を減らしていたが、同様にメンバーに入っていない選手達と「チャンスが来たときにちゃんとやれるよう腐らずにやろう」と言い合いながら共に練習を過ごした他[8]、チームメイトの修行智仁からは「こういうときこの状況のためにお前が入ってるんやぞ」と声を掛けられていた[7][8]。チームがJ1昇格争いを演じていた第41節・金沢戦にて、スコア1-1の後半21分に9試合振りの出場を果たす。同41分に松本怜からのパスを受けると「ゴールまでのイメージができていた」と相手ペナルティエリアの左隅付近からドリブルで切り込み[7]、決勝点となるゴールを奪う活躍を見せた。
2019年より、FC岐阜に期限付き移籍で加入[9]。リーグ戦22試合の出場でチーム得点ランキングトップの8得点を記録したが、チームはJ2最下位に終わりJ3リーグ降格の憂き目に遭うこととなった。翌年も期限付き移籍期間を延長し岐阜に残留[10]。自身初のJ3でのプレーとなったがリーグ戦全試合に出場し、プロ入り後初の2ケタ得点を達成した。
2021年、岐阜に完全移籍[11]。チームは2年連続でJ2昇格を果たせなかったが、前年を更に上回る13得点を記録。28歳時に受賞した藤本憲明(2017年)を5歳上回り、史上最年長となる33歳でのJ3得点王受賞となった[12]。
2022年、カターレ富山に完全移籍[13]。
2023年7月3日、カマタマーレ讃岐に期限付き移籍[14]。
2024年、讃岐に完全移籍[15]。
プレースタイル・評価
キープ力のあるドリブルと裏へ抜けるスピード、シュート力が武器のフォワード[1]。大学時代にはトップ下やサイドハーフのポジションもこなした[16]。
人物・エピソード
所属クラブ
- 奈良FCジュニア
- 2001年 - 2003年 奈良FC
- 2004年 - 2006年 青森山田高校
- 2007年 - 2010年 大阪体育大学
- 2011年 - 2014年 ガンバ大阪
- 2015年 - 2016年 モンテディオ山形
- 2017年 - 2020年 大分トリニータ
- 2019年 - 2020年 FC岐阜(期限付き移籍)
- 2021年 FC岐阜
- 2022年 - 2023年 カターレ富山
- 2024年 - カマタマーレ讃岐
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2008 |
大体大 |
20 |
- |
- |
- |
3 |
3 |
3 |
3
|
2010 |
10 |
- |
- |
2 |
5 |
2 |
5
|
2011 |
G大阪 |
18 |
J1 |
8 |
4 |
1 |
0 |
2 |
1 |
11 |
5
|
2012 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
2013 |
J2 |
15 |
2 |
- |
1 |
0 |
16 |
2
|
2014 |
山形 |
29 |
26 |
6 |
- |
5 |
1 |
31 |
7
|
2015 |
J1 |
23 |
0 |
5 |
0 |
4 |
4 |
32 |
4
|
2016 |
18 |
J2 |
37 |
1 |
- |
2 |
1 |
39 |
2
|
2017 |
大分 |
48 |
37 |
2 |
- |
0 |
0 |
37 |
2
|
2018 |
23 |
2 |
- |
1 |
0 |
24 |
2
|
2019 |
岐阜 |
5 |
22 |
8 |
- |
1 |
0 |
23 |
8
|
2020 |
10 |
J3 |
34 |
10 |
- |
- |
34 |
10
|
2021 |
26 |
13 |
- |
0 |
0 |
26 |
13
|
2022 |
富山 |
18 |
29 |
7 |
- |
1 |
0 |
30 |
7
|
2023 |
2 |
0 |
- |
0 |
0 |
2 |
0
|
讃岐 |
48 |
17 |
2 |
- |
- |
17 |
2
|
2024 |
10 |
27 |
5 |
0 |
0 |
2 |
2 |
29 |
7
|
通算 |
日本 |
J1
|
33 |
4 |
6 |
0 |
6 |
5 |
45 |
9
|
日本 |
J2
|
160 |
21 |
- |
10 |
2 |
170 |
23
|
日本 |
J3
|
135 |
37 |
0 |
0 |
3 |
2 |
138 |
39
|
日本 |
他
|
- |
- |
5 |
8 |
5 |
8
|
総通算
|
334 |
62 |
6 |
0 |
24 |
17 |
358 |
79
|
その他の公式戦
タイトル
クラブ
- 青森山田高校
- 大阪体育大学
- ガンバ大阪
FC岐阜
カターレ富山
カマタマーレ讃岐
個人
選抜歴
- 2009年 関西大学選抜A
- 2010年 関西大学選抜A
脚注
関連項目
外部リンク