島田 譲(しまだ ゆずる、1990年11月28日 - )は、茨城県水戸市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
来歴
プロ入り前
2006年に鹿島ジュニアユースから鹿島ユースに昇格し、同時に鹿島学園高等学校へ進学。鹿島ユースでは、古賀聡からコーチ・監督として3年間指導を受け、キャプテンも務めた[1]。
2009年に早稲田大学へ進学する。2年生だった2010年から、早稲田大学監督となった古賀に再び指導を受けている。3年時からレギュラーに定着し、正確なキックを左足から生み出すことと、中盤でボールを奪い素早く攻撃に展開するワセダのサッカーを体現していることを評価された[2]。4年生だった2012年には関東大学リーグのベストイレブンに選出され[3]、第61回全日本大学サッカー選手権大会で優勝した。
プロ入り後
2013年にファジアーノ岡山へ入団[4]。ファジアーノ岡山では2016年までの4年間にJ2リーグ103試合に出場して3得点した。2016年のシーズン終了後、ファジアーノ岡山との契約が満了となり、退団した[5][6]。
2017年に、V・ファーレン長崎へ完全移籍で加入した[7][8][9]。開幕戦であるホームザスパクサツ群馬戦、フリーキックを直接決めて、2017年チーム初得点を記録した[10]。
2020年にはアルビレックス新潟へ期限付き移籍で加入した[11][12]。
2021年、アルビレックス新潟へ完全移籍[13]。
2022年9月29日、この日行われた公益社団法人日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)の定時社員総会ならびに理事会において、WEリーグの理事に就任することが決定した[14]。現役のプロサッカー選手がWEリーグの理事を務めるのは初めて[15]。
選手としての特徴
左足でボールをさばくミッドフィールダーで、キックの精度が高く、縦パスやサイドチェンジのロングフィードでゲームを作るとともに、セットプレーのキッカーを務める[16]。
鹿島ユースと早稲田大学で計5年間島田を指導した古賀聡は「アントラーズユースでは、彼がキャプテンをやってくれたのですが、自立し、リーダーとして自分で考えて発信してチームを動かしていくという挑戦をして成長していった選手の1人かなと思います」とコメントし、責任と権限を与えることで成長した選手だと島田を評価している[1]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2013 |
岡山 |
35 |
J2 |
22 |
1 |
- |
2 |
1 |
24 |
2
|
2014 |
17 |
21 |
2 |
- |
1 |
0 |
22 |
2
|
2015 |
31 |
0 |
- |
0 |
0 |
31 |
0
|
2016 |
29 |
0 |
- |
3 |
0 |
32 |
0
|
2017 |
長崎 |
15 |
37 |
2 |
- |
0 |
0 |
37 |
2
|
2018 |
J1 |
20 |
0 |
2 |
0 |
2 |
0 |
24 |
0
|
2019 |
J2 |
15 |
0 |
6 |
1 |
4 |
0 |
25 |
1
|
2020 |
新潟 |
20 |
37 |
0 |
- |
- |
37 |
0
|
2021 |
38 |
2 |
- |
0 |
0 |
38 |
2
|
2022 |
33 |
2 |
- |
1 |
0 |
34 |
2
|
2023 |
J1 |
27 |
0 |
3 |
0 |
3 |
0 |
33 |
0
|
2024 |
19 |
0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
24 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
66 |
0 |
9 |
0 |
6 |
0 |
81 |
0
|
日本 |
J2
|
263 |
9 |
6 |
1 |
11 |
1 |
280 |
11
|
総通算
|
329 |
9 |
15 |
1 |
17 |
1 |
361 |
11
|
獲得タイトル
クラブ
- アルビレックス新潟
脚注
出典
関連項目
外部リンク